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憧れの “かの人”

私には大学に入ってから憧れている人がいる。

その人に抱く感情に“憧れ”という名前がついたのはつい最近のことである。

その人とは先輩を通して知り合った。
はじめて会った日は湘南に行く夜間ドライブの車の中。
彼女は二子玉川から乗車してきた。その日は映画を観ていたという彼女。

軽やかな自己紹介。初対面ながら自分の家庭環境のことをおずおずと話したのを覚えている。この人になら話せるという人を包む力を彼女からたしかに感じたからである。
彼女も母親との関係で思うことがあったようで話が合うところがあった。

それからというもの、定期的に彼女と会うようになった。はらっぱで最近考えることを話したり、彼女がそのころブームであったバナナケーキを一緒に食べに行ったり。
特別なことをするわけでもないがその時間は私にとって非常に刺激的であった。

彼女は実に人にモテる。
人を惹きつけるのだ、無性に。
私もきっとその魅力に魅せられたその一人に違いない。

なにがそんなに人を引力のように、磁石のように惹きつけるのか。

まず彼女にはユーモアがある。
絵を描くことで発揮される彼女の独創性。個性。
彼女の生活には遊びの余地がある。
クスッと笑えることを彼女自ら考えだしたり見つけ出したりしてそれを周りに広げてくれる。

彼女の生活は発見で満ちている。
日常の他の人には普通のこととして消化されてしまう些細なことが彼女の眼にはspecialに映る。
彼女はジェンダー・セクシュアリティにまつわる社会学について学んでいる。それにまつわる知識は驚くほど豊富にあり、私も気付かされることがたくさんある。
世の中の「あたりまえ」を疑うの学問のあり方がそのまま彼女の生活にも表れているように思う。
違和感にも目をつぶらない。そして違和感を違和感として綴る言語化能力が彼女にはある。

彼女がその一つ一つをシェアしてくれる時間がどれだけ刺激的で考えさせられるか。

そして生まれるこの感情。
彼女の眼にこの世界がどのように映っているのか知りたい。
皆きっと切実にそう思うのだ。

魅力をあげるときりがない。
そんな彼女が言っていた。
「私は常に脆くありたい」
好奇心旺盛、いろいろなことを感じる感受性の強い彼女らしい言葉だった。
感じることにはきまって伴う「痛み」。
自分を蝕むこともある痛みだが、「感じること」に重きをおく人生というものが見えた気がした瞬間だった。

この言葉はいつしか私の生きる上での指針のようなものになった気がする。

そんな彼女に私は憧れ、こうしてnoteを書いたりしているわけである。

彼女が抱きしめてくれたとき


彼女は今遠い地にいる。
そこでも彼女は自身の鋭い感受性でいろいろなことを「感じて」いる。
そこで吸収したものをぜひ帰ってきて聴かせて欲しいものである。

これからの彼女の活躍を楽しみにすると共に、
私も負けじと、その背中を追い続けるのである。

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