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追わずにはいられない。私の心の中の美しいあの人


谷崎潤一郎作「少将滋幹の母」は、平安時代を舞台に、「少将滋幹の母」と称される女性と、四人の男たちの関りを描いています。男たちが、一人の女性の中に求め、見出した美しさの意味は、何だったのか?その答えを探したくなる物語でした。

「彼女」と四人の男たち

この作品で、「少将滋幹の母」と称される女性は、在原業平の孫娘とされています。在原業平は、広辞苑ではこう記されています。

在原業平は、平安初期の歌人で、六歌仙・三十六歌仙の一人。天皇の御子の息子。「伊勢物語の主人公と混同され、伝説化された美男子。

この人物の孫娘である「彼女」に、恋焦がれたのが、次の男たちです。
一番目の男は、最初の夫の帥の大納言です。彼は、五十歳も年下の「彼女」を妻とし、一子を得ます。
若く美しい妻に息苦しさを感じるほど執着し、我が宝として大切にします。彼女を失った後も、ただひたすら生身の「彼女」を求め、叶わぬ願いに苦しみ続けます。

二番目の男は、若く美貌の女性が、老人の妻となった身を嘆いていると知り、逢瀬を迫る、少々おっちょこちょいのプレイボーイです。幾度か「彼女」と逢瀬を重ねた男は、ある日、時の権力者に尋ねられるまま、「彼女」の美しさを教えてしまいます(この権力者が三番目の男です)。二番目の男は、権力者の妻となった「彼女」に歌を送り、接近を図ります。しかし逢瀬は叶わず、心の穴を埋めるべく、別の女性に目を移します。

三番目の男は、大納言の甥です。甥であるものの、亡くなった関白太政大臣の嫡男で現皇后の兄という、今をときめく人物。富貴と権勢と美貌と若さに恵まれた驕慢な貴公子と描かれる彼は、大納言の「宝を誇りたい」という心の隙を突き、大納言の宝である「彼女」を、引き出物として奪ってしまうのです。残念ながら、男盛りのうちに亡くなります。

四番目の男は、大納言との間に生まれた男子で、その日記を、会えない母、つまり「彼女」への思慕で埋め尽くします。若く美しい母の像が壊れることを恐れながら、四十年ぶりの再会を試みた彼の様子が、次のように描かれています。

白い帽子の奥にある母の顔は、花を透かして来る月あかりに暈(ぼか)されて、可愛く、小さく、円光を背負っているように見えた。四十年前の春の日に、几帳のかげで抱かれた時の記憶が、今歴々と蘇ってき、一瞬にして彼は自分が六七歳の幼童になった気がした。

四人の男が追い求めた人

年齢や境遇の異なる男性たちが、「少将滋幹の母」と称される女性を「美しい」と崇め、執着し、得ようします。しかし、彼らが、「美しい」と讃える「彼女」の姿かたちは、よくわかりません。

また、「彼女」の人となりについては、次の記述を拾うことができました。
・大納言に嫁ぎ身の不幸せを嘆いている。
・その一方で、大納言のことを「世にも親切なお人で、非常に大切にしてくれる」と言っている。
・大納言との結婚生活中に、プレイボーイに言い寄られ、複数回、逢瀬を重ねている。
・幼い子を置いて別の男の妻となり、子を成している。

何となく「彼女」は、現実と折り合いをつけられる人であり、嘆きや哀しみがあっても、それに執着しなかった人のように思えます。

結局、「彼女」、つまり少将滋幹の母は、誰であれ彼女を思慕する者を「温かく受け入れてくれる」「何をしても許してくれる」そのような広い心持の象徴のように思われてきました。

人は、心の中に憧れの対象の原型を持っているのかもしれません。そして、それに合致するものを現実世界で追い続ける気がします。理想が高いほど、現実に失望することも多いでしょう。そうであっても、「別の形での昇華がある」、そう考えることができたら、少し嬉しい。「少将滋幹の母」を読み終えて、そんなことを思いました。

よろしかったら、「少将滋幹の母」、お楽しみください。
ほんの感想です。 No.04 谷崎潤一郎作「少将滋幹の母」 昭和24-25年(1949-50年)発表


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