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暑い夏に、涼しい部屋で。

【流しそうめん器 3400円】

ショッピングモールに入っている雑貨屋で、
そのプライスリストを見ながら、花乃は何分も立ち止まっていた。

1つ隣には5000円のものが置いてある。
ちゃんと高さがあって、上から下に流れるやつ。
本物の竹がモチーフにされていて、見た目にも重厚感があった。

3400円のは、ただ丸の中をグルグルと回るだけだ。
おもちゃみたいなプラスチック製の物である。
花乃は腕を組んで悩んだ。

流しそうめんは、あっても無くても良い。
だけど、あった方が幸せになれる。
その幸せに幾ら出すか、頭を悩ませているのだ。

花乃は結局、3400円の方を選んだ。

「5000円の方が良かったかな」

両手に大きな箱を抱えて、花乃は歩いていた。
袋に入れてもらったが、
背の低い花乃には手提げで持つことが出来ず、
結局この形に落ち着いた。

本当は5000円の方が欲しかったのだ。
見た目の高級感といい、
どれだけ安い素麺を買っても、絶対に美味しくなる気がした。

この日は特別なパーティーがある訳では無かった。
花乃は新しい靴を買う為にショッピングモールに行った訳で、
決して流しそうめんをする為に出向いたのでは無い。
ただ雑貨屋で、この斬新なアイテムを見た時、
花乃の頭に雷が落ちるような衝撃があったのだ。

この感動を、見逃してはならぬ。
こうして今晩、花乃は1人で素麺パーティーをする事を決めたのだった。

出費を渋ってしまった点は否めなかった。
ただ、1人暮らしにはどうしても嵩張ってしまう事を考慮し、
結局小さな方を選んでしまった。
幸せが小さくなるという懸念に、花乃は慌てて首を振った。

最寄り駅に着くと、快適な涼しさだった車両に
急激な熱気が入り込んだ。
家までは大した距離が無いけれど、
思わず自動販売機に手を伸ばしてしまう。
味のついていない炭酸水を買った。
飲むと無限の泡が弾けていく音が、
頭の中にまで響いて一瞬の涼しさを得た。


住宅街なので、道路には小さな影しかない。
普段なら影踏みのように涼しい部分を探して歩くが、
両手に箱を抱えては、歩く事で精一杯だった。
花乃は滲み出る汗を、気にせず腕で拭いとった。

赤信号が長く感じる。
見えない光線で攻撃されているように、
腕にチクチクと日射しが刺さる。
花乃が麦わら帽子の購入を検討している時、
手を挙げながら近寄る青年が、
視界の隅に入り込んできた。

「花乃先輩!偶然すね」

花乃のサークルの後輩である。
大久保くん。下の名前は知らなかった。

「大久保くん、大学の帰り?」

大久保くんは少し苦い顔をして答える。

「サークルの役員会議だったんです。
先輩、何持ってるんですか?」

一瞬重さを忘れかけた花乃が、
箱と大久保くんを交互に見た。

「流しそうめん。一緒にする?」

大久保くんは一瞬戸惑って、
「良いですねえ」と言った。


大久保くんは、半ば強制的に花乃から箱を取り上げて、
いとも簡単に左手で提げた。
帰り道、大した会話は無い。
花乃が「暑いねえ」と言うと、
大久保くんが「暑いっすねえ」と言うくらいだった。

花乃の家は狭い。
狭いと言っても一般的なワンルームだが、
一目惚れしたアイテムをすぐ持ち帰ってしまうが為に
ごちゃごちゃと荷物が溢れ出していた。
隅には黒ひげの海賊が樽に入ったオモチャが
行き場を無くして佇んでいる。

「花乃先輩っぽくて良いですねぇ」

壁に飾ってある幾つもの写真を眺めながら、
大久保くんは言った。

花乃は弱目の冷房を入れてから、扇風機を付ける。
彼女にとって、この涼しさが一番快適なのだ。

花乃は慣れた手つきで卵を割ると、
フライパンで薄焼き卵を作った。
料理の出来ない大久保くんは、意味もなく椅子と花乃の間を
ウロウロするくらいしか出来なかった。

「どうして俺を誘ってくれたんですか」

大久保くんは、写真サークルのメンバーの中でも
少しやんちゃな見た目だった。
そのせいで大人しい女子に怖がられることも多々あるので、
サークル内では少し気にしていた。
花乃も、見た目で言えば大人しい女子の1人なのだ。

「流しそうめんする日に知り合いに会ったら、
誘うでしょう、それは」

花乃は真面目な顔で答えた。

「花乃先輩らしいですねえ」

一瞬驚いた顔をして、大久保くんは笑っていた。


流しそうめんが電池で動く事を知ったのは、
素麺のセットが出来上がって
食べる寸前であった。
きゅうりと錦糸卵が皿に乗っていて、素麺の器には氷が入っている。
花乃が電池を探している間、氷は待ちくたびれたのか
体勢を崩して「カラン」と鳴った。

「まあ良いや」

花乃は探すのを諦めて、テレビのリモコンから電池を取り出した。
大久保くんはそれを、笑いながら見つめていた。

「テレビ見る時困りますよ」

「そしたら次は、エアコンの電池を入れれば良いのよ」

2人の会話はそこまで多くなければ、
何かが生まれるような濃さも無かった。
ただ2人は大笑いすることは無く、ふふっと笑っていた。

タライのような簡単な作りの流しそうめん器は、
電源を入れると想像以上の大きな音を出して回り始めた。
花乃が一瞬「ヒィ」と言う声を出したので、
大久保くんはそれを皮切りにゲラゲラと笑い始めた。

「音大きすぎるでしょ、これ」
花乃は焦りながらも、急いで素麺をそちらに移す。

素麺はグルグルと回る。
同じ場所を、永遠に。

大久保くんがずっと笑うものだから、
花乃もつられて笑い出す。

「だってこれ意味ないでしょ。
回ってるだけじゃないっすか」

2人とも笑いながら素麺を掴むものだから、
箸を持つ指先が震えて、素麺が逃げていく。
それが意味もなく可笑しくて、
ますます2人のツボを刺激するのだった。

大久保くんは漸くつまんだ数本の素麺を、
大事そうに麺つゆに移して啜った。
麺つゆは花乃がダシを取って作ったお手製の味だった。

「あ、でも美味しいっすね」

花乃の表情が明るくなった。

「やっぱり、回っている間に美味しさが蓄積されてるんじゃないかな?
何周もする中で、先頭の素麺の旨みを次の素麺が吸収して」

「そういう意味じゃないんすけど」

コツを掴んだ大久保くんは、
次から次へと素麺をすくった。
花乃も負けじと素麺を足して、
泳いでいる素麺を追いかける。

「確かにいつもより美味しい。
やっぱり2人で食べるからかな?」

大久保くんは、一瞬箸を止めて
花乃の方を見た。

花乃は気にせずに、素麺を追いかけている。

「…これからも一緒に飯を食べれるような仲になりませんか。
例えば、俺が彼氏になるとか」

「無いね」

花乃の返答に、大久保くんは笑うしか無かった。

本当は、その返答を分かって聞いていたのだ。
花乃は相変わらず素麺の方しか見ていない。

だけど、3400円でも、
こっちの方が幸せだなと、
心の中で思うのだった。


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