『ゴッドファーザー(上)(下)』(マリオ・プーヅォ著・一ノ瀬直二訳)を読んで…あらすじ・映画との比較・疑問 -第5回-
小説『ゴッドファーザー』は、“新しい発見の宝庫”だった!
第3部(上)
〇12歳でシシリーからアメリカに渡ったヴィトーが、後年、悪名高いファヌッチを殺害する。クレメンツァやテッシオらを従え、やがて政財界や法律・警察関係にも手を伸ばし、コルレオーネ・ファミリーを確固とした組織に創り上げていく。ヴィトー・コルレオーネは、ゴッドファーザーとして自分の帝国を作りつつあった。
(P365~P428=DVD:一部がPARTⅡの回想シーン)
〇人々に恐喝まがいの行為で恐れられていたファヌッチの人物像とは?
〇ヴイトーの冷静・沈着で、辛抱強い精神は、どのようにして培われていったのか?
〇ヴイトー・コルレオーネがマフィアの道に進むことになった経緯は?
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ドンは、12歳ですでにいっぱしの男になっていた。名前をヴィトー・アンドリー二といった。地元のマフィアの首領を殺害した父親が、1週間後に死体で発見された。葬式から1ヵ月後、マフィアのガンマンたちは、その少年が成長して父親の復習を計る前に、その芽を摘んでしまおうと村にやってきた。だが、12歳の少年ヴィトーは親戚の家にかくまわれ、やがて船でアメリカに送られた。(映画では、はじめに長男が殺され、マファイアのドンに、まだ小さいヴイトーだけはと助けを請うた母親も、願いを断られた上に射殺され、その場からやっとの思いで逃げ切るヴィトーのシーンが描かれている)
寄宿先はアッバンダンドという男の家で、彼の息子のジェンコが後に、ドンのコンシリエーレとなるのである。若いヴィトーは、アッバンダンド食料品店で働くことになった。18歳の時に、シシリーから来たばかりのイタリアの娘と結婚した。彼女はまだ16歳だったが、料理の腕はよく、家庭の切り盛りも上手だった。2年後に長男のサンティノが生まれ、友人たちは彼のことをソニーと呼ぶのが常だった。
隣人の中に、ファヌッチという名の男がいた。彼はマフィアの一派“黒手団”の手先として有名で、一般家庭や商店から暴力で金をゆすり取っていた。
そんなある日、ファヌッチが若い3人の男に襲われ、喉元を切り裂かれるという事件が起こった。ファヌッチはヴィトーの目の前を、輪のような傷口を真っ赤に染めながら逃げていった。数週間後に、ナイフをふるった若者が撃たれて死に、残りの二人の若者の両親は、復習を諦めることを条件にファヌッチに慰謝料を払うことになった。
第一次大戦の合間のオリーブ・オイルの輸入が途絶えた際に、ファヌッチがアッバンダンド食料品店の利権の一部を買い取っていた。彼は自分のおいを店に入れ、ヴィトー・コルレオーネを追い出してしまった。この時には、2番目の息子のフレデリコがすでに生まれており、ヴィトーは4人の口を養わねばならない身となっていた。若いヴィトーは、ファヌッチに冷たい怒りを感じていた。彼はこの怒りを決して表には出さず、じっと時が来るのを待っていた。
ある日の夕方、隣りの建物に面した窓からノックする音が聞こえてきた。近所に住むピーター・クレメンツァという若者が向かいの建物の窓から身を乗り出し、手にした白い布包みをこちらに渡そうとしているではないか。
「やあ、兄弟」そうクレメンツァは言った。「こいつをまた取りにくるまで預かっといてくれ。さあ、早く」ヴィトーは手を伸ばし、包みを受け取った。開いてみると中味は油で鈍く光った5挺の拳銃であった。ヴィトーは寝室の戸棚の中にその包みを隠した。後に彼はクレメンツァが警察に捕まったのを知った。二日後にヴィトーは街でクレメンツァに出くわした。「あの品物、まだあるかい?」ヴィトーはうなずいた。クレメンツァが彼のアパートまでやってきて、出されたワインを飲みながら言った。「中味を調べたかい」ヴィトーは無表情のまま首を横に振った。「ぼくは自分に関係ないことには興味がないんだ」彼らはその晩、二人してワインを飲み明かした。とても気が合うように思われた。二人は思いがけないことから友だちになった。
