この結末から、第二ステージの物語が始まるかも・・・
ほんの感想です。 No.41 武者小路実篤作「友情」 大正9年(1920年)発表
武者小路実篤の「友情」は、読了後、少々そのタイトルを窮屈に感じました。友情にとどまらない青春物語と感じたからです。
登場するのは、片思いに身をよじる主人公。それをクールに見守る親友。「まだまだ子ども」などと言われながら、しっかりと自分の「好き」を見極めるヒロイン。そして、ヒロインを中心に集まってくる人々。
それぞれ考えていることが、わかりやすく記されていると感じました。
結末は、主人公の失恋と、一組のカップルの誕生です。一人一人の考えがわかったせいか、未来の物語を予感したことも、作品の面白さと感じました。
あらすじ
友人の妹杉子(16歳)に会った野島(23歳)は、恋に落ち、彼女との結婚を切望します。杉子の兄仲田は、「まだ子供だ」と言って、妹に近づく男を警戒しています。しかし、仲田家を訪れた野島は、そこに自分と同じ目的の男を見つけて焦ります。自分の気持ちを杉子や仲田に言えないまま、恋ゆえの妄想で苦しむ野島は、親友大宮にその心の内を語ります。
野島は度々仲田家を訪れ、杉子を中心に集まる人々と知り合います。その中に大宮の妹武子がいたことから、やがて大宮も杉子を知るようになります。そして・・・・・・。
結末は、以上の記載と作品タイトルでお察しください。
面白さ①自我の強まり
この作品には、三つの面白さを感じました。一つ目は、明治から大正と変わり、自我の意識がより強くなったと感じた点です。
これは、夏目漱石の「こころ」(大正3年(1914年)発表)との比較で感じられました。明治前半に教育を受けたとみられる「先生」が明治天皇の崩御を契機に自死します。彼は、学生時代に親友Kを裏切り死に至らせ、自責の念に苦しんでいたのです。この「先生」に、「自分」と「自分以外」のどちらを選ぶか、と迫られて「自分」を選ぶことができなかった人を感じます。
一方、「友情」の登場人物は、「友への裏切りを恐れた」ことを述べた上で「恋」を選んだと宣言します。そこに「自分」を選んだ人を感じたのです。
面白さ②行動する女性「杉子」
二つ目は、自分の意志を認識し、行動する女性が描かれていることです。
この作品が発表された年の9年前、明治44年(1911年)から、有島武郎の「或る女」前編となる作品「或る女のグリンプス」が断続的に発表されています。その主人公のような奔放さはありませんが、杉子は、自分の「好き」を見極め、そこに向かって、迷いなく自分の気持ちをぶつけています。
次の「杉子が恋の相手に書いた手紙」から、「野島など眼中にない。ただあなたが欲しい」という心情が強く伝わります。
私はあなたがいないことは考えられません。そしてあなたこそ本当に私を愛して下さるのです。あなたは私を嫌い、私に冷淡を装っていらっしゃる。しかし私のいい性質をそのままに認めてくださるのはあなたばかりです。野島さま、野島さまのことをかくのはいやですが、野島さまは私と云うものをそっちのけにして勝手に私を人間ばなれしたものに築きあげて、そして勝手にそれを賛美していらっしゃるのです。
面白さ③結末からの予感
三つ目は、この物語の結末からの予感です。
結ばれた男女は、それぞれ、自分のために、何をしたいか考え、行動を取りました。同じ目標を認め合った二人について、結末に、結婚する旨が記されています。「友情」に描かれたのはここまでです。
しかし、杉子と彼女が選んだ男性の考えが、うまく描かれていたため、彼らの未来に思いをはせずにはいられません。二人の生活の中で、互いの価値観の違いを知っていく。違いを認め、折り合いをつけて、夫婦としての関係を深めるのか。あるいは、違いに耐えられず離れようとするのか。恋した人々の第二ステージの物語が、いくつも予感されました。
武者小路実篤は、「友情」に先立ち、明治44年(1911年)に「お目出たき人」という失恋物語を発表しています。こちらと読み比べたとき、「友情」の登場人物の多彩さを感じ、それにより華やかな青春物語となっていることを感じました。
ここまで、読んでくださり、どうもありがとうございました。
*有島武郎の「或る女」に関する過去記事です。
*武者小路実篤の「お目出たき人」に関する過去記事です。
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