見出し画像

ご飯を食べに行きましょう

ご飯を残さず食べることは愛を受け取ることだという文章を昔に読みました。
たくさん食べる人は、調理した人やそのご飯を奢った人からの愛をきちんと受け止めることになる。
そういうわけで、たくさん食べる人は愛されるそうです。

そういう意味で言えば私は少しの愛しか受け取れない。
ご飯に誘ってくれた人が
「あなたはあんまり食べないからつまんない」
とぽろっとこぼしたことがあります。
私はすぐに「コスパ良くていいじゃないですか!(笑)」と返したけど、本当はすごくさみしかった。

ひとりでは行けない定食屋さんがあります。
学生の街の定食屋は男子大学生向けに大盛にする。
「ご飯やおかずを少なく盛ってください」と頼んだら「量ってるからムリです」と不機嫌そうに断られたことがあります。「もっと大盛りにして」は嬉しいけど、その逆はきっと嬉しくない。私は元から申し訳ない気持ちだったのに、それに加えて胸がすんとしたように悲しくなった。
けっきょく、一緒に行った人が食べてくれて事なきを得ました。
その時、私はひとりで生きていけないかもしれない、と思いました。半人前ってこういうことかなぁ。

お腹がいっぱいなのに目の前にまだご飯が残っているのを見ると絶望する。さみしくなる。

ごめんなさい。私はまた受け止めきれませんでした。

ちょっと意味が違うけど、『器が小さい』という言葉がちらちら浮かぶ。
お腹が空いて死にそうな時よりも、お腹が満たされているときのほうが絶望的に悲しい。

大きな胃を持っている人が、「え、もらっていいの?」と、嬉しそうに自分の空の皿と私のお皿を交換してくれると私はとてもほっとする。
私はそういう人と一緒にいることでやっとプラマイゼロになれた気になる。無理せずに、自分が苦しくならずに、すべての相手の思いに報いることができた気がして、お店の人にもやましさなく「ごちそうさまでした」と言える。

こんなつまんない食べ方しかできない私に、「ご飯に行きましょう」と言ってくれる人がいるということは、とても不思議で、ありがたいことです。本当にコスパが良いからだったらどうしよう。
愛のやり取りが通常よりも少ないですが、それでもいいでしょうか。
でもでも、私のお腹の満腹ぶん、ちゃんと愛しますよ。
そんな思いで私は
「いいですね! 食べに行きましょう!」
と返す。
食べることは、ちゃんと、人並みに、好きですよ。

#エッセイ #コラム #随筆 #グルメ #愛 #料理

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?