数日後にクレメンツァが、居間に敷く素敵な絨毯はいらないかとヴィトーの妻に尋ね、ヴィトーを連れてその絨毯を取りに出かけた。大理石の柱が二本に白大理石の玄関がついたアパートのドアの鍵を開け、クレメンツァとヴィトーは豪華な部屋に入っていった。「こいつを巻くのを手伝ってくれ」クレメンツァがうなるように言った。二人はふかふかとした毛の絨毯を丸めると、互いに一方の端を持ち、ドアのほうに歩きだした。
その時、この部屋のドアのベルが鳴った。クレメンツァはすぐに絨毯から手を離し、窓際に歩み寄ると、上着の下から拳銃を引き抜いた。ヴィトーはやっとこの時、絨毯を盗み取ろうとしていることを理解した。ドアのベルがもう一度鳴った。ドアの前には制服を着た警官が立っていた。もう一度念を押すようにベルを鳴らすと、肩をすくめ、警官は去っていった。クレメンツァは言った。「さあ、行こうぜ」
30分後、ヴィトーの居間には絨毯が敷かれていた。しかし、生活は少しもよくならず、友人のジェンコから送られてくる食料品の包みも大した役には立たなかった。
彼は良心の声に逆らって、クレメンツァやテッシオから持ちかけられていた、トラックの乗っ取り専門のグループへ加わることとなった。その1番の理由は、仕事の分け前が少なくとも1000ドルになることであったが、若い仲間の無謀さや、雑な仕事ぶり、慎重さを欠いた計画などには疑問を感じていた。しかし、ヴィトーは二人の善良な、真面目な人間性を信じることにした。
翌日、ヴィトーは路上で、ファヌッチに呼び止められた。「よう、若いの、聞くところによると、おまえさんは金回りがいいそうじゃないか。お前と二人の友人のことさ。それでおまえさんたち、この俺をちっとばかし粗末に扱っているとは思わなかい? なんたってここは俺の縄張りなんだし、そのおれのくちばしを湿してくれないって法はないと思うぜ」ヴィトーは、いつもの癖で返事をしなかった。ファヌッチはため息を一つついて言った。「俺に500ドルよこしな、それで今度の無礼は水に流すことにするさ。とにかく今日日の若い連中ときたら、俺のような男に対する礼儀作法も知っちゃあいねえんだからな」
ヴィトーは、ファヌッチに微笑んでみせた。「もちろん、おまえの金儲けに関した俺の情報が間違っていたら、少しぐらいの値引きは考えてやってもいいがな。でも最低300ドルは出しな。おれをペテンにかけようたってそうはいかないぜ」「ぼくの金は二人の友人が持っていますので、二人に話してみなければなりませんが」ファヌッチはほっとしたように言った。二人の友人にも同じように分け前を要求していると伝えること、クレメンツァは前からの知り合いだから心得ていること、クレメンツァにいろいろとおしえてもらえばいいということを。ヴィトーは当惑したような様子で「わかりました」と言った。「ご承知のように、ぼくはこういったことはまったくの素人なんです。いろいろ親代わりに教えて下さって、ありがとうございました」
ファヌッチは感激した様子で「うん、おまえはいい男だ。おまえには人を敬うって気持ちがある。若いにしちゃあ立派な心掛けだよ。今度はまずこの俺に相談することだ、うん? 及ばずながら力になってやろうじゃないか」
後年になって、ヴィトーは、あの時かくも見事にファヌッチを手なずけることができたのは、気短かな性格のためにシシリーでマファイアに殺された父親のおかげだということを理解した。しかし、この時の彼は、自分が命と自由を賭けて手中にした金を横取りしようとしているファヌッチに対し、いいようのない怒りを感じていた。二人の友人にファヌッチの話を伝えると、クレメンツァは1セントでもやるぐらいなら死んだほうがましだと言った。テッシオは身体じゅうから毒蛇を思わせる妖気を発散させていた。
