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武内さんは創作のアイディアが浮かばなくて困ったことはありませんか?

ぼくは先日、とある方からDMを頂いた。ツイッターの相互フォローの方だったのだが、創作にかんする質問をしてもらったのだ。

書いているうちにどんどん筆が乗ってしまい、おおよそ人へ送るようなメッセージではないだろうという長さになった気がするのだが、読み物としてだれかが笑ってくれればいいと思うので、許可を頂いてここに掲載しておこうと思う。

当然質問をしてくださった方が特定されないように、一部文章や呼称については編集をしているので、あしからず。

それではどうぞ。



突然のご連絡すみません。
武内さんは創作のアイディアが浮かばなくて困ったことはありませんか?
創作をしたいのですが、何も浮かばないのです。夢描いた世界も、夢の世界も、妄想の情景も、何もかもです。
昔小説を書いていた頃は高校生だったかと思うのですが、人生希望に満ちていました。
こんなことご相談していいような方ではないですね。すみません。でも私に出来る創作活動と言えば、日々行ったことをTwitterで140字以内に収めるか、noteに少ない文字数でまとめることだけなのです。
 
文フリで同人誌を配布してみたい、という夢を語っていた数年前を思い出してしまいました。とてもそんな文字数創作できないのです。どうすれば良いでしょうか、とお尋ねするつもりはありませんが、武内さんは創作のアイディアがとめどなく溢れているように感じます。なにか秘訣?というか、こうやって創作してるよーなどありますでしょうか……支離滅裂ですみません。

 


回答


まず冒頭のご質問にお答えしますと、ぼくは創作のアイディアが出ずに困ったことは、覚えているかぎりほとんどないです。

しかしもちろん、「いいアイディア」がいつでも浮かぶかといえばそうではないので、結局さまざまな案を出して、そのなかで最善を選ぶというような段階ではおおいに悩みます。

なにも浮かばないということはなく、どれを選べばいいのか分からないということが多い。ということになります。

 

なぜそうなるのか、というのも自分ではなかなか難しいところなのですが、根本的な要因としては「困ったらパクる」なりし「自分の哲学として人物や現象がどう決着するべきか」という主軸になるような原点があるので、迷ったらそこから引き出してしまうというものがあると思います。これは長編小説を書いているときの、非常に具体的な迷いについての処方せんです。

 

おそらく質問者さんが仰っているのはそういうことではない。または、これでは不十分な回答だろうなと思います。

次はその方向に考えを巡らせてみますね。

 

 

これは、ぼくの創作の秘訣……と呼べるほどのものではないですが、そういうものと関係はしていると思います。

 

質問者さんは「どうすればいいか」とお尋ねするつもりはない、と仰っていましたが、ここはフロイトの「否定するということは肯定していることと同じ」という教訓に則って、そう訊かれたという前提で話します。

どうすれば、というのは5W1Hでいうところの「How」にあたります。いやもちろんご存じのことと思います。

たいていの場合、というか精神論的にいうと、「How」よりも「Why」のほうが大切だとかいう下らない話になります。ぼくは、これに意味はないと思っています。

 

ぼくは、5W1Hすべてがほぼ平等に重要だと思っています。つまり創作をある程度維持していくためには、全体的な環境作りが不可欠、という考えです。

ひとつずつ見ていきましょう。

 

まずは「How」、どのように創作をしたらよいか、という部分についてですが……この手の議論は様々noteやブログや書籍になっています。○○でできるプロットの書き方、~で書く技、みたいなやつですね。もちろん有用だと思いますし、ぼくだって最近はそういう本をたくさん読んでいます。しかし、それはある程度書くことに慣れた人にとっての道標にすぎないと、ぼくは思います。おそらくは、ここを掘っても質問者さんのお悩みは解決できないと考えられます。

 

次に「Why」ですね、さっき一刀両断しておいてなんですが、なぜ自分は創作をするのか、したいのか、というみずからへの問いかけはとても重要だと思います。

 

しかしここで重要なのは、しょせん人間の欲動なんてものはみもふたもないことを望むということから、目を背けないということです。文学の美しさにうんぬん、自分が感動した経験のように誰かをうんぬん、そういうのは誰かにインタビューをされたときに考えればいいので、自分に対しては泥臭いまでに正直でいいと思います。他人に格好つけるのはかっこいいですが、自分にかっこつけている人は総じてかっこわるいものです。

 

創作をする理由なんて大きく分けてふたつしかありません。「なにかを作る自分になりたい」「他人からちやほやされたい」ちなみにぼくは後者です!

もちろんそのために文学を利用しているつもりはない、というか、ちやほやされたいだけなら小説じゃないやり方のほうが楽です。ぼくは心のそこから小説が好きですが、原動力のひとつとしてやっぱり承認欲求ってあるよねって話です。

 

そこは素直に考えてあげてください。そして、恥じないでいいです。

 

 

 

それに関係する話だと「Who」も見過ごせないですね。だれに向けて作品を作るのか、ということです。書籍を作る際の想定読者というわけではなくて、作ったらだれに読んでもらおうかな、というモチベーションの問題です。

 

文フリに出すのが夢だったと仰っていましたが、つまりそれは、作って放ったらかしではなく、やはり他人を必要としているということだと思います。

 

これは人によるのですが、作品を作る上での原動力に、近しい人に読んでもらいたいタイプ(宛がき型)と、縁遠い人に読んでもらいたいタイプ(メッセージ型)と、自分だけでも読めればいい(純粋な表現欲求型)がおおざっぱにあります。ぼくの場合はすべてがひとしく振られている感じで、逆にいえばすべてを満たしたいと思っている感じです。

 

