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自己紹介❷起業初期“ないない尽し”の孤独な日々〜初めての出資獲得へ

前回の記事はこちらからご覧ください
自己紹介❶タイ駐在員時代「俺ってグローバル」から葛藤の日々、そして起業を決意!

何者でもない「独り」


起業のあり方は千差万別ですが、僕の場合は駐在員という立場からの海外起業ということもあり、独立前は周囲にほぼ相談・周知できなかったので、独立初日時点では会社なし・ビザなし・仕事なし・収入なし・仲間なし・貯金400万円程度以外の資金なし、など“ないない”尽くしでした。

※現実的なTipsとして、ビザについては、嫁さんの就職が決まりにワークパーミット(労働許可証)を取得できたので、その家族ビザで滞在を開始しました

当時はそれくらい何もないのが当たり前だと思って、コンサル時代の杵柄でタイの業界レポートのようなものを知り合いに頼まれて日銭稼ぎつつ、息子の幼稚園送り迎えと半日面倒みながら事業プランを考える日々でした。

その頃は、TechCrunchの情報が多かったので他国の同じようなステージの友人たちと協力して2000個くらい日米スタートアップの記事をリストしながら、タイで2〜3年で伸びそう、かつ、他国からの参入にバリアのありそうなGoogle/Facebookが遠隔でできない事業は何か、と言った観点でリサーチ。

が、中々こういう段階でやることがバシッと決まるのは難しく、どんどん時が経つことに焦っていました。

また、精神的にしんどかったのが人に会った時に会社がない・名刺がない、というだけでなく「起業しました→何してるの→事業探してます」というやりとりがかっこ悪くて、人にも会いたくなくなっていったことでした。

そんな中、「現地で営業活動の必要な事業なら、当地にいる優位がありそう」というのを軸に人材・不動産・旅行系分野に絞り、自分がタイの立ち上げで人材探しに不便を覚えていたのを思い出し、SNSx人材で当時日本で流行り始めていたWantedlyのような事業に着目しました。


仲間集め

いま思えば最高のプランが見つかって確信があったというよりも、とにかくやることを決めて、自分の拠り所になるものが欲しかったのかも、とも思います。

2013年当時、一緒にサービスを作るエンジニアはいま以上に探しにくかったので、自分でドットインストールでPHPとJavascriptを学び始め原型を作ろうとしていたところ、日本人の知人からの助け船を得て、起業から初めて具体的に一歩進んだ手ごたえを感じました。

プロトタイプっぽいものが出来て、人に「タイ市場でこれやろうと思うんだ」という話ができるようになったので、タイ人起業家仲間に意見を聞いて回っていたところ、現株主のOokbee創業者Mooさんに「これいいね。資金は?」と興味を持ってもらい、彼と共同創業者たちで一緒に出してもらうことになりました。

社外とはいえ、初めて、自分に賭けて一緒にリスクをとってくれる仲間ができた瞬間でした。(写真は偶然その時にMooさんが撮り残してくれたSilom Complexのスタバでの1枚)

ちなみにこのとき、一度彼ら3人のオフィスでプランをプレゼン・質疑をして、10%で100万バーツ(約300万円。当時の日本・アジアのシードの相場)がほしい、と伝えて帰った翌日にすぐ電話がかかってきてカウンターオファーをもらいました。

当時、彼ら以上にタイのスタートアップ界隈で信用になる人たちはいない、と思っていたことと、前職のNobot創業者でメンターである小林さんから「株なんてキャピタルゲインする最後の瞬間まで紙切れ同然」という言葉を思い出し、「それでお願い」と即答しました。

この時の詳細はまたいつか別で書いてみます。

かくして、独り時代から株主という仲間と資金という現実的な支えを手にして一歩進むことができました。

ここまでで半年、が長かったのか短かったのかは考え方次第ですが、反省点も学べることもぎっしり詰まった期間で、家族との食事も手につかなくて虚ろな目をしてたこととか、日銭のために盛大にトラブったこととか、サイドエピソードもあるのですがまたいつか。

次回は、
自己紹介❸いよいよタイで会社を登記!メディアの酷評にもめげず、サービスインするも...?


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