その夜遅く、3人はクレメンツァのアパートでファヌッチへの対応について検討した。ヴィトーは、ファヌッチに関するあらゆることを思い出していた。ファヌッチが本物のマフィアではないこと、一匹狼であることなど。そして、ヴィトーの腹は決まった。ワインを飲み終えると彼は、二人に向かっておもむろにこう言った。「二人とももしよかったら、ファヌッチに支払うつもりの200ドルをぼくにくれないか? その額で奴にうんと言わせてみせるよ。しかし、やり方はぼくに任せてもらいたい、必ず君たちの満足のいくように解決してみせるからね」クレメンツァとテッシオの二人は、この件をヴィトーに一任することにした。
翌日クレメンツァとテッシオはヴィトーに200ドルを手渡した。心配するテッシオにヴィトーが言った。「今夜9時にぼくの部屋で金を渡すと、ファヌッチに伝えてくれ。値引きしてくれるよう説得してみるよ」
夕食後、ヴィトーはソニーとフレドーの二人の息子を外に連れ出し、何事があっても自分がいいと言うまで家に入れてはいけないと妻に言い渡した。彼女は用心のためドアの後ろに隠れていると言い張ったが、ヴィトーはがんとして聞かなかった。妻の顔に恐怖の色が浮かんだ。ヴィトーは、刻一刻彼女の見守る中で、危険な力といったものを放射する男へと変化を遂げていった。
ヴィトー・コルレオーネは、ファヌッチを殺すことに決めていた。彼は、父の死後、死刑の宣告を受けながら生きのびてきた。12歳の時に死刑執行人の手から逃げ出し、海を越えて見知らぬ土地にやってき、名前まで変えることになった。そして彼は今ようやく、自分には普通の人以上に、知性と勇気が備わっていることに気づいたのだ。彼の左ポケットには700ドルの紙幣、右ポケットには、絹ドレスのトラックを襲う際にクレメンツァから渡された拳銃が入っていた。
夜の9時きっかりにファヌッチは姿をあらわした。ヴィトーは、クレメンツァからもらった自家製のワインのびんを用意した。下心のないことを示すために、ヴィトーはまず、金の束を渡し、ファヌッチがそれを数え、大きな革財布に札束を詰める様子を注意深く見守っていた。ワインを一口すすって、ファヌッチが言った。「まだ200ドル足りないようだぜ」「ぼくはちょっとお金に困っているんです、仕事がないもんで。2・3週間支払いを延ばしてもらえませんか?」ファヌッチは、くすくす笑いながら言った。「うん、おまえは頭の切れる男だよ。今度はひとつ、もっと実入りのいい仕事を探してやろうじゃないか」ファヌッチは急に立ち上がり、「お休み、若いの」彼は言った。
ファヌッチは階段を降り、アパートから出ていった。彼の姿は大勢の人たちが目撃しているはずだった。彼は自分のアパートに向かっており、ヴィトーは部屋から出て、階段を屋上まで駆け上がった。それから四角いレンガ造りの屋根伝いに歩いてゆき、廃屋となっている建物の非常階段を降りて裏庭に出た。彼は裏口のドアを足で蹴り開け、表のドアに向かった。その通りの向かいにあるのが、ファヌッチのアパートだった。人けのないアパートの玄関に滑り込み、彼は拳銃を取り出し、ファヌッチを待ち受けていた。
ヴィトーは玄関のガラス戸越しに通りに視線を凝らしていた。ほの暗い玄関で待つうちに、通りをよぎって戸口に近づいてくるファヌッチの白っぽいかたまりが見えた。ヴィトーは後ずさりし、階段に通じる中側のドアに両の肩を押しつけた。拳銃を構え、引き金に指をかけた。ドアが内側に開き、白っぽく、がっしりとして、妙なにおいをさせているファヌッチの姿が現れた。ヴィトー・コルレオーネは銃を発射した。すさまじい発射音が建物をゆるがした。
(映画では、祭りの日の昼間、ファヌッチの殺害が行われた。ヴィトーの拳銃には銃声を消すための白いタオルのような布が巻かれていた。銃声は祭りの賑やかさに、その音さえも消されている感じがした)
ファヌッチはドアにすがりつき、足を踏ん張りながら拳銃を抜こうとした。ヴィトーはまるで静脈に針を刺すかのような慎重さで、赤い血が蜘蛛の巣のようにしみ出した白いシャツの、胃のあたりをめがけて2発目を発射した。ファヌッチは、ドアを押し開きながら膝からくずれ落ちた。ヴィトーは、ファヌッチの汗にまみれて脂ぎった頬に銃口を押しつけ、脳みそめがけて弾を打ち込んだ。それから5秒と経たぬうちにファヌッチは息絶えていた。(映画では、ヴイトーの銃口は、口の中に押し込まれていた)
