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スタンダールやラディゲの心理小説の手法を日本の文学で試みた

ほんの感想です。No.11大岡昇平作「武蔵野夫人」昭和25年(1950年)発表

武蔵野夫人を読了後、「恋愛小説には、二つのタイプがあるのではないか」という疑問を持ちました。
ひとつは、愛する二人が、試練にあいながらその愛を確かめる、という物語。今一つは、「恋」をしていると自覚する人の心理をたどる物語です。そして、「武蔵野夫人」は、後者の物語と考えました。

しかし、そんなことを考えているうちに、そもそも「武蔵野夫人」は恋愛小説なのか、と考えてしまいました。というのも、登場人物の気持ちがことごとくすれ違っていて、「果たしてこれが恋の物語なのか?」とまで考えてしまったのです。

あらすじ

「武蔵野夫人」には、親戚にあたる二組の夫婦が登場します。一組は、主人公道子と私立大学の教員をする夫の秋山夫妻。もう一組は、石鹸工場を営み羽振りの好い大野と、そのコケティシュな妻富子の夫妻です。戦中と終戦を経て、それぞれの夫と妻は、危うさを秘めた関係にあります。終戦の年から三年後、そんな彼らの前に、復員した道子の従弟勉が現れ、物語が動き始めます。

ここがおもしろかった

五人の登場人物のうち、大野を除く四人は、それぞれ、ある人物に「恋をした」「惚れた」と自覚する瞬間があります。その後は、彼らは、病にかかったように、「恋」の中に身を置き、相手の気持ちを推量して、通じ合わぬ心に一喜一憂し、やがて疲弊していきます。「武蔵野夫人」には、登場人物のこのような、心の独り相撲が綴られていきます。

ところが、物語の後半でお金の問題が表面化すると、登場人物の人間性が露になり、話のおもしろさが加速されます。「お金がない」という展開が、登場人物を追い込み、とんでもない行動を起こさせる。大人の恋が、お金の問題で破綻していく様は、とてもリアリティを感じます。だからこそ、心が通い合ったと錯覚した「恋の一瞬」は、とても儚い。そんなことを感じた作品です。

「恋愛小説」とは

最後に。電子辞書で「恋愛小説」を引いたところ、次のように、ニッポニカ平岡篤頼解説が、そのものズバリという感じで記しておられました。

「恋愛小説」という名称が、普通、連想させるのは、歴史上のある時代と一定の社会形態を背景とし、ある特定の恋愛観に基づいて書かれた小説作品であろう。それを大別すると、恋愛心理の分析に主眼を置くものと、情熱恋愛の謳歌を目的とするものがある。

さらに、前者は、ラ・ファイエット夫人「クレーブの奥方」、スタンダール「赤と黒、ラディゲ「ドルジェル伯の舞踏会」という具合に一貫してフランスで発達し、大岡昇平「武蔵野夫人」は、そうした系譜の影響下にあるとのことでした。

当初の疑問が解けて、すっきりです。


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日本の近代文学を読んでいます。当初、セルフ・ヒーリングが目的でしたが、この頃は、作品に作者の臭いを感じるようになり、本に向かって、クンクンと鼻をなでつけています。 何か見つかると、とても嬉しくて、その勢いで読書メモを書いています。