感謝と反省と。コレカラ。
「生きる」ってなんだろう。
子供の頃から、誰かの顔を見ながら生きて来た。
子供の時は、もちろん両親。
大人になって、自分の子供時代がとても恵まれていたことに改めて深く、そして何度も気づかされている。
金銭的にはそれほど裕福と言える方ではなく、父も母もいろいろと苦労していたようだけど、娘であるワタシと妹には極力不自由をかけないように、と心掛けてくれていたのが痛いほどわかる。
何かを決める時、決まって言ってくれた言葉は
「好きなように決めていいよ」
「やりたいことをやりなさいね」
そう言ってくれる背景もワタシは知っていた。
父も母も田舎育ちで、きょうだいが多く、裕福な家庭ではなかった。
父は7人きょうだいの5番目。母は5人きょうだいの末っ子。
家庭・家計を支えるために子供たちがそれぞれ役割分担で家事をしていた。
父は野球部に入ったものの、家の手伝いが出来ないからと3日で退部。
母は美容師になりたいという夢があったものの、それには専門学校に進んで様々な道具を買ったりとお金がかかる。上の兄姉たちが働いているのに、それは出来ないといって諦めたらしい。
やりたいことが出来ず大人になった父と母は、ワタシと妹に自由を託してくれた。
妹は、母と同じく美容師に興味を持ち、その後美容師の道に進んでいる。
そしてワタシはというと。。。
本当に進みたかった高校は、親に遠慮して言えなかった。
ある程度自分の意志はあったが、それよりも優先されていたのは
「この道を選べば、親は喜んでくれるに違いない」という親の喜ぶ顔。
でも、その当時のワタシは、それが一番大切なことだと思っていた。
その後の岐路となった節目の出来事も、しっかりと自分自身の本心と向き合いきれていないまま決断をしている。
それから幾年も経過し、いつしかワタシは自分の心がわからなくなってしまっていた。
日々に楽しみが見出せず、なぜ自分は今ここに存在しているのか、生きる意味って何なのかがわからなくなっていた。
そして当時家を出て上京していたワタシは、その状況を素直に両親に報告することすら出来なかった。…親に心配かけたくなかったし、もしかしたら弱いところを見せたくなかったのかもしれない。
今思えば、両親がせっかく「好きなように生きて」と言ってくれていたにもかかわらず、ワタシはその言葉の真意を受け止められていなかったんだなぁ…と申し訳なく思うばかり。
最近になってようやく母に打ち明けることが出来た時、母からの第一声は
「気付いてあげられなくてごめんねぇ、辛かったねぇ」だった。
14年前に他界してしまった父も、きっと同じような思いで見てくれているのかもしれない。
親は、子供が幾つになっても味方でいてくれる。何と有り難く、何と心強いことか。。。
そんなワタシは5年前に心理学に出会い、自分に対するたくさんの気づきを得て本当の自分のココロと向き合っていくようになる。
そしてそれは、学べば学ぶほどより深く、しっかりしたものになってきている。現在進行形であり、これは間違いなく生涯学習だ。
目に見えないけど、とっても大切な「ココロ」。
自分がどうあるべきなのか。
今、自分の「在り方」「生き様」について向き合う時間が増えている。
今までの自分を無駄にしないために。
これからの時間を無駄にしないために。
「自分らしく生きる」
これは一生のテーマ。
毎日が人生の分岐点。
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