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女よ。未来を信ぜよ。そして戦いを誓え。

ほんの感想です。No.45 平林たい子作「施療室にて」 昭和2年(1927年)発表

今回、初めて読んだ平林たい子の作品は、「施療室にて」。その内容に驚きました。社会主義運動に携わる女性が、テロを企てた夫との関りで逮捕され、その後に経験した、劣悪な環境での時間と心情が描かれています。主人公の不屈な様が、ぐいぐいと迫ってきて、「生きることから目をそむけないで!」と一喝された気がしました。

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「施療室にて」は、次のような事象が描かれています。

・テロを企てた夫が逮捕され、馬鉄公司の女中をしていた「私」も共犯として逮捕された。
・身重で妊娠脚気を患っていた「私」は、監獄行きを延期され、慈善病院の施療室へと移された。
・「私」は、女児を出産した。
・人工栄養が入手できず、やむなく母乳を与えたところ、子は乳児脚気で亡くなった。
・子の死に目に会えなかった「私」は、「子の顔」を思い出す気力もなく、その解剖の時間を思った。
・翌日、「私」は、検察官に電話をかけてもらい入獄の手続をした。

劣悪な環境の施療室で私は、自分の身に起きたことを次のように考えます。
・夫について、「アナキストである以上、こうなることは明白だった。だから、恨むまい」と諦めのような心情を示します。
・また、夫と引き離され、植民地の施療院で誰にも見とられず、一人で子をうむことに、「自分の不幸を嘆くまい」と気丈に考えます。

・女児を出産した私は、子に与える乳の不安を募らせます。脚気の母乳ではなく、牛乳を与えたかったのです。しかし、院長に頼もうとした矢先、彼が「高価な薬を患者に投与した」と看護師を叱責したことで絶望します。
・やむなく母乳を与えると、愛情が感じられてきて、「監獄に入ればこの子と引き離される」と不安になります。しかし、そんな自分を、次の言葉で鼓舞します。

女よ。未来を信ぜよ。子供への愛が深いならば、深いがゆえに、戦いを誓え

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結局、子は、乳児脚気で亡くなり、「私」は、監獄に入る手続きをします。このように、「私」は、施療室にいる間、何度も「小さな希望が大きな絶望にとって代わられる」ことを経験しています。

その度に、彼女は感情が無くなったような自分を、「明確な言葉」によって鼓舞してきたように思えます。その不屈な様、そしてその原動力である反発心が、エネルギーが流れ込むようにじわじわと伝わってきます。

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「施療室にて」を発表するまでの平林たい子(1905-1972)の経歴について、ニッポニカは、次のように記しています。

・県立諏訪高等女学校を卒業後、上京し中央電話局交換手になるが、しだいにアナキスト・グループに近づく。
・満州(中国東北)を放浪し、帰国後、「文芸戦線」同人の小堀甚二と結婚する。
・1927年5月「大阪朝日新聞」の懸賞短編小説に「嘲(あざけ)る」が入選し、文壇に登場した。
・同年6月「施療室にて」で新進プロレタリア作家として認められる。

「施療室にて」が、平林たい子の実体験を素材にしているのであれば、経験した彼女も凄いけれど、その経験を小説として仕上げた彼女も凄い、と思えてなりません。

ここまで、読んでくださり、どうもありがとうございました。


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