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他人は私を肯定してくれる「道具」ではない

やらかした。

また、ド正論パンチを繰り出されて黙り込んでしまった。きっかけは別にちょっとした私の愚痴だ。それについて、至極真っ当な意見で返された。ただそれだけ。

もう数え切れないくらい知人と対話してるのに、正論パンチを繰り出される度に私は沈黙する。でも、とか、だって……とか言えば言い訳になり、グダグダと同じ話を繰り返してしまうから。だから黙り込んでしまう。

だが、沈黙する事で相手は気まずくなる。しかも、私はその気まずさから自分の逆ギレを「察して欲しい」と思ったりしている。かなり、タチが悪い!

私は、ただ肯定してほしかっただけなのだ。適当な肯定で満足したかった。「うんうん、そうだね〜」が欲しかった。だが、そこをド正論パンチされて、逆ギレしている。ガチで面倒くさいやつだ。

私は他人を何だと思っているんだろう?他人は、私を肯定してくれる「道具」ではない。

知人は医者でもカウンセラーでもないので、そりゃド正論パンチしてくるのは当たり前だ。私の「察して欲しい」とかそういうのは、他人には理解出来ない。私だって、他人の「察して欲しい」がわからない時がある。

私は、自己肯定感が低いとか自信がないとかなんとか言いながら結構横暴なのだと感じた。わがままなんだよ。承認欲求だけがぶくぶく太った哀れな人間。

ド正論パンチに逆ギレして、自分を可愛がってくれる人間だけを愛する。まさに、現代の生み出したモンスターといっても過言ではない!

私、このままどうなっちゃうのかな。ド正論パンチ逆ギレメンヘラインターネットおばさんになっちゃうのかな。もうなってるよクソボケ!

こうやって文章書いてるのも、結局逆ギレを正当化するためなんだろうな。理不尽な怒りを、文章にぶつけてるだけ。他人を道具としか思ってない自戒と見せかけた、承認の要求。

ああ神様、どうかこんな自己を肯定する事もままならない哀れなインターネットおばさんをお救いください。

らーめん

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