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映画「福田村事件」を見て想うこと。

近年見た映画の中で断トツの問題作であり衝撃作


この映画を見るまでは何も知らなかった。


関東大震災発生直後の1923年9月6日午前10時に、現・千葉県野田市(旧東葛飾郡福田村)で起こった、罪のない日本人がデマに過剰反応した日本人に集団リンチされ10人があっけなく虐殺(殺されてしまった)された事実があることを(「事実」をこれ以降「事件」という)。

2023年11月22日に映画館(キネカ大森)で見た。その時の衝撃は以下のポストのとおりである。このnoteを見たあなたで、まだ見ていない方は、今すぐ映画館に行って見ることを薦める。内容が内容なだけに大型シネコンでは一切公開されていないことには留意されたい。


事件から100年経った2023年9月にはじめて事件が映画化された月日は余りにも長すぎないか。それまで加害者側、被害者側が口を閉じ真実を語らなかった。いや語れなかったことによる。

しかし明らかな殺人事件であり、粛々と法律に基づき処罰されるのは当然として、二度とこのような事件を起こさないためにも一人でも多くの日本人にこの事件を知ってもらう必要があるのではないか。

この映画を制作した森達也監督は、オウム真理教問題で信者に取材して真実をありのまま報道しようとした稀有なジャーナリストである。「A」、「A2」を制作している。

また2013年に「福田村事件~関東大震災・知られざる悲劇」を上梓した辻野弥生氏の本は、昨今体たらくなジャーナリズムに喝を入れるほどの徹底的な取材に基づいて書かれた事件の真実に迫った渾身の暴露本である。映画だけでなく辻野氏の本も読まれることを推奨する。事件の現場にいたものの奇跡的に生き残った藤田喜之助氏(仮名)の8ページにわたる当時の惨劇を克明に記した手記は歴史的資料だと思う。

この事件は「絶対」阻止できた。これは人災である。普通の日本人が普通の日本人をあっけなく殺してしまったこの事件。事件を阻止するためにすべきだったことの自分の見解を述べることで被害者への鎮魂歌とさせていただきたい。また二度とこのような惨事を起こさないためにも一人でも多くの日本人にこの事件を知っていただきしっかりと考えてほしい。

人災① 国が嘘を拡散させたこと

「不逞鮮人が放火している」、「不逞鮮人が井戸に毒を入れた」などのデマが出だしたのは自然発生だったんだと思う。デマとはそういうものだ。

地震発生直後の9月2日以降からデマが出現した。いわゆる「流言蜚語」である。しかしだ。しかしである。
なんとその直後の9月3日、日本国政府(内務省警保局長名にて)がこのデマを公式見解として行田船橋海軍無線送信所から全国に打電してしまったのである。これこそが最大の失態だと感じている。いわゆる「福田村事件版大本営発表」だ。

人災② 国が拡散させた嘘が嘘とわかったものの嘘を嘘と訂正しなかったこと

そのデマ拡散について日本人の一部は事実と異なるのではないかと疑ったようである。もちろん、政府、マスコミにもデマに疑念を抱く人はいたはずだ。しかしながら一切国公認の全国にばら撒いた官製デマを撤回しなかった。これが日本特有の誰も責任を取りたくないDNAを持った日本人が今もし続けていることではないか。特に国が嘘をついた時が一番たちが悪い。まず絶対謝らないし撤回もしない。無視するのだ。もし再度デマ取り消しの打電を間髪入れずに行っていたらこの虐殺事件は起きなかった可能性がある。

人災③ マスコミが国の意向を忖度して真実を報道しなかったこと

マスコミが「不逞鮮人が不当に虐殺されている」ことを報道したのは関東大震災から約2か月が経過してからだ。2か月の間でどれだけの朝鮮人(日本人を含む)が不当に虐殺されたのか。言葉が出ない。国の大本営発表は真実とは限らないし、国の政策がすべて正しいとは限らない。言論の自由が脅かされている今の世界、特に日本において反面教師にすべき事案ではないか。もはや国のポチと化した日本のマスメディア。ジャーナリズム精神を持った勇気ある人材が多く輩出され・現れ日本を救ってくれることを祈念する。

番外編①:コロナ騒動と同じ構図

「群集心理」、「同調圧力」、「全体主義」、「集団行動」。
コロナ騒動で改めて知った怖い人間心理の4字熟語だ。まさしく鮮明に思い出すんだ。2020年の安倍首相による史上最大の愚策「全国小中学校一斉休校」、「第1回緊急事態宣言」全面解除後の日本のあの空気感である。
全面解除直後の安倍首相の会見を見ていただきたい。

動画を見ればわかるはずだが、国は「これで終わり正常化に戻す」と認識していたはずだ。これは間違いない。
しかしだ。
国民が当時の政府の意向を無視して、世界のコロナ政策、医師会、アホな医クラらのコロナは恐怖の感染症デマを信じ一気に日本で「ゼロコロナデマ」が拡散、それを国が後づけで業界ガイドラインなるもの(義務化ではないもののガイドラインをたてに航空業界、小売業界、ゲーム業界などはカンセンタイサクを国民に強要した人権侵害を犯した)を作成し、3年半もの間、過剰である意味無駄なカンセンタイサクを強要させたのである。そう国がデマに加担したのである。

