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【起業回想シリーズ❶】2014年の創業事業JobTalentsの軌跡

この越ノートを始めた際に、駐在員時代と起業1年目(創業準備期)について書きました。

その続きで、今日は創業準備で資金・仲間が集まりプロダクトをぎりぎりリリースできたという創業1年目について書きます。

1. 夢と希望に満ち溢れていた船出

2013年10月に最初のエンジェル投資を受けてシンガポール法人設立・11月にタイ法人を設立。

2014年3月に共同創業者4名がフルコミットで加わり創業事業のソーシャルリクルーティングJobTalentsをサービスインしたのですが、その間の2013年12月23日に求人サイトに掲載する企業側の募集だけオープンしました。

その頃はデザイナーもなく、知り合いの会社に業務委託的に片手間で作ってもらっていたので、いまみても本当に自分でもがっくり来てしまうデザインでしたが、シンガポールの2大テックメディアの一つe27に「it does not look very professional」と酷評されたのはいい思い出です(笑)

そんなボロクソ書かれながら、オフィスも登記したコワーキングが1席7千バーツで5人とかマジ無理だったので、日中嫁さん仕事・息子が幼稚園+保育所でいない我が家をオフィス代わりにしてリビングで仕事していました。

ランチは家から歩いてすぐのシーナカリン大学の食堂、あの頃はGrabもないのでデリバリーもできなければ、駅から徒歩15分の我が家は雨が降ると陸の孤島になる不便の塊でしたが「これぞガレージベンチャーだぜ」という高揚感がありました。

ここからでっかくなるぜ!とワンピース真似て船出の写真を撮ったりした創業感満載期でした。

2. 表と裏のギャップに苦しんだ上半期

高揚感パワーそのまま、ピッチに出たりメディアに出たりで求人企業を増やしつつ、facebook広告出始め期でそれを駆使してGoogleアナリティクスとにらめっこしてというウェブ企業らしさもあれば、リアルで大学に出向いて就活セミナーやブースを出して地道に登録者集めたりとコツコツやっていました。

創業事業のJobTalentsはご存じの方には「Wantedly×リブセンスモデル」という説明もしていましたが、簡潔に言うと「企業は無料掲載・採用報酬型で採用に至らないことの多いタイでも安心」かつ「求職者にはお祝い金制度があり採用報酬のチェック機能も果たす&SNSでそれを拡散してもらうことで求職者登録を増やすソーシャルリクルーティング」でした。

そのコンセプトがウケてメディアやイベントで話題になり、特にITスタートアップにはその頃ほぼ知られていて日タイ欧の企業100社ほどに掲載頂けました。

掲載案件は好調なものの、採用報酬の売上が全く芳しくありませんでした。

リリース初月の3月ですでに成約があり、翌月もあったため「このまま…!」と思っていましたが、採用報酬設定が給与掲載額に応じて5,000、10,000、15,000バーツだったため月固定費約20万バーツを賄うには月20-30件の成約が必要で毎月成約が1件、5件、10件、15件…と増えていく事業計画を書いていました。

が、3ヶ月しても4ヶ月しても月1-2件から増えず…

3. いきなりの資金ショート危機とエンジェル救済

そして、赤字を掘るのは想定内でしたが100万バーツで始めたタイ法人のキャッシュが尽きる5ヶ月以内に資金調達するつもりで3、4、5月と日本、タイ、シンガポールのベンチャーキャピタルと投資面談を10-20件ほど重ねていましたが悉く断られました。

起業して一番最初の挫折、衝撃、学びでした。

前年に1回目のエンジェル投資も受けられ、メディアにも取り上げられ、いま思えば周りに実力以上に持ち上げられた僕は「まぁできるっしょ」と思っていました。

それが
・タイ/ASEANの採用サービスは1千億円の企業価値になるのか
・ならないならコツコツ黒字伸びるサービスでも興味はない
・そもそも売上あがってないじゃん
・東大?コンサル?前職?君にはトラックレコードとして評価できるものなんてないよ
・チーム?君には元Googleエンジニアも、exit経験のある共同創業者もいないじゃないか

一番失望していまでも忘れないのはある金融系VCとの面談。

「VC:君のチームはコストが高すぎる」

(越:え、自分の給与は最低給与額の5万バーツで日本人CTOもそうだし、タイ人COOも新卒も平均以下だけどどこが??)

「この間会ったタイ人の起業家は『オレは給与は取ってない。車を売っても家を売ってでもこのスタートアップに賭けている』と。君にその覚悟はあるかい?( ̄ー ̄)ニヤリ」

いやいや…
子どもいて貯金も創業に使い切って給与なかったら家族食わせられないし。
売る車ないし。
売る家ないどころか賃貸だから給与なかったら家賃も払えないし。

まぁスタートアップ黎明期でお金出す方ももらう方もわからん同士でやってたカオスの時代だったのだなぁといまでは微笑ましいです。

10年経ったいま分かるのは彼も、言及した起業家も、僕も、みんな間違っていたな、というだけです。

この頃の経験がいまの起業家・投資家・資金調達・経営戦略に関する根本的な価値観形成に活きており、自分がこれからの起業家たちに自分なりのスタンスで貢献してあげたい、と思う原点になったと思います。

7月に入りもうだめかも…仲間も集まって威勢よく始めて、半年でいきなりゲームセット…?
と人生で始めて資金ショートの危機を目の前にして、毎晩呼吸がおかしくなる日々が続きました。

そんな時、いまはなきJ-cafeという当時IT関係者が集っていた中に株式会社クオン(現Minto)の水野社長が「全額じゃないけど一部なら応援しますよ」と投資を申し出てくださいました。

そのようなご縁で直接の知り合いたちが支援してくださることになり、カレコレ個人投資家8人から支援を頂いたおかげでこの危機を乗り越えることができました。

ただ、あの頃は「VCから集められなかったので個人投資家に頼った」という自分の挫折感が強く、胸を張れない気持ちがあったためリリースを出せず、TalentExの過去3回の資金調達の中で唯一表に出ていないラウンドです。

いま思えばダウンラウンド(企業価値が下がる資金調達=既存投資家に迷惑をかける)でもないし立派な調達手段の一つだし、何よりそう思うこと自体その状況で信じて応援して入ってくれた投資家の方々に甚だ失礼な話だと反省しています。

兎にも角にも、メディア掲載やピッチ登壇など外から見える順調さとは裏腹に、TalentEx号は九死に一生の船出を果たしたのですが、今日はここで筆を置きます。

次回はこの船の第2ラウンド「モガいてモガいての単月黒字と疲弊感」を書きたいと思います。


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