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大人には眩しくて、切なすぎる 「 たけくらべ」 by 樋口一葉


悪戦苦闘読書ノート第7回 樋口一葉 作 「たけくらべ」
発表1895年(明治28)

こんにちは。今回は、樋口一葉作「たけくらべ」です。あらすじは、美内すずえ作「ガラスの仮面」により、教わりました。
思春期の少女の少年に対する心情が、次々と変化していきます。その描写には、現代でもありそうなキラキラした瞬間瞬間が感じられ、驚きました。
そして、別の一葉作品に触発されて、再読したとき、作品同士の響き合いが始まりました。「たけくらべ」の世界に、「 閉塞感で息苦しさを感じる」救いのない世界を重ねたとき、樋口一葉が見ていた世界を、垣間見た気がしました。

あらすじ

ある出来事から、同じ学校に通う少年が気になりだした主人公の少女は、彼を見かければ声をかけ、時には待ちぶせるなど、積極的にアプローチした。しかし、子供同士の喧嘩による誤解から、少女は、少年との間に大きな距離ができたと思い込む。そんなとき、少女は、彼女の家の前で困っていた少年を目にするが、助けることも声をかけることもできなかった。そして、ある朝、少年は進学のため、生まれ育った町を離れていった。

こう読みました

一読目
転んで着物を汚してしまった少年に、少女は、綺麗なハンカチを差し出します。それがきっかけで、二人は、互いを意識するようになります。少女は、自分がそのような気持ちになる理由がわからないまま、少年を追います。一方、少年は、周囲への羞恥心から、少女を避けてしまいます。そして子供同士の喧嘩から少女は少年を誤解し、二人の行き違いは広がります。

このような二人に、もどかしさを感じ、また、初々しい様子に「おれも、年を取ったな」などと思いながら、物語の世界に入っていった気がしました。

このように行き違ってきた少女と少年の心情が、終盤に、一度だけ、鮮やかに交差します。そして、その場面は、少女と少年の境遇が違うことから、「そのような交差が二度とない二人の未来」を思わせます。

現代の読者である私が、当時の読者と同じように「少女の未来」を感じることは、難しいことかもしれません。それでも、少女の「これまで」と「未来」の対比はとても鋭く、切なさを感じました。

二読目
ニッポニカの「たけくらべ」の項に、岡保生氏による「精妙な心理小説で哀愁がただよう不朽の名作」との記載があります。一読目では、この「哀愁がただよう」という点に、「切なさはあったけれど、そこまでは・・・・・」という思いが残っていました。

本作に続いて、一葉作「にごりえ」(次回、投稿予定)を読み始め、難解な雅俗折衷体の内容が理解できたと思われた頃でした。「そうか!」という感じで、もう一度「たけくらべ」を読みたくなりました。その結果、最初に読んだときの「二人の未来を想像すると、何となく哀しい」というライトな印象が、「彼女にとって、楽しかった子どもの時間は終わり、悲しみと苦しみが待つ大人の時間が始まる」という、重苦しい印象に変わったのです。

いまさらですが、「樋口一葉とは、このような作品を書いていたのか」と、目からウロコが落ちました。

感想

これまで、作品を読んでもいないのに、夭折していることや(享年二十四歳)、一瞬少女にも見えるような肖像画から、樋口一葉は、「一瞬の美しい時を繊細に描く作家」と、思い込みをしていました。しかし、本作を二読して、いたずらに感情に流されず、現実世界をまっすぐに見ていた、骨太のカッコイイ人だと思いなおしました。

創作のヒント

本作は、終盤、それまで行き違ってきた少女と少年の心情が、一瞬、鮮やかに交差します。その鮮やかさが際立ったのは、そこに至るまでの、少女と少年が、丁寧に書き込まれていたからだと思います。

具体的には、次のように書き込まれていたと感じました。
・前提として、二人とも、「相手を思い慕う気持ちは芽吹いていたが、自分ではそれに気づいていない」こと
・それぞれの相手に対する意識の強さは、次のことを書き込み表現する。
 ・少女は、少年に向けた積極的な行動や、少年に対し激しく変化する感情
 ・少年は、周囲に対する羞恥心からとった、少女を徹底的に避ける行動

第8回は、2021年3月9日(火) 樋口一葉作、「にごりえ」の投稿を予定しております。 

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