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「人間=消費コンテンツ化」が加速する時代

同担拒否という言葉がTwitterでトレンド入りしてるのを見た。今更何のことだ、と思ったら「サッカー選手ファンの同担拒否」の話だったらしい。

同担拒否という単語が使われるのは大抵「アイドル」とか「配信者」とか「歌い手」とかに使われるものなのかなと思っていた。だから、サッカー選手相手(というか、サッカー選手のファン同士で)にまさか同担拒否という言葉が使われるとは…と正直驚いている。

さらにそこで思ったのはサッカー選手ですら「消費コンテンツ化」する時代になってるんだな…ということ。

元々、アイドルや歌手など「表舞台に立つ存在」が特に消費されるコンテンツとしては有名だったわけだけれど、インターネットが普及したことで、「人間=消費コンテンツ化」する媒体や職種が増加し、さらに人間を商品化する動きが加速したような気がする。これはあくまで持論中の持論だが。

例えばここ数年で普及したものといえば配信業(YouTuberやVtuberなどetc)だろう。この業種は、アイドルと同じように「人間を消費コンテンツ化する動き」がよく出ているように思う。配信者は自分自身を消費コンテンツ化することでお金をもらい、視聴者はお金を払いその人間を消費する。

こういう業種の登場などをみると、言ってしまえば「誰でも商品になれる時代になった。」ということでもあると思う。

そうした「人間=消費コンテンツ化」の加速の中で「推し」という言葉や「同担拒否」など様々な言葉が生まれ一つの文化になった。

その影響が、サッカー選手などの業種にまで届いてしまうような時代。サッカー選手の本業はサッカーをすることであり、歌って踊ってファンサすることが本業というわけではないはずなのに。なんとも不思議なものである。

って色々書いていると、まるで「人間の消費コンテンツ化反対運動家」みたいに思えるだろうが、私だって好きなアーティストを「推し」だと言って「消費」している消費者の一人であるし、こうしてブログを書いている「消費される側」でもある。

別に誰かを責める気はさらさらないし、「そういう時代なんだよなあ」と思うだけにとどめている。私が一人「人間が消費コンテンツ化されるの反対!」と叫んだところで時代の流れを止めることはできない。

では私ができることはなんだろうか。

私が考えるに、私にできることは「アーティストを末永く愛する」という、至極当たり前なことだろう。

最近は情報の流れもとにかく早い。流行りはすぐに廃れ、またすぐに新しい流行りが現れる。そういう流れに惑わされず、どっしり自分が好きだと思う分野(およびアーティストのいる場所)にとにかく居座ること。

嫌いなのにわざわざ居座れとはいわない。ただ、「好き」に誠実であれ。消費コンテンツのあふれる時代に「この人やモノだけは手放せない」とおもうものを見つけて大切にすること。

先程は「たかが私一人が叫んだとて世界は変わらん」と話したが、たかがファン一人、されどファン一人だと思う。一人でも自分に興味や愛をくれる人がいるだけで頑張れるし、続けていこうと思える。これは、配信者になったりブログを書いたりしている身として言えることだ。

「人間の消費コンテンツ化」が加速する時代ではあるが、あなたの「たった一人」をどうか大切にしてくれ。消費を超えた愛があることを証明してほしい。

それが、もしかしたら世界を少しだけ変えるかもしれない。


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