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「我慢」について 📕〈叱る依存〉が止まらない / 村中直人 著〉📕

目的のための自発的な我慢と、
他者から強要された我慢は、まったく別の体験
〈叱る依存〉が止まらない

先日、この言葉がとても印象に残った。
僕が購読している、こちらのnoteで紹介されていた。


取り上げられていた本もとても面白かった。


僕は普段、会社の役員を務めている。
特に、チーム作りに関しては常に試行錯誤を繰り返している。

「企業努力」という言葉がある。
これは、お客様の満足のために、企業=全従業員がそのために努力をして行くという意味。

努力には我慢がつきものだと思う。
何かに我慢し、日々精進する。
心身のコストを日々払って、少しでもお客様の満足につなげる。

そこで先程の文章が刺さった。

努力に紐づけられた「我慢」が、自ら選び取ったものか、他者=会社から強要されたものなのか。

側から見たら同じ「我慢」でも、大きく意味が異なる。そして、発揮されるパフォーマンスも異なる。

外発的動機を原動力にした努力や我慢は、
内発的動機を原動力にしたそれらにはかなわない。

つまり、企業努力のパフォーマンスは、
いかに「努力」「我慢」を強いるのではなく、従業員自らが選び取るものに「変えられるかどうか?」にかかっている。

「社会人として所属組織の成長に貢献するのは当たり前だ」

というのは、「義務」や「べき論」をまとった「建前」。


これからの企業、チーム作りは、
組織の成長と社員の欲求の接点を模索し続け、両者がWin-Winになるような方向で、試行錯誤しなければいけない。

改めてそう思った。

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