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「おさがり」で良かった話


思い返せば幼少期、ずっと兄からの「おさがり」が多かった。
服は中学生までずっと男児用の服を着ていたし
裁縫セットやお道具箱も青色のを使っていた。

裁縫セットなんて酷いもので、
兄が一番好きなデザインを選んだものだから、
野球球団のロゴが12個並んだものだった。
母は兄が裁縫セットを頼む時点で
私に使わすことを虎視眈々と考えていた筈である。
何故止めたかったのか。
母も野球が好きだからである。

私は塾も含め習い事をしたことの無い人間なので
(私が尖っていたからか、実家が貧乏だったからか理由は定かでは無い)
中学時代まではお金を使わない親孝行な娘だったのでは無いかと思う。
本格的にオシャレに目覚めたのは高校生になる頃だったので、
高い服や鞄を買う必要も無かっただろう。

『おさがり』とは厄介なもので、
兄弟がいる以上は性別関係なく通る道であり、
最早それは、儀式でもある。

ただ私には幼少期、兄という年上の存在に憧れていた面があるのも否めない。
兄がしていることを出来る、という事は1つのステータスだった。
そんな私が家族に呼ばれていたあだ名は『真似ザル』である。

そうやって育って来たものだから、
兄の持っている物を使うということは、
実際さほど苦痛では無かった。

そういうことをボンヤリと考えながら、
私は1つ思い出した事がある。

『そういえば、本もお下がりだったな』と。
生まれてから殆ど絵本に触れずに生きて来た所以は確実にココにある。

「めばえ」「小学1年生」という羅列にピンとくる人はいるだろう。
兄はその児童雑誌を何故か、
実際の学年よりも2つ上の名前で定期購入していた。
私はそれをおさがりで貰っていた。
内容は全く記憶に無い。
当初の私には、きっと内容が追いついていなくて
頭に入らなかったのだろう。
ただ、私はお兄さんお姉さんが読む雑誌を手に取る事を、
誇りに思っていたのだ。

小説も例外では無かった。
兄も元々文字が好きだったので、読み終わった物を貰うと
必然的に文字ばかりの本が多かった。
『フレディ』『よわむしおばけ』の2作品はとっても鮮明に覚えていて、
恐らく私が人生で最初に触れた「文学」だろう。
読んだのが幼稚園の時で、私は当初よく嘘をついていたので、
母に読了した旨を伝えても全く信じて貰えなかった事を記憶している。
自業自得である。

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フレディは正直、難しくて半分くらいは理解していなかったと思う。
だけど私は「文字のある本を読んでいる」自分が誇らしく、
いつしかその『形』が、実際に読書の姿勢を作ったのである。

兄から貰っていなければ、私はこれほどに小説を身近に感じていただろうか。
小説を当たり前に読む環境が、
現在への大きな道標になったことは間違いない。

私はどうやら、おさがりで随分と知識を得ていたようである。
なんて安上がりなのだろう。
だけどそれが細く長く、今にまで繋がっているのだから
こんなにお得なことは無い。


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