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トカゲのしっぽ


綾子が喋らなくなったのは、
中学2年生になったばかりの頃だった。

1年生の頃は自然な会話が出来ていただけに、
クラスの皆が戸惑いを隠せずにいた。

綾子が話さなくなった瞬間は、
親友の莉花と、綾子自身だけが気付いていた。


2年生、春の始まり。
クラスメイトが順番に自己紹介をする時間があった。

出席番号に沿って、
1人ずつ立ち上がる。

皆照れ臭そうに名前と一言を述べては、
後ろの席へとバトンを渡していた。
大抵の子が所属している部活動や
飼っているペットを述べていく中、
28人いる教室の中で、
綾子の順番が回ってきたのは11番目だった。

綾子も皆と同様、
やる気のなさそうな顔をして立ち上がった。

「北村綾子です。トカゲが好きです。
家でもトカゲを飼っています」

皆と同じ、無難な内容だと思った。
綾子にとって、トカゲを飼っていることは
何もおかしいことでは無かったからだ。
しかしその瞬間、教室の空気が浮ついたことに気が付いた。

「トカゲだって」
「飼ってるって、変わってるね」

言葉の毒が脳を溶かして、
喉元が塞がった瞬間だった。


綾子はそれから、いわゆる『お話』が出来なくなった。

国語の授業の音読は出来た。

名前を呼ばれて「はい」と答えることも出来た。

ただ、道徳の授業で自分の意見を言ったり、
遠足で回るルートの話し合いに参加することはしなかった。

綾子は元々、特別目立つようなキャラクターでも無かったが、
教室の隅でじっとしているような人物でも無かった。

だからこそ、綾子の変化に皆が不思議そうにしていた。

理由に気が付いている莉花は、
気付いていないフリをして、
その理由を誰にも話さなかった。


莉花と綾子は小学校からの同級生だった。

小学生の頃買ったお揃いのストラップは
今もスクールバックに付けている。

綾子がオレンジのトカゲ。
莉花が青色のトカゲ。

莉花は、綾子が話さなくなってからも
深い詮索はしなかったし、
登下校だって一緒に続けていた。

莉花はハツラツとした性格で、
学級委員に推薦されるような人気者だった。

綾子のことについて、
他のクラスメイトから聞かれることも
幾度とあった。

「綾子と一緒にいて楽しいの?」

「だって、綾子話さないじゃん」

悪気の無い質問に、莉花は決まって答える。

「楽しいよ。
綾子は誰よりも話を聞いてくれるよ」


確かに綾子は昔から優しかった。

小学4年生の出来事が、
莉花の頭にはずっと残っていたのだ。

莉花が誤って教室の窓ガラスを割ってしまった時、
他のクラスメイトは騒然とするだけだった。

先生に一緒に謝りに行ってくれたのは綾子だった。

綾子は優しさ故に繊細な面があった。

莉花は、綾子に勝てない面をしっかりと理解していた。
だから、今回の件を受け止めるのは
難しいことでは無かった。


チャイムが鳴って、
椅子のガチャガチャとした音が一斉に聞こえる。

『莉花、スカート短くしたの?』

休み時間、綾子はノートの隅にメモ書きをした。

「したよ。短い方が可愛いじゃん」