ヴィトーは用心深く、死んだ男の上着のポケットから大きな財布を取り出し、自分のシャツの内側に突っ込んだ。それから、彼は通りをよぎって先程の建物の中に入り、裏庭から非常階段を伝って屋根へと出た。彼は屋根伝いに自分のアパートまでもどってきた。財布の中には700ドルの他には1ドル紙幣が数枚に5ドル紙幣が1枚あるきりだった。あとは財布と拳銃の始末をすればよかった。再び屋上にもどり、彼は通気口の一つに財布を落とし込み、拳銃は屋根の縁にたたきつけた。拳銃は銃身と銃把の2つに分かれ、それを別々の通気口に放り込んだ。
後になって分かったことだが、警察はファヌッチが殺されたことを歓迎し、本腰を入れて犯人捜査に乗り出さなかったのだという。しかし、警察の目はくらませても、二人の仲間はそうはいかなかった。3週間ばかり経ったある晩、ひょっこりヴィトーのアパートに姿を現わした。二人の態度からは、ヴィトーに対する畏敬の念がうかがわれた。クレメンツァが言った。「トラックの仕事の時にあげた拳銃はどうしたい?もう用もないだろうし、返してくれたっていいんだぜ」ヴィトーは、脇ポケットから札束を取り出し10ドル紙幣を5枚抜き出取った。「これがその代金だよ。トラックの仕事の後であれは捨ててしまったんだ」彼は二人の男に頬笑みかけた。クレメンツァは頭を振った。「金はいらないよ」彼らは完全に理解し合っていた。クレメンツァとテッシオは、ヴィトーがファヌッチを殺したことを知っており、誰にもしゃべりはしなかったが、2・3週間のうちに近所のすべての人の知るところとなった。
その後、ヴィトー・コルレオーネは“尊敬さるべき男”として遇されるようになったが、彼は決して、ファヌッチのように金銭をたかって歩いたりはしなかった。それ以降の出来事は不可避的なものであった。
家主からアパートの立ち退きを命じられていた未亡人のミセス・コロンボが、引っ越したくないので家主に話をつけてほしいとヴィトーに頼み込んだ。家主のミスター・ロベルトは、イタリア北部出身の教育のある男で、悪い人間ではないが、ひどく神経質で怒りっぽくなっていた。ヴィトーが路上で彼を呼び止めた時も、ミスター・ロベルトは不愛想そのものだった。ヴィトーは、未亡人の件で彼に話をした。面倒の原因になった動物を処分したので、未亡人を追い出さないようにお願いした。「すまんが、もうほかの家族にもっと高い家賃で貸すことに決めたんでね」ヴィトーは、家賃の値上げ幅を聞いた。「5ドルさ」ミスター・ロベルトは言った。ヴィトーは10ドル紙幣を3枚出し、「これは半年分の値上げ分の前払いです。ですが彼女に話さないでください、プライドの高い人ですからね。半年したらまた私が支払います。」「黙らんか、なんだっておまえにあれこれ指図されなきゃならんのだ?礼儀に気をつけるんだ、さもないとこの通りのシシリー人が困ることになるぜ」
ヴィトーは、この金は収めて、明日の朝どうしても返したいならそうしてほしいこと、最終的に彼女を追い出すことになっても、止めることはできないこと、近所の友人に、自分のことを訊いてみてほしいことなどをミスター・ロベルトに伝えた。
ミスター・ロベルトはヴィトー・コルレオーネについて友人に問いただし、その夜のうちにコルレオーネの部屋のドアをノックした。彼は時間の遅いことをあやまりながら、すべては恐ろしい誤解だった、セニニョーラ・コロンボはむろんアパートは出る必要はないし、犬だって飼って結構だ、とヴィトー・コルレオーネに言った。最後にヴィトーが渡した30ドルをテーブルの上に並べ、心からの誠意を込めた口調で言った。「貧しい未亡人を助けようというあなたの思いやりに、私は心を打たれました。彼女の家賃は今まで通りで結構です」
