瞑想習慣やめてみた
私は半年前の2022年1月6日までの459日間、1日も欠かすことなく瞑想を続けていた。途中で思い付きで英語題名に変わってはいるが。
そして、その日を境に瞑想の習慣をやめてしまった。
瞑想の効果は確かにあったし実感もしていた。それは例えばこうだ。
事実と感情や主観を切り離せるようになった
怒りを制御し、行動を抑制できた
自分を律し、人間関係を劇的に改善できた
その恩恵なのか出世し、昇給し、彼女もできた。
さて、ここで私は慢心した。
これはもう自分が変わったのだと考えた。
自分の持って生まれ、今日まで日々培われた人格は、このわずか1年94日の間に完全に書き換えられ、上位の人格へと上書きされたのだと妄想した。
瞑想の習慣は無駄な時間で、これに頼らなくても自分はやっていけるし、1日の最低1分以上を瞑想の時間に充てるコストを払わずとも、瞑想の恩恵だけを受けられるのだと有頂天となった。
もし、この記事の読者の中で、瞑想に満足してやめたいと思っている人がいれば、少なくとも459日では満足しないことをお勧めする。
なぜなら、この効果は、例えばH×Hの”誓約と制約”のように、”定期的な運動”のように、”読書習慣”のように、続けることでその効果を最大限発揮できるものだからだ。
標本数1の体験談に過ぎないが、それでも460日は続けてからやめてもらいたい。
瞑想は心の基準点を作り、感情が事実と離れた化学反応であることを、我々に思い出させてくれる行為なのだ。
感情(解釈)と意思と行動を決定しているのは常に自分自身であることを、私は忘れがちになる。
日々全力で生きていれば、自然と心はかき乱される。かき乱された心には平静を取り戻す時間が必要なのだ。
全力疾走後に息を整える時間が必要なように。
私は、今、再び頻繁に現れるようになった、怒りをはじめとする仕事熱心な感情や、迫りくる数々の妄想的な不安と人生をかけて向き合うこととなった。
そして逆説的ではあるが、瞑想の効果を以前より明確に実感したため、これに十分にコストを払うこととした。
補足
周りで同じように瞑想をしている人もいるが、やり方なのか全く効果が出たりでなかったりするようだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?