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行け。勇んで。小さな者も、そうでない者も。

ほんの感想です。 No.39 有島武郎作「小さき者へ」大正7年(1918年)発表

有島武郎の「小さき者へ」には、母を失った幼子たちに対する、未来への励ましと父の決意が記されていました。

読む上で、「五年後の有島武郎の自死」の事実に、かなり気持ちが煩わされました。それでも、「行け。勇んで。小さき者よ。」という最後の一行には、「言葉の力」を感じました。有島武郎の実生活情報とは距離を取り、その理由を探ることとしました。

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「小さき者へ」に事象として描かれているのは、三人の息子が記憶していない、彼らの成長の時間に起きたことです。

それは、長男の出産に始まります。三人の子の父となったのに、「満足できる仕事ができない」と、結婚を悔やむ夫。熟睡する暇もなく、三人の世話をする妻。そして、運命による夫への罰のように、妻が結核を発症します。「全快するまでは、子どもたちには会わない」と決意した母は、一年七か月後に亡くなります。残された子どもたちは、六歳、五歳、四歳でした。

興味深かったのは、父が、「この小さな書き物を残した」理由です。

最初の理由は、作品の冒頭に記されています。その途中からですが、次のように書かれていました。

お前たちは遠慮なく私を踏み台にして、高い遠い所に私を乗り越えて進まなければ間違っているのだ。然しながらお前たちをどんなに深く愛したものがこの世にいるか、或いはいたかという事実は、永久にお前たちに必要なものだと私は思うのだ。

人が生きる上で、「愛された記憶」が力を与えてくれる、と言われている気がします。

もう一か所は、ここ。

世の中の人は私の述懐を馬鹿々々しいと思うに違いない。何故なら妻の死とはそこにもここにも倦きはてる程、夥しくある事柄の一つに過ぎないからだ。そんな事を重大視する程世の中の人は閑散ではない。それは確かにそうだ。然しそれにもかかわらず、私といわず、お前たちも行く行くは母上の死を何物にも代えがたく悲しく口惜しいものに思う時が来るのだ

まず、「多くの人が妻や母の死を経験しているのだから、ひとりだけ悲しいような顔をしてはいけない」という前提があることを感じます。すると、「家族の死は、つらく悲しい。だから、彼らにまつわる記憶を残すことは必要なのだ」という、現代では当然に思えるものが、当時は、強いメッセージだったように思えてきます。

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「小さき者へ」の最後は、次のように記されています。

 小さき者よ。不幸なそして同時に幸福なお前たちの父と母の祝福を胸にしめて人の世の旅に登れ。前途は遠い。そして暗い。然し恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。
 行け。勇んで。小さき者よ。

もし、小さき者に、同じ言葉を伝えようとするならば、自分も父や母、あるいは誰かからそう言われていることを思い出したい。あるいは、夢想したい。そうでなければ、自分の言葉の中に嘘を感じてしまう気がします。

ここまで、読んでくださり、どうもありがとうございました。

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