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アポロ11号

3年前のこの日、どうやらフェイスブックさんによると、私はひとりで「アポロ11号」を観に行ったらしい。

そういわれてみれば。
そう、その頃、ちょっと仲良くなってた月を観るのが好きなイケメンと行く予定だったのが、ドタキャンされたんだったっけ。

映像復元された当時の実録画像のあまりの美しさに、「綺麗すぎてホンモノか疑う」という矛盾した感覚にとらわれたのだった。

ものすごい緻密な計算と、ミスを許さない機器開発の努力があってこそ、「月に行って、そして帰還する」ことができたのだと本当によくわかる。
(緻密な計算部分に貢献した黒人女性の映画もありましたね。あれもいい映画でした。)

そして、なによりも。
あの日、豪華ソファ指定席にたったひとりぽつねんと座って、拗ねながら1969年へと孤独なタイムスリップをした私は
おのれの功名心に捉われず、
常に背後にいる技術者たちのことを忘れなかった
アームストロング船長の姿に感動したんだった。

それまでのアポロが達成してきた周回飛行ではなく、初めて「月面着陸」となる11号のエンブレムには、これまで伝統的に刺繍されていた宇宙飛行士の名前は入れない、と主張したアームストロング船長。

船長だというのに、彼が月面にいるきちんとした写真は一枚もない。

私たちがよくみる月面にいる宇宙飛行士がきちんと映った写真は全て「アームストロングが撮影した」オルドリン操縦士だ。

それは、「初」ではなく、「二人目」として月面を踏むことが不満でならなかったオルドリンが、船長であるアームストロングの背中や脚しか撮影しなかったからだという。

そんなエピソードを知るにつれ、

That's one small step for man, one giant leap for mankind.

という彼の言葉がさらに深く響く。

日本語では「That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind」であったとして、「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」と訳される。

この、文法的に正しくない、と時に指摘される「for man」の部分。

アームストロング船長が敢えて「a man」と明確に単数にすることを避けたのは、彼だけのことを示していると思われたくなかったからではなかろうか。

それは「小さな(彼が踏んだ)ステップ」は、アームストロングの足でありつつも、そこまでに連なる沢山の人類たちの、技術者たちの、飛行士たちの努力と叡智の集合であり、彼はその代表にすぎないと意識していたから。

彼だけにスポットライトが当たることを避けていたのは、彼の宇宙靴の裏には、実は、多くの、みえない、そして語られることのない名前が刻まれていると知っていたから。

何かを残したいと思ういっぽうで、残さないカッコよさにも憧れる。

ああ、もう一回観たくなった。
フェイスブック、思い出させてくれてありがとう。

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