1986年はじめての海外 アメリカ #6 ソフィーと過ごした夏
ここからの続きです。
『どのシリアルがいい?』
映画でしか見たことのないような広いスーパーの長いレーン一面に広がるシリアルコーナーでホストマザーが聞いてきました。
当時、日本ではまだシリアルという言葉はメジャーではなくて、コーンフレークと一括りに言っていたような時代で、種類もトラの絵のコーンフロスト、それとチョコワ、チョコクリスピーくらいしかありませんでした。
私は選べないくらい陳列された沢山のシリアルと、日本の何倍も大きなシリアルの箱に圧倒されていると、ソフィーが良さそうなものを一つ一つ説明をしてくれました。
私はオマケに惹かれてアップルジャックスというシリアルを選んでみました。
このアップルジャックスに切ったバナナを入れて牛乳をかけて食べる日が毎日続きました。たまにソフィーや弟のジェイクのシリアルと交換して食べたものの、甘いシリアル生活は1ヶ月続きました。
平日は朝から姉妹校に通って一緒に来たみんなと英語のクラスなどを受け、午後からはずっとソフィーとソフィーの友達と過ごしました。
ダウンタウンのパイオニアコートハウススクエアでただウダウダとマクドナルドのシェイクやフローズンヨーグルトにポテトをディップして食べたり、レコード屋さんに行ったり、古着屋さんに行ったり。
やること、行くところ、お店屋さん、全てにアメリカを感じたけれど、やっている大きな流れは私が学校帰りに渋谷でやっていることと同じでした。
ホストファミリーの家ではテレビを見ないので、夜ご飯の時間がすごく長く、食後もフルーツを食べながら家族が会話をする時間になっていました。
私がいるからとかではなく、そこには子供一人一人が尊重されて、意見や希望を素直に言える素敵な空間がありました。
私の日本の家は、父は毎日帰りが遅く、夕食は皆んな揃うこともあまりなくて、食事中もバラエティー番組やニュースなどテレビを見ながらの食事。父がたまにいる時は野球を見ながら。それにいつも会話などなく、そもそもこのアメリカ行きだって親が決めたこと。これはすごくありがたい選択だったけれど、親の意見に従うのが常で、自分の意見がなんなのかもわかっていませんでした。
ホストファミリーやソフィーは、いちいち私に『どうしたい?』と聞いてくれるけど。。
シリアルも1人で選べなかったし、食べたいおやつもソフィーまかせ。
もっと私がどうしたいのか、何がしたいのか、人と違ってていいんだということを初めてわかって、自分の気持ちを自分でしっかりと把握していこうと初めて思いました。
そして毎日、私の気持ちや心を大切に扱ってくれることに感動して過ごしました。
ソフィーはとても穏やかで優しく、アメリカ独特のオーバーリアクションをする感じが全くない、ちょっとロンドンを意識しているようなファッションを好む女の子でした。
意志がはっきりしているけど、違うどんな意見も全く批判せずただただ受け入れてくれる。こんな感じは今まで出会った人にはなかったのでとても新鮮で、こんなふうになりたいな。という思いでいっぱいでした。
ソフィーと私は本当に日本と変わらないルーティーン、当たり前のように毎日ダウンタウンでレコード屋と洋服屋、古着屋を徘徊するという日々を過ごしていました。
ただ金曜日と土曜日は私の日本の日常とは違って、ライブを見に行くというイベントがありました。
ライブと言っても小屋みたいなところで、名もしれないバンドが演奏しているという。。
ポートランドはこの時、とってもオルタナティブで、パンキーな感じもあってそこにビートニクやヒッピーな感じが合わさった、何とも言えない感じがありました。
シアトルのサウンドガーデンやグリンリバーに影響されていたのかもしれません。
パシフィックノースウェストの独特な空気感が忘れられずに私はこの何年か後にシアトル留学を決めたのですが、どの雑誌にもどの情報にも無い、独特な感じがあったんです。
西海岸と言えどもあの陽気でポップなLAメタルのチャラっと感は大人に作り込まれた何かで、それは広がってはいるけれど、実質LAだけなんだと実感しました。
小屋のライブはライブハウス的なものや、ダウンタウンや商業施設で行われる立派なやつではなく、農家の小屋や、馬小屋跡地?のようなところが多くて、演奏がうまい下手は関係なく、とにかくやってみよう!とにかく実践!のアメリカならではの精神を感じました。
日本はメンバーが決まって練習して練習してOKになってからライブになるけれど、アメリカはとにかく実践が練習。メンバーが集まったら、とりあえず即ライブなんだな。と。
小屋のライブは椅子もなく、体育座りやあぐらをかいて1グループ1本もらえるコーラを回し呑みしながら過ごしました。
聞くに堪えないライブもありました。中にはお客さんが私たちだけという回もあったのですが、この畑の小屋でなぜかパンクの人たちと一緒に過ごす時間がとても特別に感じていました。
時間になるとホストファーザーやソフィーの友達のお父さんなんかが車で迎えにきてくれて、人数が多いとピックアップのトラックで迎えに来てくれました。
来ていたパンクの男の子などもまとめて送ってくれるのにもアメリカを感じました。
こんな楽しい生活の中、ソフィーと良く聞いたレコードはビートルズのリボルバー。
ソフィーの持っているレコードで、この音がなんとなくしっくり来たんです。
ソフィーもそう思ってくれていたのか、途中からずっとレコードを変えることなく過ごしました。
MTVで世の中ワイワイと流行りの音楽がかかっている中、2人はリボルバーの音が止まるとB面にひっくり返して針を落とし、またA面に針を落とし、繰り返し繰り返し聴きました。
何か特別な所に行ったわけではなかったけれど、毎日が特別だった1ヶ月。
初めての海外、初めてのアメリカ。日本の日常とは全然違う全く違う時間をソフィーと過ごしたことを今でも昨日のことのように新鮮に覚えています。
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