「舞台の上のナイフ」考01

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まだイタリアに留学したばかりの頃の話

サンマリノのとある店で
ナイフを見せて貰った事がある

ショウケースの下の引出しを開け
そこにある沢山のナイフの中から
「これがいい」と
店員が私の前に差し出したのは
一本の飛び出しナイフ
日本では所持・所有を
禁じられているナイフだ

柄の部分にある
小さなスイッチを押すと
ばね仕掛けで勢いよく
ナイフの刃が飛び出してくる
その刃を見た瞬間

「これは人を殺すものだ」

・・・と、
全身の血が凍りついた。

鋭利な、
そして
磨き上げられた
刃物というのは、
人の肉を貫くのに
なんの力もいらない。

ただ差し込むだけ、
真っ直ぐに
入れるだけで
簡単に肉を貫き
血管を裂く。
人を殺すのに
大袈裟な力など
必要ないのだ。

その冷たい
なんの感情も持たない
憎悪や殺意さえも感じない
ただ
「人を殺す」という
その目的のためだけに
存在するナイフ。

この異質さ
この冷たさを
どう形容しよう・・・

悪意や憎しみ、
優越感の感情などと共に
殴られたこともあった。
人の心の醜悪さに嫌悪した。

突進してくる自動車に
跳ねられたこともあった。
圧倒的な質量感と
運転手の恐怖の表情を
今もはっきり覚えている。

でも、

それらから受けた恐怖とは
全く異質なもの
全く異次元なもの
それがナイフだ。

オペラの舞台で
ナイフを扱うとき
いつも思い出すのは
あのサンマリノの光景・・・

表通りに差している陽の明るさと
ちょっと奥まった店の薄暗さと
人を殺せるナイフを見た時の
鳩尾をギュッと
何かに握られたような感覚・・・
その
あまりの冷たさに感じた
畏怖と恐怖・・・

あれはおそらく、
実体となって
目の前に差し出された
「死」そのものだ。

オペラの舞台で
殺し屋モンテローネが
暗がりの中リゴレットに見せるナイフも
夜の女王が
パミーナに手渡すナイフも
歌姫トスカが
スカルピアの食卓の上で
ふと見つけて手にするナイフも
それが意味するものは「死」

ナイフを手に持つということは
「死」を
「死」そのものを
その手に握るということと
同義なのだ。


・・・で、
サンマリノの店で
それからどうしたかって?
早々に店を後にしたよ。
そして、もう二度と
あそこに近寄りたくはない。
あれは
面白半分や興味本位で
触れていいものじゃないからね。


追記:
これが果物ナイフや肥後守、
登山や狩猟用の山岳ナイフならば
ここまでの恐怖は感じなかっただろう。
飛び出しナイフは
それとは明らかに一線を画すもの。
「護身用」と言えば聞こえは良いが
対人用の殺傷を目的としたもの。
つまり
人に刃を向けることを前提として
作られているのだから。

(写真はサンマリノを訪れた時のスナップ)

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