“尊敬さるべき男”ヴィトー・コルレオーネの評判は、それで確固たるものになった。やがて彼は、幼なじみのジェンコ・アッバンダンドと、オリーブ・オイルの輸入業務を始める決心を固めた。イタリアからのオリーブ・オイルの輸入、適切な購入価格の取り決め、父親の倉庫への保管など、実務の面はジェンコに一任した。クレメンツァとテッシオはセールス担当だった。
その後の数年間、ヴィトー・コルレオーネは、ダイナミックに拡大してゆく経済の中で、自分の企業を育て上げることに全精力を注ぎ込む少壮実業家として、充実した生活を送っていた。彼は多くの経営の天才たちと同じように、自由競争にはむだが多く、能率を上げるには独占しかないということを学び取っていた。それゆえ、彼の目的は一途に、能率的な独占体制を打ち建てることにあったのである。ところで、偉大な人間とは生まれながらに偉大なのではなく、長ずるに従って偉大さを発揮してくるものである。ヴィトー・コルレオーネがその典型であった。禁酒法が制定されて初めて、ヴィトー・コルレオーネは平凡なタイプの実業家から、偉大なドンとして、犯罪企業の世界へ最後の一歩を踏み出したのだ。
それはごくささいなことが始まりだった。カナダからアルコールやウィスキーを運び込んでいたイタリア人の密輸業者のグループがクレメンツァを通じてヴィトー・コルレオーネに相談を持ちかけてきた。おどし半分の申し出にもかかわらず、ヴィトーは、トラックをほとんど密輸業者たちに回し、オイルの配達の業務を大幅に削減することにした。再度、彼の仕事は隆盛をきわめた。
個人としてのヴィトー・コルレオーネは、貧しいいイタリア人家族の保護者になったり、ミセス・コロンボの末息子のゴッドファーザーとなったりした。一方、警察や司法部にこねのある優秀な弁護士を雇い入れ、やがてコルレオーネの組織は、公務員の分厚い名簿を持つことになった。
時の経過につれて、コルレオーネ帝国はますます強大になり、組織全体が肥満症状を呈してきた。ヴィトー・コルレオーネはついに、組織の制度化に手をつける決心をした。彼はクレメンツァとテッシオの二人にカポレジーム、つまり幹部の名称を与え、彼らの部下を兵隊と呼ぶことにした。ジェンコ・アッバンダンドには顧問役、つまりコンシリエーレの役が与えられた。彼はまた、いかなる作戦行動においても、何層かの絶縁帯を設けることにした。
彼が命令を与える時は、ジェンコか幹部のいずれかであった。彼はまた、法律に対する防衛手段のため、テッシオの舞台を切り離し、彼にブルックリン一帯の管理を任せることにした。また、テッシオとクレメンツァとを切り離し、万やむを得ぬ場合を除き、普段の付き合いすらやめるよう、この時初めてはっきりとさせた。
テッシオは彼の主旨をすぐ理解した。クレメンツァにはブロンクス一帯を任せたが、彼は外見に似合わず、勇敢で向こう見ずで、しかも残忍なところがあり、ヴィトーは常に目を光らせていた。手綱を引き締める必要があったのだ。
大恐慌のおかげで、ヴィトー・コルレオーネの帝国はさらに強大なものとなった。ドン・コルレオーネと呼ばれるようになったのもこの頃からである。(小説には書かれていないが、映画では、ヴィトー・コルレオーネは一度シシリーに帰郷している。その際、両親の命を奪ったマフィアのドンに復讐を果たす)
彼は自分の世界とそこで働く人々の世話を怠らなかった。彼を頼り、彼のために額に汗して働き、自己の自由と生命を賭けて尽くしてくれる人々を、彼は決して失望させなかった。無限の思いやりと理解をもって彼らに接した。近隣の貧しい人々は、助けを求め、引きも切らず彼のもとを訪れてくると、彼はこういった人々への助力を惜しまなかった。その結果、彼は現職の政党の幹部から相談を受けるほどになった。
禁酒法の撤廃は彼の帝国にとって大きな打撃となった。しかし、ドンは再び、事前に予防策を講じていた。彼は、マンハッタン全域の賭博事業を牛耳っている、サルバトーレ・マランツァーノという男に使者を送り、双方の組織にとって有利となるような、平等な協力関係を提案した。だがマランツァーノはこの申し出をにべもなく拒絶した。この拒絶は1933年の大戦争の口火を切り、ニューヨーク市暗黒街の組織図を根底から書き替えることとなった。
