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置かれた場所で咲きなさい

こんにちは🌟 お久しぶりです!

長らく更新が出来ていませんでしたが、、とても元気にしています!

DELIHEARTの過程を見守ってくれている方、
いつもありがとうございます。

DELIHEARTについてですが、試行錯誤しながらも
少しずつサービスとしての形が見えてきています。

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さて、今日からまた少しずつnoteの投稿をしていきたいと思います。
このnoteでは、家族や友達、大切な方に感謝を伝えたエピソード、家族に対して思うこと、などの声を集め掲載しています。

「こんな風に感謝を伝えている人がいるんだ!」

「私も両親との向き合い方、改めて考えてみよう」と

1人でも多くの方に何かしらのメッセージを感じてもらえたら嬉しいです。

今日は私の友人である「なみさん」が、お母さんに対して抱く想いと、そこに至る過程を共有してくれたので、掲載します。


置かれた場所で咲きなさい

名前:なみ
年齢:21 歳
性別:⼥性
職業:⼤学⽣


⽬が覚めると⽤意されている朝ごはん、家に帰ってきたと実感できる夜ごはん。
晴れた⽇の休⽇、ピクニックに来た公園で吹き合うしゃぼん⽟。

これは私が想像する幸せな家庭。でも、


「私は、いつの⽇か⾃分の家が幸せな家庭になってくれたらという幻想を、いまここに捨てる。私は、もし親がああではなかったら、もしこうだったなら、などという希望や願いを、いまここに捨てる。私は、⼦供の時に親を変えるために何かできたのではないかという幻想を、いまここに捨てる。私は、愛情ある素晴らしい親を持つことは永久にないであろうということを、いまここにはっきりと⾃覚する。私は、そのような親を持てなかったことを、深く悲しむ。だが私は、この現実をそのまま受け⼊れる。そして私は、すべての幻想には永遠に、そして⼼静かに、別れを告げる(フォワード, 1987=2001, p. 247)。」




なぜ私がこのような宣⾔するのか。その理由を過去の親※¹の発⾔から紐解きたいと思います。




①あんたが幸せそうなのがムカつくんだよ

 私が⾃分で申し込んで⾯接を受けて合格した海外研修で、いざ親が同意書(当時は未成年)を記⼊するとなった時に⾔われました。なぜなら、私が⾃由という幸せを掴んでいるのがムカつくから。
 私の親の親、つまり私の祖⽗⺟は私の親よりさらに厳しく、私の親は結婚するまで⾃由に⾏動ができませんでした。
だから私の親は中野(2020)が提唱する「⽩雪姫コンプレックス(ibid., p. 37)※²」を持っていると考えます。「⾃分の娘であるはずの彼⼥の能⼒が誰かにほめられたり、⾼く評価されて何かを受賞したりということを⾮常に嫌い(ibid.,p. 42)」、「⾃分より娘に幸せになってほしくない(ibid., p. 41)」と考えていると思います。
 その海外研修の同意書の締切時刻は 23:59 でしたが、親は締切⽇の 22:00 に家出をして、1:00 過ぎに帰ってきました。結果、期⽇までに同意書を提出できず、私の海外研修は無くなりました。このように⾃分で掴み取った海外研修が⽔の泡になった経験はこの 1 回だけではありません。


※1 本投稿の親とは⺟親のみを指します。
※2 「⺟親が娘に対して持つ憎悪(ibid., p. 38)」のこと。


②⼦どもの⾦は家の⾦

 皆さんはいつから⾃分の通帳を⾃分で管理していますか?私の場合、今なお親が所持しています。だから、通帳に結びつくような振込やクレジットカードによる決済はできません。お⾦を必要とする時は、いつ・いくら・なぜ必要なのかをまとめた書類を作成して出⾦を申請します。「私が稼いだお⾦だからどう使おうと⾃由だ」と主張すると、「家の⼿伝いができる時間を犠牲にして外で稼いだお⾦は家の⾦だ」と⾔い返します。私の親は、私のお⾦を握ることで、「⼦供の「⾮⼒さ」と親に対する「依存度」を⼤きくさせることによって⾃分の⽴場を守ろうと(フォワード, 1987=2001,p. 36)。」しています。


③何でもできるのがうっとうしい

 私は⽗が単⾝赴任をしていた⼩学 3 年⽣から家族の⾷事を作るようになりました。
それから約 13 年間、親が作った料理を⾷べていません。
しかし先⽇、親が作ったスープを⾷べる機会がありました。
まずかったです。親の味を忘れ、⾃分で作った料理が美味しいと感じるほど、私は料理が好きになっていました。
 勉強してバイトして、友⼈と過ごす時間や趣味を楽しんで、⾷事などの家事をこなして、
毎⽇せわしなく⽣きている私に対して親は、「何でもできるあんたがうっとうしい」と⾔いました。
私の親は専業主婦ですが、何度か短期の仕事に挑戦していました。
しかし、家に帰ってきたら即寝てしまうなど、家事はおろか⽣活がままならず、フォワード(1987=2001)の主張する「親が⾃分の責任を⼦供に押しつけている家庭(ibid., p. 49)」となりました。

