乾杯したかった


大人になった今、
あの時に乾杯出来なかったことを後悔している人がいる。

祖父だ。
祖父は、私が小学4年生だった頃に他界した。
亡くなるまで癌だと言うことは教えて貰えなかったけれど、
お見舞いに行く度に弱っていく祖父の姿を見ていたので、
子どもながらに長く無いことは察していた。

そんな祖父が大好きで、
亡くなった時心から悲しかったかと言うと、
どうだろう。
もしかすると、身近な人の涙に釣られて悲しかっただけかもしれない。
お世辞にも私は祖父と仲が良いとは言えなかった。

だけど今なら分かるのだ。
私が大人になったら、絶対に仲良くなれる人だった。
それが分かるまでに別れが来てしまったことが、
今でも残念でならない。

祖父は年齢なんて関係無く、対等に接する人だった。
一世代前の人と考えても、結構な変わり者だったと思う。
悪いことをすれば容赦なく怒るし、
自分の主張もはっきりとしていた。
子どもだから妥協する、なんてことは無かった。
幼少期、周りはみんな私のペースに合わせてくれる人ばかりだったので、
私は祖父が怖かった。

でも決して嫌いでは無かった。
祖父は絶対に台所に立たない人だったけれど、
一度だけ、私がチューペットを食べたいと言った時、
2つセットになっている繋ぎ目を、
包丁で切ってくれたことがある。
家に帰って来た母に話すと、大変驚いていた。
余りにも驚くので、私は祖父に特別なことをして貰ったんだと思って
誇らしくなった。
その思い出を、何故だか未だに覚えている。

そんな祖父は新聞記者だった。
私が文字を書くことが好きな血筋は、ほぼ確実にここから来ているのだと思う。
祖父の部屋は図書館のように本が沢山置いてあって、
多すぎて何を買ったか分からなくなって、
同じ本が2冊あったりもした。
だけど、タイトルを言うだけでどんな話なのかすぐに教えてくれた。
祖父の頭の中は図書館だった。

きっと、今なら私が書いた文章を
喜んで読んでくれたんじゃ無いかと思う。
上手い下手なんて関係無くて、
祖父は自分の好きなことを好きであることを
心から喜ぶ人だった。
あの頃は共通の話題が無かったけれど、
今ならお酒を飲みながら交わす話題だって沢山あるのに。

好きな小説、祖父の仕事の話。
祖父が時々嬉しそうに話す姿を、鮮明に覚えている。

祖父はとても頑固で気難しかったけれど、
お葬式の時、沢山の人が偲びに来てくれた。
不思議な程、人望に恵まれた人だった。
その光景を思い出して、私はハッとしたのだ。
もしかすると祖父は、私が憧れる人生を歩んだ人なのかもしれない。

祖父と過ごした時間は余りにも短く、
余りにも勿体ない程早くに別れてしまった。
私たちの間にあったのはどう足掻くことも出来ない『時間』で
取り戻すことは出来ないけれど、
私はその思い出を今、自分の人生に重ねている。
誰かと酌み交わす、とはこういうことなのかもしれない。


祖父と乾杯出来るまでの日は、
きっとまだまだ長い時間がある。
だけど、お酒を交わすことはすぐにでも出来る。
今度祖母の家に遊びに行った時にはお酒を2つ用意して、
1つは仏壇に備えて、それから近況報告でもしよう。
祖父はきっと嬉しそうな顔をして
聞いてくれるに違いない。

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