一見して、それは不利な戦のように思われた。マランツァーノは、多数の兵隊を擁した強力な組織を持っていた。シカゴにいるカポネと親交があり、彼の援助を要請することもできる。しかし、ブルックリンのテッシオのグループを、別個の独立した組織だと思いちがいしていた。
マランツァーノは、この成り上がり者を消すために、優秀なガンマンを二人ニューヨークに送ってくれるよう、シカゴのカポネに要請した。コルレオーネ・ファミリーはシカゴに友人と情報員を持っており、彼らから、二人のガンマンは汽車でニューヨークに到着する予定だとの連絡が来た。ヴィトー・コルレオーネは、彼ら二人の始末をルカ・ブラージに任せることに決め、指示を与えた。
ブラージと彼の部下4人は、鉄道の駅でシカゴのギャングどもを迎えた。部下の一人がタクシーの運転手に成りすまし、荷物を抱えた駅の赤帽がこのタクシーまで彼らを案内してきた。二人が乗り込むと同時に、ブラージと残りの部下が銃を片手に車に押し入り、二人のギャングを床にはいつくばらせた。タクシーは波止場近くの倉庫に向かって走り出した。二人の部下は手足をしばられ、悲鳴をあげないようにと口にちいさなタオルが押し込まれた。
ブラージは、壁に立てかけてあった斧を手に取り、カポネの部下の一人を切り刻み始めた。彼はまず男の足首を切り離し、ついで膝を、最後に胴体についているふとももの部分を切り離した。倉庫の床は肉の切れ端や吹き出した血でぬるぬるになっていた。ブラージは二人目の男のほうに向き直ったが、二人目のガンマンは、あまりの恐ろしさに口の中のタオルを自ら呑み込んでしまい、すでに窒息死していた。
数日後、シカゴにいるカポネのもとに、ヴィトー・コルレオーネからのメッセージが届けられた。「私が敵をどのように遇するか、これでおわかりいただけたことと思う。二人のシシリー人の争いに、なにゆえナポリ人が介入するのか? 貴方のほうに私を友人とみなす用意があるのなら、私はそのお礼に要求した額の支払いをしよう。…私の友情が不要なら、それでも結構。しかしその場合には一言ご忠告申し上げる。この街の気候は湿度が高く、ナポリ人の健康には不向きである、それゆえ、当地への訪問は心して差し控えるように」
戦術は大成功だった。これ以上の介入は危険を呼ぶだけだろう。金の支払いをほのめかしたヴィトーの友情を受け入れたほうが、何層倍も賢明というものに違いない。そこでカポネは、これ以上介入しない旨のメッセージを、ドンのもとへ送り届けた。
これで初めて、勝負は対等のものとなった。しかもカポネをやりこめたことで、米国じゅうの地下組織から非常な“尊敬”を得た。6ヵ月をかけて、ドンはマランツァーノの戦力を次々に打ち破っていった。マランツァ―ノは和平を求めて使者を送って来ていた。だが、ヴィトーは会うことを拒否した。やがてドン・コルレオーネは、それまで待機させてあったテッシオの部隊に、マランツァーノ個人への襲撃を指示した。1933年の大晦日、テッシオがついにマランツァーノの喉仏に喰いつくことに成功した。すっかり戦意を喪失していたマランツァーノの幹部たちは取り引きを望み、自分たちのボスを殺し屋の手に引き渡すことに同意したのだ。彼らはマランツァ―ノに、コルレオーネとの会見がブルックリンのレストランで行われることになったと告げ、自分たちが護衛すると言った。テッシオと4人の部下がレストランに入ってくるのを見るや、幹部たちは一目散に逃げだした。マランツァ―ノは噛みかけのパンを口いっぱいにしたまま、全身ハチの巣のようになってしまった。そして、戦いは終わった。
マランツァ―ノの帝国は、コルレオーネの組織に吸収された。こうしてビジネス面での問題の解決を見たドン・コルレオーネは、今度は家庭内の問題に目を向けなければならなかった。