質問者さんがどれにあたるのかは分かりませんが、モチベーションを保つときに、途中だろうと誰か(自分)に読んでもらうという行為は有効なのではないかと思います。

 

別の観点でいえば、途中の作品をみられたくない場合もありますね。その場合はいわゆる完璧主義に片足を突っ込んでいますし、批判とかも著しく苦手とすると思われます。

 

だとしたら、完成が簡単な作品を作るのがやはりいいのだと思います。個人的な感覚ではありますが、文字数というものはスタミナです。どれだけ作りたいと思っても、いきなり十万文字はなかなか書けません。なので、質問者さんが細かくツイートやnoteを書いていることはポジティブに考えていいことです。自分ができていることはきちんと力量として見定めて、応用するような形で自分の納得するような作品に落とし込み、完成させていけばいいと思います。長い文字数が書けないのなら、そうでない作品から始めていけばおのずと遠くまで行けると思います。

 

 

話が脱線しましたね。戻ると、「What 」のついて話していきましょう。

ここからのふたつが、作品を作る体制でかなり重要だと思います。

 

なにを書くのか、作るのか、そう、質問者さんが本当に直面している「アイディア」の問題はここにあるのです。いや書いていて断言しすぎだろって思えてきましたね。しかも長いってこの話。

で、なにを書けばいいのかですが……もちろん自分の好きなものを書けばいい、で話は終わりです。他人が言うことに左右されるわけもない要素ですしね。

 

おそらくなのですが、質問者さんは、というか作品を作りたいけど作れない状態の人は、なんとなく作りたいものの方向性があるけれど、しかし具体的に作ろうとするとどこからやればいいのか、どうやればいいのか分からないという迷路に入ってしまって、思考が止まってしまうという形だと思います。

 

なので具体的に「なに」が書きたいのか明らかな場合は先述したように、短いものから完成させていけばいいと思います。

 

もしも書きたいものがないのなら、いいなと思うものをとにかくオマージュ、アレンジ、もといパクるのが最善だと思います。

 

ぼくは小説を書くときいつも星野道夫の写真、詩集と、『銀河鉄道の夜』と、『涼宮ハルヒの憂鬱』を脇に置いておきます。

なにを書けばいいのか迷ったときのお守りみたいなものです。そうそう開くこともないですが、ひっそりとぼくを支える三冊です。

 

 

最大の問題に行きましょう。「When」「where」です。

 

どんな方法論よりも大切なもの。創作ができる人とできない人を分ける最大の分水嶺は、創作をする時間を作るか作らないか、そしてその場所(デバイスなど)を手に入れられるかどうか、これに尽きています。

 

ハッキリ言います。ぼくが質問者さんに言えることがあるとするのなら、きっとこれしかないです。

 

なにも浮かばない状態でもなお、創作をしたいと思っているあなたはすごいです。

 

創作で何よりも大切なことは「辞めないこと」です。なによりもそれを支えているのは創作をしようとする時間、その場所、機会です。こと文学は、指と頭さえあれば十分以上に作ることができます。

 

 

というわけで、まとめていこうと思います。

 

ぼくが5W1Hなどというだれにも頼まれていない分解を始めたのはなぜかというと、結局のところ「なにかひとつの要因で、物事は好転しない」という話に持っていきたかったからなのです。

 

ぼくが会ってきた人たちのなかには、紛れもなく自分よりもおもしろいものが書ける才能を持っている人がたくさんいました。けれどもそのほとんどが、今では創作から遠く離れて行ってしまいました。

 

人間が創作から離れてしまう、できなくなってしまう要因は様々ですし、たいていの場合は複数の要因が同時に訪れてしまうものです。環境の変化とひと言でいえるものですが、ほかにもモチベーションの問題や、時間が空いてしまったとか本当にいろいろとあります。

 

それらを見比べて、自分にとってせめてこれだけは残しておこうと思えるものを守り抜く、というのがおそらくは大切なのだと思います。

 

ぼくは今の恋人と交際するよりも前は、世界を恨むような小説を多く書いていました。しかし、現在では世界のどうしようもなさをどう受け止めて、なにをそこに灯すのか、ということを考えるようになりました。単純に付き合っている人によって作風が変わったということもできますが、作品の方向転換が起こるときには、数ヶ月なにかを書く気にはなれなかったです。

 

自分がこれまでやってきたモチベーションが枯渇し、ではどうすればいいのか、今の自分にはなにがあるのか、書くべきなのかを見つめる時期は辛かったと思い出せます。今までの自分ならこういうものを書くべき、と分かっていても気力が湧かないというトンネルでした。

 

そのトンネルの出口には、『女がオンナを殺そうとする話』というタイトルが待っていたわけですが……今はやめておきましょう。

 

 

これは別のお話で例えるのなら、病院に行ったとしてお薬だけではどうにもならないことも多くある、ということにも重ねられると思います。

 

風邪を引いて病院でもらったお薬を飲むだけではなかなか回復するものではなく、ちゃんとご飯を食べて、たくさん寝て、という部分も必要になるのと同じことです。

 

 

どうしたら創作がたくさんできるか、アイディアがたくさん浮かぶかという疑問は、きっとアイディアの出しかただけで解決する問題ではないのだと思います。

 

一般にいえば、できない要因を落ち着いて分析して、できることをとりあえずやってみる、というのがやはり一番の対症療法なのかなとは思います。

 

かなり長くなってしまって申し訳ありませんが、ここでひとまず回答とさせていただきます。



終わり


なんだこの長さは……ひとりよがりがすぎるぞ自分。

という戒めとともに、質問者さんとみなさんによき創作ライフが訪れることを祈ります。

お幸せに。


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