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今日の言の葉

799
その日、降りてきた言の葉を綴っています。あなたの良き日々に繋がれば幸いです。
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#女子の武士道

その先の世界へ

その先の世界へ

道がないなんて思い込みかもしれない。
たとえなかったとしても
歩き続ければそれが道になる。
存在しないものは想像さえできないという。
ならばもう想いは
その先の世界へと続いている。
「前例がない」なんて
愚かな言い訳に過ぎないことを
知っているのに気づかないふり。
「出る杭は打たれる」なんて
誰が言い出したのか知らないけれど
だいたい人を杭にたとえるのが間違ってる。
狭苦しいところで
なんだってひ

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拠り処

拠り処

拠り処。
いい言葉です。
「所」と書く場合もあるけれど
「処」としたほうが断然いい。
拠り処とは、単に居場所ということではなく
拠って立つ何か、なのです。
還るべき基本、頼りとなるもの、
変わらぬ支え。
具体的な場所や人というよりは
普遍的な教えであることが多い。
たったひとつでも拠り処があれば
少しは強く生きていくことができるものです。
だから人はできるだけ早いうちに
拠り処となる教えや考え方と

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体と魂

体と魂

自分を満たそうと
意識ばかり動かしているかも知れない。
「心の時代」と言われるけれど
それは体を置き去りにすることではない。
そもそも「心か体か」という二択であるところに
歪みと分離が生じている。
体を通して体験することで心は育まれ
育まれた心は身体行動を調節する。
その繰り返しの中で魂へと至るなら
どうしてこの体を慈しまずにいられよう。
愛する人に触れずにいられよう。

美しい決断

美しい決断

「美しい決断と夢中が私を支配していた」
中西悟堂の『槍ヶ岳』という詩の一節です。
美しい決断と夢中
この言葉が強く胸を貫いてくる。
しかもそれに支配されていた。
そこに幸福のひとつのかたちが
あるように感じられます。
美しい決断とは
必ずしも安らかではないかもしれない。
根底には挑戦していく静かな覚悟が
流れている。
いつの間にか私は「ほどほど」である方を
選ぶのが癖になっていたのかも知れない。

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歳を重ねた美しさとは

歳を重ねた美しさとは

「佇まい」とは単に立っている様子ではなく
その人のあり方までもが表されています。
佇まいには
その人が過ごしてきた
「時」が見えているのです。
どのような心持ちでいるかによって
表情も、言葉も、姿勢も、
立ち居振る舞いも変わってくるものです。
不安を抱え憂鬱に過ごす時間が多かったのか
不満が渦巻いて荒い言葉になりがちだったのか
あるいは
ささやかなことにも感謝して
小さな喜びを積み重ねていたのか

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あなたが主人公の舞台

あなたが主人公の舞台

誰もが自分の物語を生きています。
この世界は舞台のようなもので
あなたという主人公がいて
物語が展開していくのです。
時に舞台装置が大きく変わり
あなたをとりまく風景も人も入れ替わり
物語は新しい段階へと進んでいきます。
現実の世界では
舞台セットがあるわけではなく
人や風景があとかたもなく
入れ替わることはないでしょう。
けれど、そのエネルギーを観じてみれば
昨日と同じ風景、同じ人でも
まるで違

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人もものも自分を映す鏡

人もものも自分を映す鏡

「ものを大事にしないのは
神さまに感謝する心がないからですよ。
それは自分を大事にしていないのも同然なんですよ」
神社のお社には鏡が祀られています。
鏡に向かえば、そこに自分の姿を見出します。
このことは私達の中にも
神さまがおわすこということ、
また、この世のすべては
我が鏡であるということを
教えてはいないでしょうか。
人はもちろんものも鏡なのです。
相手に対して微笑めば
微笑みがかえってくる

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本質が問われている

本質が問われている

仏教の本質は「慈悲」です。
人を慈しみ、その悲しみに寄り添うこと。
人生にはさまざまな悲しみがつきものですし、
人間存在そのものも悲しいものです。
なぜなら、必ず最期は死を迎えるからです。
滅びゆく宿命に対して
なすすべもないことを理解し、
人間存在そのものを心から慈しみ、
共に悲しんでくれる。
これが慈悲だと私は理解しています。
慈悲は儒教における「仁」であり、
「仁」は「慈愛」という言葉に

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神さまから賜りしもの

神さまから賜りしもの

これまでの人生で
あなたが受けてきた傷
奈落の底を見るような悲しみ
胸の奥が空洞になるような淋しさは
神さまから賜ったものなのです。
人が与えたのではなく
天が下賜されました。
そこには祈りがあったのです。
願いがあったのです。
どうかこの世界をやさしくしてください。
どうか慈しみと愛を拡げてください。
どうかこの光をもたらしてください。
神さまの願いであり祈りです。
痛みを知らない者は他者の痛み

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人生のシナリオ

人生のシナリオ

私が掴んだ真理、それは、大いなる愛です。
真理に続く道はすべて愛に通じており、
その愛とは大宇宙の本質です。
そして、大宇宙の本質こそが、
「和」「大和」なのです。
宇宙は魂の源ですから、
私たちの本質も愛ということができます。
この肉体に宿っている命とは、
すなわち愛そのものなのです。
けれど、いつの間にか、
私たちはそれをすっかり忘れてしまいます。
もしかしたら、
肉体を持って生まれるというこ

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日本人の微笑

日本人の微笑

今は苦しみ悲しみを
吐き出したほうがいいとされる。
どれほど苦労を乗り越えたか
至るところで語られ
同情と共感(に似たもの)が起きる。
感情を露わにすることも日常茶飯事となった。
我慢すれば心を病みかねないと
考えられているのだろうか。
悲しいことである。
何もかも抑圧しろとは思わないけれど
ただ、本来の日本人は霧散してしまった。
今は大陸的な性質が蔓延している。
人生に労苦があるのは当然で
人と

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未来を創造する

未来を創造する

多くの人が
不確かな未来に心を飛ばし
今を見失いながら
過ごしているようです。
今を見失うということは
人生を見失っているということです。
せっかく与えられた時間も
感謝することなく流れてしまう。
時間は、命の時間です。
いつ終わるかしれない命の時間を
それでは浪費するばかりです。
今をいかに生きるかが
未来を創造することを
忘れないでいてください。
不確かで不安な未来を思えばこそ
今を豊かに生き

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心根を育てる

心根を育てる

「心根」という言葉があります。
昔の人は
心根がいいとか悪いとか
しばしば言ったものでした。
「心」ではなく「心根」であるところに
深い意味を感じます。
植物は根がダメになると
いくら手入れしたところで
弱っていくばかりです。
根を深く張った樹木は
見事に大きく育ちます。
良質な根を持つ草木は
瑞々しい花を咲かせます。
私たちの心も、その根が大事なのです。
たとえば、
上部では良いことを思っても

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素行に配慮する

素行に配慮する

素行とは、平素の行いを意味します。
祖母はよく言ったものでした。
「ふだんの行いにこそ心根があらわれるものだよ」
心根とは心の奥底、その人の真の心です。
心をシャンとさせるには
背筋をシャンと伸ばせばよいのと同じで、
よい心根は、よい行いを習慣づけることによって
はぐくまれます。
大切なのは、「人にどう見られるか」ではなく
「自分がどうあるべきか」を基準にすることです。
人にどう見られるかというこ

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