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【無料記事】チェルノゼム Schale4 舞台『銀河鉄道の夜』観劇記録

 去る六月二十一日、ちょうど夏至の日に「チェルノゼム Schale4 舞台『銀河鉄道の夜』」を観覧した。

公式ページ:Schale4 舞台『銀河鉄道の夜』

 以下は劇の内容に関するメモだ。かなり断片的な記述になっているがご承知おきいただきたい。また、劇を観覧していない方にも充分注意をお願いしたい。




少年でない少年たち

 原作中のジョバンニとカムパネルラは少年である。一方、この劇における二人は女性が演じていた。ザネリを始めとした級友たち、銀河鉄道のなかで出会う二人の子供も女性の俳優が担当していた。
 この件については偉大な前例、すなわちますむらひろしによる登場人物が人間の姿ですらない漫画作品があるし、賢治作品を題材にした交響曲『イーハトーヴ交響曲』の制作者・冨田勲は「ときに人間でないものが人間以上の表現力を得ることがある」とも語っていた(『イーハトーヴ交響曲』は初音ミクがソリストとして参加している)。
 メンバーの都合という現実的な側面もあるかもしれないが、性別を超えて誰かを演じるというのは演劇のひとつの醍醐味なのだと思う。


父親たち、息子たち

 劇の終盤、舞台にジョバンニが一人残されるシーンがある。他の演者はスポットライトの当たらない場所まで下がる。その薄闇のなかに、父親がカムパネルラの肩に上着を着せかけるのがうっすらと見えた。
「もうだめです」と自ら宣言し、涙ひとつ見せず、あまつさえジョバンニへ優しい言葉をかけた父親は、きっとカムパネルラに再会しても感情を乱すことはないと思う。ただ黙って、秋の川へ落ちて寒がっている息子にそっと上着を着せてやるはずだ。
 そんなカムパネルラの父親は、ジョバンニに彼の父親から便りがあったと言う。息子を永遠に失った父親は、少年の父親が帰ってくることを伝える。ジョバンニはそれを母親へ伝えるため家路へ急ぐ。

 ジョバンニはもうすぐ帰る父親へ。
 カムパネルラはもう会えない父親へ。
 ともに、「お父さん」と呼びかける。

 宮沢賢治の生涯を語るとき、欠かすことのできない人物の一人である父・宮沢政次郎のことを思い出さずにはいられない。「銀河鉄道の夜」には繰り返し父親の存在が示される。これは賢治の胸中そのものであっただろう。父親を置いてひとり去っていくカムパネルラの姿は自己犠牲の姿として尊ばれるが、死期が間近に迫った自身の写し絵でもあったと私は思う。
 厳しい対立があってなお賢治は父親を強く慕い、だからこそ先に行かなくてはならない自身の運命を悲しんだだろう。


ブルカニロ博士の存在

 銀河鉄道から一人で現実世界に戻ってきたジョバンニは、母親のための牛乳を受け取ってから川のほうへ向かう。そこでカムパネルラが川に入ったことを知る。失意のなか歩き出したジョバンニはふいにうずくまり、手から牛乳壜が落ちる――そこで舞台が暗転する。

 ブルカニロ博士の存在は、上演前から示唆されていた。
 観劇の経験がある方なら、劇場の座席にあらかじめパンフレットが置いてあるのを目にしたことがあるだろう。そのなかにブルカニロ博士の言葉を印刷した一枚の紙が混ざっていた。劇が始まってからも声のみの存在として現れ続けるが、予想に反し銀河鉄道におけるジョバンニとの対話のシーンは挟まれないまま、舞台は暗転する。

 真っ暗な劇場に響く声。

おまえはいったい何を泣いているの。ちょっとこっちをごらん

上演台本より引用

 親友の死と、父親の帰還の報せはジョバンニの現実をもう一度開く契機になった。ふたつの事件は少年の人生を大きく変えていくだろう。「ほんとうのさいわい」を探す旅は、幻想の客車ではなく川から街へ続く道で始まる。
 その入り口でうずくまるジョバンニに、ブルカニロ博士は現れて言う。

お前は夢の中で決心したとおりまっすぐに進んで行くがいい。

上演台本より引用

 再び照明が点ったとき、ジョバンニの肩を支える人影があった。
 登場人物のなかでただ一人だけ靴を履いていた少年の、立ち上がったその足音がまっすぐどこまでも響いてくことを、私は願う。


入場チケットの仕掛け(?)

 見間違いでなければ、入場チケットがそのまま小道具として使われていた。ジョバンニがいつの間にか持っていた切符だ。
 観客は演劇という名の窓を通し、ジョバンニたちとともに旅をした。幕が下り劇場を出ても未だこの切符は手元にある。
 つまり、次は私たちが旅立つ番だ。現実という舞台に立って、はればれと照明を浴びる番というわけだ。
 今も歩き続けているだろう、あの少年のように。


最後に

 他者の語りによって、大切な作品を再体験するということにためらいがなかったわけではない。
 私にとって「銀河鉄道の夜」という作品がどういう位置づけであるのか、言葉で表すのは難しい。
 ただ少なくとも、この作品を演じることの必然性を感じられなかったら、すなわち自分たちのやりたい演劇の材料として「銀河鉄道の夜」を消費していると感じたら、迷わず劇場を出て行くつもりでいた。

 喜ばしいことにそれはまったくの杞憂になり、私は潤んだ目を夏至の月で乾かしながら、真っ暗な倉庫街をしばらく歩いてから帰ったのだった。

 チェルノゼムさまに心からの敬意と感謝を申し上げ、ここに筆を置くこととする。

※ 台詞の一部は「上演台本PDF 舞台『銀河鉄道の夜』」より引用しました


BGM
星めぐりのうた


 本稿は定期購読マガジン「Immature takeoff」収録の無料公開記事です。
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