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個人的な教育の話8 家族で交換ノートを始めて、難所を乗り切る

2009年 家族で交換ノート
子供達、息子が高2年、娘1が中学2年、娘2が小学校5年の頃から始めた。
理由として、私がほとんど出張していた状態、国内、海外と多忙を極めていた。妻は専業とはいえ、ママさんバレーボールのクラブチームに所属していた。

この状況で、息子が大学受験、娘2の中学受験が始まる時期となった。
一応それを見越して、娘1は中高一貫校へ進学させていたので、高校受験はない。それでもW受験が待ち受けていた。

私は妻との連携も含めて、子供達の状況も把握出来ない。
「なんとかしたい」
その対策として始めてみた。

交換ノートの内容は、子供の世代も違うので、なかなか共通する話題がない。
私と妻も11才違う、子供達3人も娘1と娘2は早生まれなので、歳から見ると4歳近く違う精神年齢差がある。学校の話題も、高校、中学、小学校では難しい。
家庭の話題となると、最後には妻の教育敵指導が多く入ってしまい。説教ノートになってしまう。
それでも各自、色々と手抜をき、頭を使い書き続けていた。
最終手段として漫画が多かった。

家族の一大事
今更だけど人生はそう簡単ではない。予想できない事が起こる。
日本の男子バレーボールと同じで2セットまで楽勝でも、3セット取られて負けることもある。

半年後、娘2が日本では10万人に1人という難病となってしまった。
原因不明の不治の病でもある。
翌年この状態で中学受験、兄は大学受験という緊急事態となった。
それでも交換ノートは続けていた。そして少しは役にたっていた。

一時期入院していた娘2は、交換ノートから書くことを習慣としていたので、入院中の日記や空想物語を書いたりしていた。
当時の「悪玉シャーク団」の話は面白かった。
翌年、無事に息子が大学、娘2が姉と同じ中高一貫校へ合格した。
そして交換ノートは終わった。

その後、娘2は治療法と言っても対処療法だが、体育大学を卒業して健常者と変わらない生活している。私達も落ち着いた気持ちになっている。

それでも当時、入院中の日記(メモ)を読むと、食事制限があったので、病院食の内容ばかり、当時の娘2の気持ちを思うと、何とも切なくなる。

またその時期、真ん中の娘1は受験もないので、母親の愛情の対象から少し外れていた。それが娘2と妻の軋轢になっていた。
私がフォローしていたつもりではあった。

その影響か、娘はスイム、ギターと私の趣味嗜好の傾向になっていた。
妻は、人一倍小さい体だった娘1、
「小さいのに何時も頑張っていた」と思うと、切なくなるという。

息子は、大学受験に関しては、ほとんど手助け出来なかった。
娘2の治療や受験勉強の手伝い、仕事もあり、息子は放置状態、塾さえ行かずに、赤本で過去問を解くだけで受験した。それでも大学に合格していた。
「お前、凄いなぁ」と思った。

地頭がいいので、勿体ないことしたなぁと、私は少し反省していたが、湘南藤沢にある大学で、良い友達と楽しく過ごしていたので、一安心だった。

子供への愛情
子供3人、全員にずーっと平等に愛情を注ぐのは不可能。やはり多少の差はでてしまう。
それを思うと心が多少痛む。

その対策として、交換ノートを始めたのだが、読むと当時の子供達の立場とか気持ちとか、遊び心とかが見えて面白い。

交換ノートは冷静になる。本音が言える。思い出になる。

実は私達夫婦もお互い交換ノートをやっていたことがある。
口で言うと喧嘩になるが、書くと考えがまとまり冷静になる。

LINEでいいとか言うけど、ネットでの会話は刹那的に、直情的に書くので、さらにヒートアップする。また感情が見えない。
だから止めた方がい。
つまり手で書くということは全然違う脳が動くのだろう。

家族が不穏になる前にお勧めだ。
 
交換ノートの漫画で面白いものを、その一部を公開してみる。
こんなものです。

体重落として、ロングトライアスロンへカムバック
娘2、女の子の漫画ではない
ゼロ戦を書く高校生の息子
娘1はギターとスイム話話
妻の漫画
今夜はパーティ

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