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東京オリンピック2020について再び考える 以前の読書で引っかかっていたことについて思索する

ここのところ報道で皆さんご存じかも知れませんが、東京オリンピック2020で大規模な不祥事があったようです。
その詳細については現在捜査中であろうし、個人的に捜査内容について思索するつもりは現在のところありません。
しかし、一連の事件が報道されてきたとき、ふと東京オリンピックについての著書を読んだときに心に引っかかった棘みたいなものがあった 、ということについて思索してみたいと思います。

東京オリンピック2020関連のnote記事を以前に執筆した

東京オリンピック2020が終わり、年を越して熱狂も一段落したところで東京オリンピックに関しての著書を複数冊読み、note記事をアップしました

記事を書いたときにすでに少し引っかかるところはあったのですが、それほど大きなことではない と思っていました。

開催決定で、個人的に引っかかったところ

「現代オリンピックの発展と危惧1940-2020」の書評のところで、20年東京大会の問題点として、私自身大事な論点として、理念がない 、というところをあげています。その中で、「東京大会開催は返上させてパリ大会でコロナからの復興高いにしようと思っていたが、それにJOC上層部が反抗して、大会を強行する方向に行った 」というような内容を書き記しました。
上記はこのとき読んだ3冊の著書の内容を総合して考えたこと なのですが、確かに執筆時は「海外(=IOC)の陰謀論 」として捉えられなくもないな、とも思いました。

それと同時に「新東京オリンピック・パラリンピック物語」の書評の記事において、「印象に残ったフレーズやセンテンスは何か?」という読書ノートの質問について件の容疑者に野地氏がインタビューして執筆された記事があり、いくつかの容疑者の言葉を取り出しています。
その中に以下のようなものがありました。

子供たちに芝生のあるところで遊んでもらいたい。サッカーでなくとも良い。子供たちに芝生をあげたい。

人気がそれほどないスポーツにとってはオリンピックしかないんですよ。オリンピックがなければ潰れます。(中略)弱小スポーツはオリンピックしかない。

じじいが前に立つのはやめさせないと駄目だ。子供を大切にしないとオリンピックは成功しない。(中略)2020年の東京大会を中心になっている連中ってのは、1964年のとき、子供だった奴らなんだよ。

等の文言を小理屈野郎は引用し、感じたところを書いています。

記事にはしませんでしたが、執筆時に私は、以下のようにも考えていました。

  • 芝生のあるところで遊んでもらいたい、というのなら公園や空き地などの緑化も一つのやり方では? (オリンピックで芝生を普及、とは雀を大砲で撃つようなもの だなあ)

  • 弱小スポーツはオリンピックしかない、というのも偏狭な考え方 で、スポーツとはオリンピックで勝つことだけが目的ではなくレクリエーションとしてのスポーツの楽しみ方もあると思われるし、その旨は石坂氏の著書にも言及していたので、少し強引だな

  • いろいろあるが、先立つもの(お金)がある方がいい しそういう意味では千載一遇のチャンスかも知れない

  • ただ、オリンピックだから引用したような発言(発想)もありかな 、とも思う

報道を聞いたとき

突如として東京オリンピック2020の不祥事の報道が始まりました。
容疑者の名前と元々勤めていた広告代理店の名前を聞いて、あれ、これ、読了本の中で触れられていた人かな? とすぐに思ったことと、その後の報道の詳細をみていると、この人のことだな 、ということがすぐに頭の中で結びつきました。
この人がいたから、オリンピックは開催された 、という風な感じで小理屈野郎は理解していたので、棘のように引っかかっていたところはますます気持ち悪いものになってきました

今回の不祥事が動き出したときに思ったこと

今回の不祥事が本当にあったとすると、東京オリンピック2020はじじいが、前に立って差配した (かなりダークな意味でも)、ということです。容疑者はそれを見越して?危惧して?じじいから目をそらすための発言? とも受け取れました。執筆時は好々爺的な発言か、と思いあまり深くは考えていませんでした。

今となって読むとどれも非常に意味深 に感じます。だからこそ心の中に棘のように引っかかっていたのだろうと考えました。

ここからは小理屈野郎の邪推です

容疑者としては、あちこちに融通を利かせ、自分はそれで結構のお金を手にしており、その上で中止となったとなれば、もめそうだし、自分の今後の仕事にも響く可能性も十分あります。
そしてひょっとしたらIOCも今回の騒ぎをなんとなく聞きつけていたのかも と考えることも出来ます。それであれば、IOC幹部は容疑者をIOCの理事から外すように当時の当時のJOCのトップである森元首相に要請したとのことも理解が出来ます。(理事から外すことの要請についての記述が著書内にありました)IOCとしては中止とした方が自分たちの体面が傷つかないので万々歳 だと考えたとしても不思議ではありません。
こんな状態であれば、容疑者は開催を強行することが一番自分にとって丸く収まるソリューションだった 、と考えるのが自然かも知れません。
オリンピック後の野地氏のインタビューの内容をみると、大上段に語っていて、オリンピック以外でも容疑者が語った内容は実現可能なのに… となんとなく棘のように自分の気持ちの中で刺さっていたことの原因が上記の邪推と一致しないことを願いたいところです。

まとめ

今回、東京オリンピックの一連の不祥事について、個人的に気になることが前からあったこと、そしてそれについて思索してみると、不祥事のようなことがあったから読了後そのような気になることがあったのではないかと考えられました。
読書をしていて引っかかるような感じがあることはどんな著書を読んでいても多かれ少なかれあります。それについてどのように思索していくのか、掘り下げていくのか、ということの難しさを感じました。


今回のこの「棘」のような感覚は、ある意味フラグとしては非常に良かった (それなりにちゃんと著書を読んで自分で消化していた)とは思いますが、その後個人的な対応不足(思索の不足) が露呈してしまいました。
今後は小さく引っかかったことであっても、心の中にしまい込んでおくのではなく、さらに思索したり、しっかりと記録を残しておく方が良いな と考えました。

読書、愉しいけど難しいですね…
読書に対する根本的な姿勢をもう少し良い意味で懐疑的・そして批判的(吟味的)にしていこう と思います。

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