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石川真理子
2024年9月25日 08:30
「日本文化とは何か」と考えた時、一つには「察する文化」ということができるでしょう。言葉にならずとも理解する。相手の様子から先を読む。目には見えずとも、生活のすべてが神仏とともにあるとし、歴史を紡いできた日本人にしてみれば当たり前のことでした。ところが近代化以降、日本人も物質文明の中で生きるようになっていきました。第一次世界大戦後にはますます物質主義的になりましたし、やが
2024年9月24日 08:30
真の学びは、すべからく人生に活かすことができます。同時に、人生に活かされなかったとすれば、それは単なる知識で終わってしまい、真の学びにはなり得ません。かつての日本の教育は、知識として理解することよりも、人生経験を積む中から体得することを真の学びとしていたのでしょう。その時々の心情を詠んだ和歌は、感性に訴えかけてくるものです。繰り返し味わっていると、今も昔も、人の心の動きというの
2024年9月23日 08:30
何とかして安心したいと思い、安心材料になる情報を探す。あるいは先々の心配を解消したいがために、予備材料となる情報を求める。入手する情報によって一喜一憂するということは、心が乱高下しているということです。外にある情報にばかり頼るということは、情報に振り回されてしまうことを意味するのです。「安心」という言葉が意味するように、安らぎは私たちの心のなかにあるのであり、外に存在するもので
2024年9月22日 08:30
私たちが暮す世界には、さまざまな目には見えない存在もあるのです。「禊」や「祓え」は特別な時だけでなく、日常の生活の中に取り入れるべきものだという考え方は自然なことに思えます。お風呂のお浄め効果をレベルアップしたい時は、塩風呂や日本酒風呂にしています。天然塩は10~30グラムほど、日本酒なら200ccくらいです。体が重いと感じた日には、天然塩をお風呂に持ち込んで、ツボでは百会
2024年9月20日 08:30
あらためて「多生の縁」ということを考えてみたことがあります。どんなに小さなご縁であっても大切にしようという気持ちがあれば、たとえ二度と訪れることはないとわかっているような場所でも思いやりのある言動がとれるはずです。こういうごく小さなご縁を大切にすることが、よきご縁を引き寄せる結果になるのではないか。ふと、そんな気づきを得たのです。どんなにささやかなご縁であっても大切に思い感謝
2024年8月21日 08:30
いかにも努力しているという姿を見せない。いかにも親切をしているという振る舞いもしない。評価されたいという思いをどこかにうっちゃって見返りを求めなくなるとずいぶん心は軽く、潔くなるものです。
2024年8月6日 08:30
SNSの場合、もっぱら言葉だけが頼りです。オンラインでの対話であっても、やはり実際に会って話すのと同じようにはいきません。こしたことを踏まえれば、かなりの配慮が必要になってくるはずなのです。しかし、一般敵にはインターネットだと妙に気安くなったり、大胆になったりするようです。面と向かってなら決して言わないようなことだったとしても投稿やコメントなら書けてしまうのは、画面の向こうに人が
2024年8月5日 08:30
「話は全身で聞くものです」そう教えられたものですが、それは「間を大切にしなさい」ということをも意味していたのです。相手の話を聞く時には、寄り添う気持ちがありたいものです。もしも意見が食い違ったなら、歩み寄る努力が欲しいところです。どれくらい近づいていいか、どこまで歩み寄ればいいか、あくまで感覚的なものであり、しかも相手あってのことですから、「間」を心得るのは簡単ではありませ
2024年8月4日 08:30
私たちは一生のうちに、どれだけ挨拶をするのでしょうか。初対面でも、しょっちゅう顔を合わせる人とでも、とにかく始まりは挨拶です。初めて出逢った人と挨拶を交わすときは誰でも気をつけるものでしょう。その出逢いが発展するかどうかは、出逢いの瞬間にほぼ決まるからです。「人は見かけによらない」ともいわれますが、たぶん99%の人が無意識のうちに見た目で判断しているはずです。「見かけによらず
2024年8月3日 08:30
自分の格が上がると、出逢う人の格も上がる。あまり好ましい言葉ではありませんが、「ステージが上がる」とか「レベルが上がる」とも表現できます。なんだか傲慢な感じを受けるかも知れませんが、これが私の正直な実感なのです。ひとつ注意していただきたいのは、「出逢う人のレベル」とは、必ずしも社会的地位の高い人とか、大富豪と称される人というわけではありません。私が思う品格のある人とは、お話し
2024年6月7日 08:30
道がないなんて思い込みかもしれない。たとえなかったとしても歩き続ければそれが道になる。存在しないものは想像さえできないという。ならばもう想いはその先の世界へと続いている。「前例がない」なんて愚かな言い訳に過ぎないことを知っているのに気づかないふり。「出る杭は打たれる」なんて誰が言い出したのか知らないけれどだいたい人を杭にたとえるのが間違ってる。狭苦しいところでなんだってひ
2024年5月31日 08:30
拠り処。いい言葉です。「所」と書く場合もあるけれど「処」としたほうが断然いい。拠り処とは、単に居場所ということではなく拠って立つ何か、なのです。還るべき基本、頼りとなるもの、変わらぬ支え。具体的な場所や人というよりは普遍的な教えであることが多い。たったひとつでも拠り処があれば少しは強く生きていくことができるものです。だから人はできるだけ早いうちに拠り処となる教えや考え方と
2024年5月30日 08:30
自分を満たそうと意識ばかり動かしているかも知れない。「心の時代」と言われるけれどそれは体を置き去りにすることではない。そもそも「心か体か」という二択であるところに歪みと分離が生じている。体を通して体験することで心は育まれ育まれた心は身体行動を調節する。その繰り返しの中で魂へと至るならどうしてこの体を慈しまずにいられよう。愛する人に触れずにいられよう。
2024年5月24日 08:30
「美しい決断と夢中が私を支配していた」中西悟堂の『槍ヶ岳』という詩の一節です。美しい決断と夢中この言葉が強く胸を貫いてくる。しかもそれに支配されていた。そこに幸福のひとつのかたちがあるように感じられます。美しい決断とは必ずしも安らかではないかもしれない。根底には挑戦していく静かな覚悟が流れている。いつの間にか私は「ほどほど」である方を選ぶのが癖になっていたのかも知れない。