デマが拡散することによる弊害・恐怖。

今回のコロナ騒動で如実にあなたも経験したのではないだろうか。

ワクチン接種強要、マスク強要、カンセンタイサク強要、国の方針に反するやつは非国民であるような風潮・・・・・。

集団心理が悪い方向に働き、無思考な国民が、少数派、罪のない者、弱者をあっさりと追い詰め抹殺してしまうのがデマ拡散の最大の怖さなのだ。

二度とこのようなことが起こってはならない。一日でも早く利害関係がない第3者機関によるコロナ対策の検証を求めたい。

番外編②:被害者が香川県の薬の行商人で被差別部落出身者だったことの影響

個人的には結果論だと考える。こんな偶然が重なるんだとも思うが加害者側が理解していかどうかは甚だ疑問である。それよりも「朝鮮人は悪者だ」というある種の官製デマによる洗脳状態にあり、単純・素朴に被害者を「悪」とみなしたうえでの短絡・軽率な行動だったのではないか。この問題はここは至って単純な動機だったんだと思う。国のお墨付きがあるのだからなおさらだ(森監督も言っているように、今の日本社会でも福田村事件と同様に、普通の人が普通の人を殺してしまうシチュエーションになればいつでも起こりうるから怖いんだと思う。だからこそ映画にして国民に気づいてほしいと願っているのだ)。

番外編③:井上英介氏への反論

2023年12月9日毎日新聞朝刊「井上英介の喫水線~映画福田村事件の軽さ~」を読んだ。唖然とした。そう違和感を感じたのである。

引用記事① 井上英介の喫水線 映画「福田村事件」の軽さ
引用記事② 池上彰のこれ聞いていいですか?負の歴史、忘れようとする日本 森達也さん「自分のために記憶を」

以下一部引用する。

震災では「不逞鮮人(ふていせんじん)が混乱に乗じて放火した」「井戸に毒を投げた」などのデマが広がり、朝鮮人数千人が殺されたが、日本人が襲われたこの事件を私は知らなかった。作品は、終盤の襲撃場面に向けて加害側の村人たちと被害側の行商団員を淡々と描く群像劇だ。作品を評価する人には申し訳ないが、見終わってげんなりした。

2023年12月9日毎日新聞朝刊「井上英介の喫水線~映画福田村事件の軽さ~」


井上英介氏は、先般2023年11月4日毎日新聞朝刊に掲載された「池上彰のこれ聞いていいですか?」において池上彰氏と森達也監督が対談した記事を引用して以下主張もしている。

被害者の描かれ方だ。行商の子孫は作品を見てどう感じたのか。今も差別に苦しむ香川の犠牲者の故郷を訪ねた。その末裔(まつえい)に当たる男性は怒りを含んで私に言った。「行商を面白おかしく描き、ばかにしていると思った」
部落差別は現に存在し、男性の詳細は明かせない。彼は映画のおかしな描写を列挙した。行商のリーダーが道中、怪しげな山伏姿で薬を売るシーンもその一つだ。「がまの油みたいなニセ薬を売る設定だが、事実に反する。当時の行商はまっとうな商売をしていた」と言う。

2023年12月9日毎日新聞朝刊「井上英介の喫水線~映画福田村事件の軽さ~」

井上氏は映画に何を期待するのか。このようなことを主張することはもちろん自由であるが、少し偏りがあるように思えてならない。あくまで映画である。森達也監督の意向のもと(ストーリー性を持たせるために)に各要素が作りこまれているのであるから、この一部を切り抜いて映画全体が「軽い」と一刀両断するのはあまりにも行き過ぎているのではないか。

一方、ジャーナリスト池上彰氏との対談では「100%フィクションだ」と語った(毎日新聞11月5日朝刊「負の歴史 目を背けぬ」)。完全なフィクションだと主張しても、事件名をタイトルにとり、「史実に基づく創作」などのことわりもない。そもそも、実際に起きた知られざる事件という史実の迫力が観客を引きつけたのではなかったか。

2023年12月9日毎日新聞朝刊「井上英介の喫水線~映画福田村事件の軽さ~」

100%フィクションであるというのは井上氏の曲解だ。文脈を確認すれば明らかに違うことは明白である。
福田村という地名、関東大震災直後のデマ拡散による殺人、これらはフィクションか。それは詭弁である。また「史実に基づく創作」のことわりがないとの記述も事実誤認である。この映画は事実(史実)に基づいた映画であることは疑いようがない事実である。したがって上記引用はすべて曲解であり、思い違いである。

被害者側の描写の一部を酷評して、当該映画全体が「軽い」とすることにとても違和感を感じたため特別に追記した。ましてや大手新聞の論説である。ちなみに私自身、被差別部落出身者ということは虐殺に無関係であり、事件後に発覚した事実だったのではないかと考えている。なぜならば、福田村事件以外にもかなりの数の日本人がデマにより虐殺されているからである。ここは判断を慎重にするべきだし冷静になるべきだと思う。判断は読者に委ねる。

目の前で知り合いが虐殺されるのを見る虚しさ「何でよ・・・」

とにかくなんでこうなるんだというのがこの映画を見た率直な感想だ。出演者の一人が誰に文句を言えばよいのかわからず放心状態でつぶやく「何でよ・・・・」が端的にこの事件を表している。

何でこうなるんだ。

国民一人一人が見て考えてほしい近年稀にみる名作・問題作・衝撃作だ。

映画『福田村事件』公式サイト

こんな映画を見た日にこそ元気になりたいpositive song -ASKA~晴天を誉めるなら夕暮れを待て~

最近のASKAのポストは革新的である。覚醒した感がある。真実を追求する心意気は敬意を表したい。確かに過去の罪は消えない。でも限られた人生の中で人々を歌で勇気づけてきたことを否定する人はいないだろう。ASKAの歌で一番好きな歌はこの歌だ。ありがとうASKA。ASKA65歳。人生はあっという間 Stay Positive!!

今日は熱くなりました。久々のnoteをお読みいただきありがとうございました。

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