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石川真理子
2024年6月7日 08:30
道がないなんて思い込みかもしれない。たとえなかったとしても歩き続ければそれが道になる。存在しないものは想像さえできないという。ならばもう想いはその先の世界へと続いている。「前例がない」なんて愚かな言い訳に過ぎないことを知っているのに気づかないふり。「出る杭は打たれる」なんて誰が言い出したのか知らないけれどだいたい人を杭にたとえるのが間違ってる。狭苦しいところでなんだってひ
2024年5月31日 08:30
拠り処。いい言葉です。「所」と書く場合もあるけれど「処」としたほうが断然いい。拠り処とは、単に居場所ということではなく拠って立つ何か、なのです。還るべき基本、頼りとなるもの、変わらぬ支え。具体的な場所や人というよりは普遍的な教えであることが多い。たったひとつでも拠り処があれば少しは強く生きていくことができるものです。だから人はできるだけ早いうちに拠り処となる教えや考え方と
2024年5月30日 08:30
自分を満たそうと意識ばかり動かしているかも知れない。「心の時代」と言われるけれどそれは体を置き去りにすることではない。そもそも「心か体か」という二択であるところに歪みと分離が生じている。体を通して体験することで心は育まれ育まれた心は身体行動を調節する。その繰り返しの中で魂へと至るならどうしてこの体を慈しまずにいられよう。愛する人に触れずにいられよう。
2024年5月24日 08:30
「美しい決断と夢中が私を支配していた」中西悟堂の『槍ヶ岳』という詩の一節です。美しい決断と夢中この言葉が強く胸を貫いてくる。しかもそれに支配されていた。そこに幸福のひとつのかたちがあるように感じられます。美しい決断とは必ずしも安らかではないかもしれない。根底には挑戦していく静かな覚悟が流れている。いつの間にか私は「ほどほど」である方を選ぶのが癖になっていたのかも知れない。
2024年5月23日 08:30
「佇まい」とは単に立っている様子ではなくその人のあり方までもが表されています。佇まいにはその人が過ごしてきた「時」が見えているのです。どのような心持ちでいるかによって表情も、言葉も、姿勢も、立ち居振る舞いも変わってくるものです。不安を抱え憂鬱に過ごす時間が多かったのか不満が渦巻いて荒い言葉になりがちだったのかあるいはささやかなことにも感謝して小さな喜びを積み重ねていたのか
2024年5月22日 08:35
誰もが自分の物語を生きています。この世界は舞台のようなものであなたという主人公がいて物語が展開していくのです。時に舞台装置が大きく変わりあなたをとりまく風景も人も入れ替わり物語は新しい段階へと進んでいきます。現実の世界では舞台セットがあるわけではなく人や風景があとかたもなく入れ替わることはないでしょう。けれど、そのエネルギーを観じてみれば昨日と同じ風景、同じ人でもまるで違
2024年5月21日 08:30
「ものを大事にしないのは神さまに感謝する心がないからですよ。それは自分を大事にしていないのも同然なんですよ」神社のお社には鏡が祀られています。鏡に向かえば、そこに自分の姿を見出します。このことは私達の中にも神さまがおわすこということ、また、この世のすべては我が鏡であるということを教えてはいないでしょうか。人はもちろんものも鏡なのです。相手に対して微笑めば微笑みがかえってくる
2024年5月19日 08:30
仏教の本質は「慈悲」です。人を慈しみ、その悲しみに寄り添うこと。人生にはさまざまな悲しみがつきものですし、人間存在そのものも悲しいものです。なぜなら、必ず最期は死を迎えるからです。滅びゆく宿命に対してなすすべもないことを理解し、人間存在そのものを心から慈しみ、共に悲しんでくれる。これが慈悲だと私は理解しています。慈悲は儒教における「仁」であり、「仁」は「慈愛」という言葉に置
2024年5月17日 08:46
これまでの人生であなたが受けてきた傷奈落の底を見るような悲しみ胸の奥が空洞になるような淋しさは神さまから賜ったものなのです。人が与えたのではなく天が下賜されました。そこには祈りがあったのです。願いがあったのです。どうかこの世界をやさしくしてください。どうか慈しみと愛を拡げてください。どうかこの光をもたらしてください。神さまの願いであり祈りです。痛みを知らない者は他者の痛み
2024年5月9日 08:28
私が掴んだ真理、それは、大いなる愛です。真理に続く道はすべて愛に通じており、その愛とは大宇宙の本質です。そして、大宇宙の本質こそが、「和」「大和」なのです。宇宙は魂の源ですから、私たちの本質も愛ということができます。この肉体に宿っている命とは、すなわち愛そのものなのです。けれど、いつの間にか、私たちはそれをすっかり忘れてしまいます。もしかしたら、肉体を持って生まれるというこ
2024年5月4日 08:56
今は苦しみ悲しみを吐き出したほうがいいとされる。どれほど苦労を乗り越えたか至るところで語られ同情と共感(に似たもの)が起きる。感情を露わにすることも日常茶飯事となった。我慢すれば心を病みかねないと考えられているのだろうか。悲しいことである。何もかも抑圧しろとは思わないけれどただ、本来の日本人は霧散してしまった。今は大陸的な性質が蔓延している。人生に労苦があるのは当然で人と
2024年5月1日 08:40
多くの人が不確かな未来に心を飛ばし今を見失いながら過ごしているようです。今を見失うということは人生を見失っているということです。せっかく与えられた時間も感謝することなく流れてしまう。時間は、命の時間です。いつ終わるかしれない命の時間をそれでは浪費するばかりです。今をいかに生きるかが未来を創造することを忘れないでいてください。不確かで不安な未来を思えばこそ今を豊かに生き
2024年4月30日 08:42
「心根」という言葉があります。昔の人は心根がいいとか悪いとかしばしば言ったものでした。「心」ではなく「心根」であるところに深い意味を感じます。植物は根がダメになるといくら手入れしたところで弱っていくばかりです。根を深く張った樹木は見事に大きく育ちます。良質な根を持つ草木は瑞々しい花を咲かせます。私たちの心も、その根が大事なのです。たとえば、上部では良いことを思っても
2024年4月29日 08:30
素行とは、平素の行いを意味します。祖母はよく言ったものでした。「ふだんの行いにこそ心根があらわれるものだよ」心根とは心の奥底、その人の真の心です。心をシャンとさせるには背筋をシャンと伸ばせばよいのと同じで、よい心根は、よい行いを習慣づけることによってはぐくまれます。大切なのは、「人にどう見られるか」ではなく「自分がどうあるべきか」を基準にすることです。人にどう見られるかというこ