 



 これらの発⾔はほんの⼀例ですが、とにかく私は「親みたいになりたくない」と考えて⽣きてきました。
そんなある⽇、友⼈に「親みたいになりたくないって考えている時点で親に縛られてるじゃん」と⾔われました。
フォワード(1987=2001)も、親に怒りを煽られている時点で⼼をコントロールされていると主張し、怒りよりも他の部分にエネルギーを注ぐべきであると説明しています(ibid., p. 19)。だから、今までの私は「親が幸せになれば私をひがむことは無くなる」と思い、親の⾃⼰肯定感を上がるように働きかけました。⼀緒にライブに⾏ったり、⼀緒に単発のバイトをしたり。

しかし、これは家族のメンバー間の役割の境界線が逆転して、私は親の親になっていただけでした(ibid.,p. 49)。


 


 では具体的にどこへエネルギーを注げばいいのか。私はフォワード(1987=2001)らを参考に⼤きく分けて 3 つのステップをふむことに決めました。



①事実の否定から抜け出して嘆き悲しむこと
 
 冒頭の宣⾔は①に当たります。事実の否定とは、「⾃分にとって不都合なことや苦痛となる事実を、それほどのことでもないかのように、あるいはそんなことはそもそも存在していないかのように振る舞ったり、または⾃分をもそのように信じ込ませてしまうこと(ibid., p. 39)」です。私は愛情ある親や素晴らしい家庭をもてなかったという事実を認め、⾃分を癒しながら抱えている問題に正⾯から向き合える環境を作ります。ちなみに、冒頭の宣⾔はスケジュール帳の⼀番⽬につくところに書きました。


②⼼理的余裕をもたらす発⾔や周りの⼈の愛し⽅を実践すること

 フォワード(1987=2001)によると、⼼理的余裕をもって親と向かい合うためには相⼿にエネルギーを渡さない冷静な発⾔が必要です(ibid., pp. 227-228)。
「それはおもしろい考えだね」「これについてはあなたがもう少し冷静な時に話しましょう」などの発⾔をまずは親を思い浮かべながら 1 ⼈で練習します。また、中野(2020)は、恋⼈やパートナー、もしくは友⼈など信頼できそうな相⼿の「愛し⽅」の観察を提案します(ibid., p. 171)。⼦供の情緒が発達する決定的に⼤切な時期に親が模範として⾒習うことができる⼈間のモデルになりえない場合(フォワード, 1987=2001,p. 49)、⼦供は愛を知らずに育つとされます。私は、友⼈に「あなたは親から愛を受けていないから、誰かを愛したり、愛を与えることはできないね」と⾔われたことがありました。だから、周りの⼈の愛し⽅を観察し、淡々とした深い愛をまずは⾃分に向けてみたいと思います。

③独⽴への道に進むために親と対決すること

 ①で事実に正⾯から向き合い、②で⼼に余裕と愛を得るなどの、様々なステップはすべて親と対決するための準備です。

私は⼀⼈暮らしで家を出る際に対決をすることになります。実際に私の周りにも、親と対決をして⾃分の⼈⽣を歩み始めたというロールモデルを⽰してくれる⼈がいます。私は残された 8 ヶ⽉の間に、「1. あなたが私にしたこと 2. その時の私の気持ち 3. そのことが私の⼈⽣に与えた影響 4. 現在のあなたに望むこと(ibid., p. 260)」を親への⼿紙としてしたため、対決のロールプレイを繰り返します。そして対決を通じて、⾃分が負わされたものを原因となった⼈間に返すことで、親に対する恐れや罪悪感や怒りを次の世代に渡すことを防ぎます(フォワード,1987=2001, pp. 256-257)。


 


 今まで親に関することは特定の⼈にしか話してきませんでした。
理由として、私のような⼈間は少数派であると思い込んでいたこと、親に感謝しなくてはいけないという社会通念が強いこと、かわいそう抜きで普通の⼈間として接してもらいたかったことなどが挙げられます。しかし、参考⽂献や参考資料によると、皆さんもこういった家庭状況をそれぞれもっているのではないでしょうか。最後に恩師からいただいた⾔葉で締めさせていただきます。

 「置かれた場所で咲きなさい」の意味は、「置かれた場所」で咲き、そこから種を⾶ばして、より遠く、より豊かな⼟地で育っていくためでございます。

【参考⽂献】
スーザン・フォワード、⽟置悟(訳)(2001)『毒になる親 ⼀⽣苦しむ⼦供』講談社
中野信⼦(2020)『毒親 毒親育ちのあなたと毒親になりたくないあなたへ』ポプラ社
【参考資料】
映画『JK エレジー』(2019)
zoc「family name」(2019)
友⼈や恩師のことば


謝辞

 本サイトの運営者である柴崎莉菜様、親に関する⽂章を書く機会をくださって誠にありがとうございます。そして、いつも私に様々な⾔葉をかけてくださる皆さま、様々な本や映画との出会いにより、私は⾃分の親に対して本当の意味で向き合い始めることができました。重ねて御礼申し上げます。

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