莉花は前の席に座って、後ろを振り返っていた。
綾子は1つ、頷いた。

『似合ってる』

綾子はいつでも人の意見を尊重した。
自分では絶対に校則を破ることなんてしないのに、
それを咎めることは無かった。

莉花は、綾子のそういうところが好きだった。


綾子は、軽く下唇を噛んでいた。
それから、意を決したようにペンを動かした。

『ストラップ、外しても良いよ』

綾子のメッセージに、莉花は思わず顔を上げた。
綾子は莉花を伺うように上目遣いで見つめている。

「なんで?トカゲだから?」

綾子はそのまま俯いた。
自分の思っていることを見透かされて
恥ずかしがっているようだった。

「外さないよ。気に入ってるもん、これ」

鞄についているトカゲはにっこりと笑っていた。
綾子の髪の毛がふわっと揺れて、
莉花は居た堪れない気持ちになった。


中学1年生の秋頃、
下校中に頬を染めて、綾子は話してくれた。

「髪の毛、伸ばそうと思うんだ」

綾子はこれまでずっとショートへアだった。
今まで気にしていなかった髪型を
変えようとする綾子に、莉花は一瞬戸惑った。

綾子はもうすぐ大人になる。

莉花自身、既にモデル雑誌を買って
メイクや髪型の研究をしていたので、
その戸惑いは、
カルチャーショックから来るものでは無かった。

人が大人になる過程が、
とても尊く感じたからだった。


綾子の髪の毛は、もうすぐ鎖骨の長さまで到達する。
そうなれば綾子は髪の毛を1つに結び始めるだろう。
校則に従って。

莉花は、ホームルームの間
退屈な担任の話を聞きながらトカゲのストラップを握っていた。
空気の入ったストラップはプニプニと柔らかかった。

「ねえ、北村さんとお揃いなの?それ」

右隣の席から、山田が小声で話し掛ける。

「そうだよ。可愛いでしょ」

莉花は山田に向かって明るく返事をした。
山田はからかうように口の端を緩める。

「牧野は楽しいわけ?北村さんと一緒に居て」

莉花の表情が一瞬曇った。

「楽しいから一緒にいるんじゃん」

山田は莉花の小さな変化に気付くこと無く、
無邪気に言葉を投げ続けた。

「でもさ、あいつ変じゃん。
 話したことないし分からないけど」
「変じゃないよ」

莉花は無意識に出た言葉に、
自分でも驚いていた。
声のトーンが変わった莉花に気付いて、
山田は黙った。

山田はまだ子どもだ。
分かっているのに、上手くかわすことのできなかった
自分への罪悪感で胸が詰まりそうだった。


綾子は『変』だけど『莉花の友達』。

綾子の印象は、数ヶ月で呆気なく上書きされていた。
それでも莉花の友達、というだけで
クラスの浮いた存在として認定されることは無かった。

莉花の存在は、教室内でそれだけ大きかった。

夏になって、
綾子は髪の毛を後ろで1つにまとめるようになった。
ショートヘアの時よりも色気が出て、
ますます大人びてきたようだった。

莉花は、綾子の魅力に気付かないクラスメイトを
哀れに思っていた。

また、莉花自身も益々目立つ存在になっていた。
半袖になったブラウスは
明るい雰囲気を助長させて、
その頃にはクラスの男子に一目置かれるような
人気者ポジションを手にしていた。

