私の生涯はそれでも決して空しくはなかった。
「時を超える方法」に興味のある方へ、小説の一片を!
ご紹介するのは、堀辰雄作「姨捨」から。
「それ」を知らなかったため、しばらく、私は、この作品の楽しみ方がわかりませんでした。「それ」とは、「更級日記」の内容です。
ニッポニカ多田一臣解説「更級日記」によれば、この日記は1060年ころに成立。作者は、菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)。彼女が、十三歳のとき父の任地から帰京する旅を記録したことが始まりで、以後四十年に及ぶ半生を自伝的に回想した記録、とのことです。
「姨捨」は、「更級日記」の作者を主人公に、彼女が日記で回想した時間の半分、つまり二十年間についての物語です。「更級日記」の内容は、百科事典の内容程度しか知らないので、「姨捨」がどういうひねりを施しているのか、正直わかりません。それでも、堀辰雄ならでは、と思えた個所がありました。それは、「夢を諦める主人公の心情」が示された場面です。
「姨捨」の主人公は、三十歳を過ぎて二十歳年上の男の後妻となります。その秋、信濃の守となった夫に従い、主人公が京を離れる場面が、次のように描写されます。
ある晩秋の日、女は夫に従って、さすがに父母に心を残して目に涙を溜めながら、京を離れて往った。幼い頃多くの夢を小さい胸に抱いて東から上がって来たことのある逢坂の山を、女は二十年後に再び越えて往った。「私の生涯はそれでも決して空しくはなかった―」女はそんな具合に目を赫(あか)やかせながら、ときどき京の方を振り向いていた。
涙を溜めてはいるけれども、ジメジメしていない。といって諦めで、心が枯れているわけでもない。女は、心の底に「未だ夢の泉を守り続けているかもしれない」と感じられたところです。
堀辰雄は、「更級日記など」というインタビューで「日本の古典はよく読んでいない」としながらも、好きな作品として「更級日記」を挙げています。そして、その理由を、「彼女の小さな夢を彼女なりに切実に生きたらしい、この『更級日記』の作者などが僕には血縁のあるような気がするから」としています。
堀辰雄の作品を通して「更級日記」の世界に導かれたこと、そして堀辰雄の「更級日記」を読むことができて、ちょっと幸せを感じました。
お立ち寄り頂き、ありがとうございました。
物語の一片 No.15 堀辰雄作「姨捨」
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