16歳を迎えたソニーは、いつも面倒を引き起こしてばかりいた。ある夜、クレメンツァがドンのもとを訪れ、ソニーが強盗事件を起こしたこと、その首謀者であることを告げた。ヴィトーは癇癪玉を破裂させたが、トムがその一味に加わっていたかを尋ねた。クレメンツァは頭を振った。ドンは彼のオフィスへソニーを連れてこさせた。彼はありったけの怒りをぶちまけ、シシリーの方言で罵った。理由はいったいなんだ、おまえは20ドルのために命をかけたのか。ソニーがけんか腰で言った。「ぼくはあんたがファヌッチを殺すところを見ていたんだ」ドンは「あーあ」と言うなり、椅子に腰を落とし込んだ。「ぼくは、ファヌッチがアパートから出てきたのを見て、母さんが部屋に入ってもいいと言ったんだ。そしたらあんたが屋根に上がっていくところで、ぼくはその後をつけていった。ぼくはあんたがやったことを全部見たんだ。財布や銃を捨てるところも、全部この目で見たんだよ」この時ドンは、初めて敗北感を味わった。ドンはため息をついた。「それじゃ私にはおまえの振舞いにあれこれと口出しする資格はないわけだ。しかしおまえは弁護士にないたいとは思わないのかい?」ソニーはにやりとし、うかがうような調子で言った。「ぼくはファミリーの仕事をやりたいんだ」(ソニーが父親のファヌッチ殺害場面を目撃していたのは、新しい発見!)ドンは、ジェンコ・アッバンダンドにソニーの仕事を任せた。彼はソニーを父親の護衛役として用いることにした。
ソニーの面倒を任されたクレメンツァは、拳銃と絞首刑具の使い方を彼に伝授した。その後の2年間、彼は頭の面でも仕事の面でも特に目立った働きはせず、細々とした仕事で満足しながら、父親の仕事を見習おうとする息子に相応しい生活を送っていた。
一方、幼なじみであり、半ば義兄弟のような形のトム・ハーゲンは、その頃大学に通っていた。フレッドはまだ高校生で、末の弟のマイケルは小学生、妹のコニーは4歳のよちよち歩きの幼女だった。ドンの一家はずっと以前に、ブロンクスにあるアパートに移っていた。
ドン・コルレオーネは、ニューヨークシティの、ひいては全国の抗争中の党派に、和平をもたらさねばならないと決心した。ニューヨーク一帯に平穏が訪れるまでには3年の歳月を要した。ある時、アイルランド人ばかりから成る強盗団のあるガンマンが、ドンの護衛人を突破し、彼の胸めがけて銃弾を一発撃ちこんだ。その暗殺者はその場で穴だらけにされたが、この事件がサンティノ・コルレオーネにチャンスを与えた。怪我で前線からの交代を余儀なくされた父親に代わり、ソニーが臨時の幹部として自己の部隊を持ち、同時に全軍の指揮にあたることとなった。
1935年から1937年にかけて、ソニー・コルレオーネは、暗黒街はじまって以来の狡猾な、しかも無慈悲きわまりない死刑執行人との評判がたっていた。しかし、さすがのソニーもルカ・ブラージにだけは頭が上がらなかった。
ルカはアイルランド人の残りのガンマンたちの後を追い、単身で彼ら全員を片づけてしまった。1937年には、小さな事件や誤解を除き、ニューヨークシティに和平と調和がもたらされていた。
ドン・コルレオーネは米国じゅうにメッセージを発した。彼はいかなるローマ法王にも引けをとらぬ手腕を発揮し、米国内の強大な地下組織のあいだに実際的な協定を締結させた。
かくして、1939年に第二次世界大戦が勃発し、1941年に米国が参戦に踏み切った時にも、ドン・ヴィトー・コルレオーネの世界は平穏で、秩序が保たれ、にわかに景気づいた国内のすべての産業と同様に、黄金の収穫物を刈り入れる準備が整っていた。
ただ一つの誤算は、マイケル・コルレオーネが彼の助けを断わり、母国のために働きたいと言い張ったことだった。第二次世界大戦が終焉を迎えようとする頃、ドン・コルレオーネは、再度組織の方針を変え、外部のもっと大きな世界に巧みに適応させねばならないと考えるようになった。
ドン・コルレオーネは、散歩道のあるロングビーチの自宅で、自らの帝国を強化し拡張しながら幸福な日々を送っていたのだった。あのトルコ人のソッロッツォが平和を破ってドンの世界に波乱を巻き起こし、彼を病院のベッドに送りこむまでは。(続く…次回は8/31<月>投稿予定)