休み時間、スカートを短くした女の子達が
莉花の周りに集まる。

まるで綾子を寄せ付けないように、
莉花のブランドを自分達に纏わせる為にも
感じられた。

「莉花、左腕どうしたの?」

1人の女子が、悪意なく莉花に指摘した。
そこは、濃くこびり付いた青痣だった。

「ああ、生まれつきなの、これ」

莉花は明るく笑う。
取り囲んだ女子が一瞬申し訳なさそうな顔をしたが、
莉花の笑顔に安心したようで
「そうなんだ」
と言った。

「ねえ、今日一緒に帰ろうよ。
部活休みなんだ」
「私クレープ食べに行きたーい」

視線が、莉花に集まった。

「ごめん、私綾子と帰るから」

女子たちに、決まった返しをする。


「じゃあ、綾子ちゃんも来たら良いじゃん」


痣を指摘した女子が、真面目なトーンで返事をした。
莉花の表情が、明らかに曇ったのが分かった。

「私、別に綾子ちゃんが来ても良いよ。
莉花と遊べるなら」

「でも…綾子は」

喋らないし。
そう言おうと思った自分に驚いた。

喋らない綾子を殻に閉じ込めているのは
自分だと気が付いたからだった。
そして、タチの悪いことに
その意識は潜在的に頭の中を泳いでいたのだ。

「聞いてみるね、綾子に」

なんとか空気を持ち直した頃、
授業開始のチャイムが鳴った。


莉花は、持っていたシャーペンをカチカチと鳴らした。

綾子は、こんな女子と遊びたい筈がない。
綾子は繊細だから、私じゃないと上手く扱えない。
万が一壊れてしまったら、もう元には戻らない。

莉花は綾子の方をチラッと見た。
懸命に先生の話を聞いて、ノートにメモを書いている。

綾子の鞄にはトカゲのストラップが付いていて、
なんだか安心した。

「それでは、32ページから読んでください、北村さん」

先生が綾子を当てた。
綾子は静かに立ち上がって、本を読み始める。

皆が綾子を見ている。
莉花はその視線が居た堪れず、下を向いた。


自分はトカゲの尻尾だ。

莉花は思った。

ついてきているのは、
綾子じゃなくて、自分。

だけど、尻尾がくっついているうちは、
自分が綾子を守るべきだ。


「お腹痛いんで保健室行ってきます」

綾子が席に座るのを見計らって、
莉花が立ち上がった。
それきり莉花は放課後まで授業をさぼった。


放課後に、例の女子たちは来なかった。
『大丈夫?』とスマホでメッセージだけ送られて、
保健室の先生にバレないようにこっそり返事をした。

カーテンが開く。
先生が、帰宅を促す。
莉花はゆっくりと鞄を持って、
下足室へ出た。

綾子は帰ったのだと思っていた。
でもどこかで、
お見舞いに来ることを期待している自分も居た。

綾子は帰っていなかった。

掃除当番で、
体育館の側を掃除しているところだった。
莉花は少し悩んで、
綾子の方へ向かった。


綾子が莉花の存在に気付くと、
不安そうに莉花に近付いた。

「大丈夫だよ、サボっただけ」

綾子は怒る様子も無く、
安心したように頷いた。

莉花は、心を決めたように口を開いた。

「綾子、もう話しても大丈夫だよ。
怖いなら、私にだけでも話したら良いじゃん」

綾子は口をギュッと噛んでいた。

「私のこと、信用出来ないの?」

綾子は慌てて首を横に振る。
とても悲しそうな表情を見た瞬間、
莉花の目元に涙が押し寄せてきた。

莉花の涙に動揺して、
綾子は思わず手に持ったホウキを倒した。

慌ててホウキを持ち直して、綾子は唇を震わせた。

「…莉花は私といるべきじゃない」

久々に面と向かって声を出した綾子に
何か言うでもなく、
莉花は、綾子の袖元をそっと掴んだ。

「どうしてそう思うの?」

「莉花と私は、違う」


ブチンっと、
尻尾を切られた音がした。


ストラップを外そうと言ったのも、
莉花にすら声を出さなかったのも、
全部自分の思い違いで
綾子は初めから莉花を頼ってなんか居なかったのだと
気が付いた。

莉花が殻に閉じ込めていたのでは無かった。
最初から莉花は、手のひらに空っぽの殻を持っていただけだった。
そこに綾子が居ると信じて。


「違うって、何が?」

莉花は、左腕の痣を右腕で隠した。
綾子は何かに気付いたように、
小さな声で「あっ」と言った。


小学生の頃、莉花は夏でも長袖だった。
人とは違う左腕が恥ずかしかった。
そんな気持ちに、すっと入ってくるのは綾子だった。

「人とは違うって言うけど、その『人』って誰のこと?
基準になる人がいて、みんなが真似をしているの?
私は莉花の腕だって、なんとも思わない」


莉花はその日から、
ずっと綾子が好きだった。
それなのに、周りは容赦なく遮断する。
記憶は容赦なく上書きをする。


「ストラップは外そう」

莉花が呟いた。

トカゲの尻尾は、一度切れてもまた生えてくる。

「私はこのストラップのせいで、
綾子に依存してしまう」

もう一度やり直せる。

綾子はきっと、明日から
昔みたいにみんなと話す。

莉花に対しても、
みんなと同じように話すだろう。

綾子は昔からそういう人だった。
特別、なんて無かった。

帰り道、綾子はトカゲのストラップを外して、
莉花に渡した。

「これあげる。
私もう、周りに見せつける物がなくたって
莉花とは友達でいられるって気付いたから」

莉花はストラップを受け取った。
トカゲは相変わらずにっこりと笑っている。

莉花は綾子の隣で、
子どもみたいにわんわん泣いた。


挿絵提供:みゃーむょん
https://instagram.com/wimwim_1616?igshid=1okkus7py0u71

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