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目的の無い迷子


イエーイ!!!!!!!
内心ではこれくらい叫びたいし
飛び跳ねたくなるような嬉しさ!!!!

公式のnoteから評価に値する通知を貰ったのは初めてだ。

本当は、スマホの画面を周囲に向けて
四方八方に見せびらかしたい。
それくらい私は、
石ころみたいな小さなことで心から喜べる。


ただ、それは裏返せばだが、
石ころみたいに小さな打撃で
顎からずっこけたくらいの精神的痛みを背負うこともある。


ダメな日は朝起きた瞬間からダメだ。

余計なことをぐるぐると思い出してしまうことが多い。
こういう時はもう一度寝ることも困難で、
何故なら目を瞑っている間にまた余計なことを思い出してしまうからだ。
お酒で忘れられる人はそれも1つの手だけれど、
私はせいぜい頭が痛くなる程度のことであり、
酒に呑まれて時間が過ぎるのがオチだ。


余計なことが、頭から離れない日。

そういう時の一番の気晴らしは、
散歩である。
最近はサイクリングである。

サイクリングと言っても
「このお店で一番安い自転車をください!」
と言って買った、右ブレーキしか使えない古びたママチャリのことである。


私は根からのインドアで、
外に出るまでの腰はかなり重たい方だ。
だけど是非、外に出て欲しい。
人と話す必要は無いし、
どこかに入らなければいけないという義務感も不要だ。
“ただ、外に出る“
これ以上の理由が無い散歩は、一番の気晴らしなのだ。

外にいると、余計なことを考える余地が減る感覚は、
皆さんもなんとなく分かるかと思う。
それは恐らく、自室が安全な場所だと気を緩めることが出来る反面、
脳みその他の場所を使う余裕が出てきてしまう為だろう。

外は、無意識に気を引き締める。
乗り物に乗ると何かを轢いてしまわないように注意するし、
歩いていると何かに轢かれるのではないかと注意する。

その他にも、見知らぬ他人が歩いている以上、
注意することは沢山ある。

そんな外で、
私は知らない道を走ってみる。
いつもより一本奥まった道を走ってみる。

そうすると頭の中は街の景観や周りの状況把握でいっぱいになって、
モヤモヤとした気持ちはどこかへ飛んでいってしまう。
わざと迷子になって、
限界まで地図を見ないでいると、
いつか知っている道に出たりする。
それだけで達成感になる。

もっと贅沢を言うならば、
片耳にイヤホンを入れてラジオを聴きながら走るのが一番良い。
(両耳に入れると危ないから注意。片耳でも充分楽しめます)

音楽よりもラジオの方が、
言葉を噛みしめる力が必要だから
気付いたら私は、何も考えずにいられるのである。


今はご時世のこともあり、
なかなか気晴らしに行ける場所も制限されてしまった。

カラオケだって行けないから部屋で大声で歌うしかないし、
晩ご飯だって幾ら作るのが面倒でも
行ける店が限られている。

散歩は比較的、自由がある。
それが今最大のメリットかもしれない。

出来ればそういう気晴らしの時は、
スマホは鞄に仕舞ったまま、極力見ないでいて欲しい。

情報を遮断することは、脳の休憩である。

理由の無い散歩。
目的の無い迷子。

やっぱり極限まで意味の無いことは、この上なく素晴らしい。



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