「力が全て」という救いの言葉
『この世は力だ。欲しいものは力で奪い取るのです。』
大河ドラマ「どうする家康」の4話にて、市(北川景子)が家康(松本潤)に向かって放った一言。
この一言がとても刺さりました。救われたと言ってもいいかもしれない。
戦国の世は、実力至上主義。強者が弱者を虐げ、搾取する。そんな絶望的な状況の連続。
信長から今川家を滅ぼせと命じられた一方で、今川家に妻子を人質にとられている家康。妻子を取るのか、信長との関係を取るのか。この2つを天秤にかけられ、どちらかを選択しろと迫られる。
そんな時に、市は家康へ「力」について説いた。弱肉強食のこの世界、欲しいものがあるなら力で奪い取れと。これは一見絶望的なフレーズに感じられるかもしれない。
弱者は甘んじて搾取されるしかない。そう暗に伝えている。
でも、家康はそこに気づきを得る。
力で今川をねじ伏せ、領地を自分が支配する。妻子の命も信長との約束もどちらも守る。
悩みが払拭され、覚悟が決まる。信長に突きつけられた刀を、素手で受け止めるシーンは「力」を象徴するようだった。
自分自身もこの言葉に希望を見出すことができた。
しんどくて、どうにもならない状況。欲しいモノ、叶えたいことが渦巻いて迷子になっていた時に、この言葉が染み込んできたのだ。
そうか、欲しいものは力づくで取りに行けばいいんだ。
叶えたければ、自分の足で踏み込めばいいんだ。
マッチョな考え方だし、抽象的だけれど、心に風が通る感じがした。(自己啓発本の効能と少し似てる)
さまざまな思惑であったり、悩みを解いてくれる。
きっと物事をシンプルに捉え直させてくれたのだと思う。
「難しいことは考えずに、力をつけてあなたの欲しいものを取りに行きなさい」
そう言われているような気がする。
もし仮に、力を手に入れて、その結果失敗したとしても
ひと回り大きく、魅力的に成長した自分が残る。手元になにも残らないわけじゃない。
受験勉強を必死に頑張って、その結果志望校に落ちたとする。
それでも勉強したものは残る。知識自体が実生活で役に立たなかったとしても、努力が体に刻まれる。
個人的な話だけれど…小学生の頃、中学受験の苛烈な努力が、いまだに背中を押してくれることがある。
26歳になった今でも。
好きな女の子に振り向いて欲しくて、服装や髪型、ダイエットに励んだとしよう。
その結果、たとえフラれたとしても「最高に素敵な自分」が残る。
賭けたお金がゼロになってしまうギャンブルとは違う。
だからこそ自己投資しなさい!と巷で騒がれているし、YouTube上に腐るほど自分磨きのハウツー動画が溢れているのだ。
リベラルアーツだ、教養としての〜、投資としての〜といったタイトルの書籍が、ここ数年で爆発的に増えた気がする。
みんな鼻につかない程度に、「意識高くあろう」と必死なのだろう。自分も同じだからわかる。
少し口が悪くなったけれど、お市様の一言で家康だけでなく自分も息を吹き返した。濁っていた心が少し洗われた。目が覚めた。
ことばって、たまに思ってもみない力を発揮するからやめられないよね。
言葉のプロフェッショナルが書き、大河ドラマに抜擢されるような一流の表現者が演じるのだから響くのは当然なのかもしれない。
僕たちの目に触れる前に、信じられないくらいの試行錯誤、推敲を重ねているはずだし。
比べてしまったら、僕が書いた文章なんて、まだたかがしれている。(このページを開いてくれた方には申し訳ないけれど)
それでも自分がたくさんもらった分、いつか別の誰かに返せるような、そんな言葉が描けたらいいと思う。コピーライターとして。
物語もあわよくば書いてみたい。いつか。
大河ドラマって沁みる名言・格言の宝庫だね。ひとつ前の「鎌倉殿の13人」も然り。途中で一時停止して、ノートにメモしながら見てしまう。
だから、純粋に楽しめていないかもしれない。
なぜこんなに魂がこもるんだろうか。メモしたくなるんだろうか。
お侍さんたちに、〜でござる調でしゃべらせてるからだろうか。
脚本家は現代人なのに、古典のありがたいお言葉のような風格が宿っている。言葉の質の高さは前提として、視覚的な影響は多分にあるのかもしれないよね。
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