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セルフタイマーでピースして


世界って、こんなにも静かだったかしら?

街中のイルミネーションや、和洋問わずごちゃ混ぜに流れるBGM、
赤と緑に包まれた華やかな色の視界。
まるで誰かに怒られた後のように、
今年は全てがシュンとしているように感じる。

何を隠そう、私はクリスマスが大好きだ。
毎年12月になると家でクリスマスソングを永遠ループするのは
決まり事だったし、
逆に12月になるまではワクワク感を分散することが勿体無くて、
わざとクリスマスソングから避けていた。

幼少期から、クリスマスというものは
存在がテーマパークだったのだ。

実家はベタにクリスマスツリーが飾ってあって、
私が遊びに出歩くようになるまでは、毎年ベタにパーティーをした。
サンタクロースも必ず、私が欲しいものを持ってやって来た。
嫌いになる筈がない。
愛おしきクリスマス。
もう枕元にプレゼントは置かれないけれど、
今でも大好きだ。

クリスマスは決して私を孤独にさせなかった。
家族は毎年、その日を重んじていた。
大人になってからは
自身でクリスマスを楽しむべく緻密な計画を立て、
必ずそれを成功させた。
浮かれていたのだ。
ディズニーランドの中と同じで、
何よりも夢を見させてくれるそのイベントに、
周りと一緒に浮かれることが出来るその空間に、
私は遠慮なく甘えていた。
こんなに浮かれても周りから浮かない日など、
1年の内にハロウィンかクリスマスくらいってもんである。


ところが、だ。
今年、私はクリスマスソングを聴いていない。

勿論外を歩いていると、ましてや職場でも耳に入ることはあるけれど、
キラキラした音楽を、ずっと聞けないで今日になる。
何だか秋の夕暮れのような類の寂しさに、胸が切なくなる。

孤独を感じているからだ。
毎年一緒に騒いでいるあの人や、
何でもなくイルミネーションを見に行っていたあのカップルは
一体どこに行ってしまったのか。
テレビのクリスマス特集は?
今年はとても少なく感じる。
駅に、まるで蛍のように当たり前に光っていたライトアップも。
クリスマスの欠片を探すけれど、
あるのはどことなく漂う「義務感」というか、
私たちを浮かれさせないようにシュンと佇んでいるそれらなのだ。

ショックだった。
この空気に、こんなにもクリスマスが大好きな私が
影響されているだなんて。

嫌でもこの1年の憂鬱を思い出してしまう。
そうだ、もう年末だ。
今年はあって無いようなものだと、
世間の人は言うけれど、
積み重なった我慢は例外なく年末にも追いかけて来て、
クリスマスというきっかけでガツンとやられてしまったのだ。

去年だって、クリスマスにホームパーティーをした。
事前にピザを予約して、
おいしいと評判のチキンも買って
部屋の飾り付けまでしたというのに。
別に今年だって、同じ楽しみ方が出来るでは無いか。
どうしてこんなにも腰が重いのか。

世間の自粛モードに染まっている。
浮かれている私を見て、私が
「こんな時まで浮かれちゃって」
と、冷たい視線を浴びせてくる。

…危なかった。
私はクリスマスについてじっくり考えなければ、
今年のクリスマスまで無かったことにしてしまうところだったのだ。
スラスラと語れる楽しい思い出の中に、
【2020年;こんなことのせいで退屈なクリスマスを送ってしまった】
というタイトを保存しかねなかったのだ。

今年はというと、2人だけの細やかなパーティーである。
まあそれでも、家のぬいぐるみを合わせると4人になる。
シャンメリーでも買って、
上手く開けれるかドキドキしながら笑い合えれば、
それは歴とした
「クリスマスに浮かれている人」になるのでは無いだろうか。
こんなちっぽけな出来事で楽しむ才能は
今こそ発揮するべきなのだ。

それじゃあこれは思い付きなのだけれど、
当日は乾杯しながらセルフタイマーで写真を撮って、
その後は音楽に合わせてプレゼント交換でもどうかしら。
どこからか聞こえる、鈴の音に耳を傾けながら。

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