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今日の言の葉

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その日、降りてきた言の葉を綴っています。あなたの良き日々に繋がれば幸いです。
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#女子の武士道

察する文化をとりもどす

察する文化をとりもどす

「日本文化とは何か」と考えた時、
一つには「察する文化」ということが
できるでしょう。
言葉にならずとも理解する。
相手の様子から先を読む。
目には見えずとも、
生活のすべてが神仏とともにあるとし、
歴史を紡いできた日本人にしてみれば
当たり前のことでした。
ところが近代化以降、
日本人も物質文明の中で
生きるようになっていきました。
第一次世界大戦後には
ますます物質主義的になりましたし、
やが

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心を旅立たせてくれる和歌

心を旅立たせてくれる和歌

真の学びは、すべからく人生に活かすことができます。
同時に、人生に活かされなかったとすれば、
それは単なる知識で終わってしまい、
真の学びにはなり得ません。
かつての日本の教育は、知識として理解することよりも、
人生経験を積む中から体得することを
真の学びとしていたのでしょう。
その時々の心情を詠んだ和歌は、
感性に訴えかけてくるものです。
繰り返し味わっていると、今も昔も、
人の心の動きというの

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安らぎは心の中にある

安らぎは心の中にある

何とかして安心したいと思い、
安心材料になる情報を探す。
あるいは先々の心配を解消したいがために、
予備材料となる情報を求める。
入手する情報によって一喜一憂するということは、
心が乱高下しているということです。
外にある情報にばかり頼るということは、
情報に振り回されてしまうことを意味するのです。
「安心」という言葉が意味するように、
安らぎは私たちの心のなかにあるのであり、
外に存在するもので

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お風呂は「禊」と心得る

お風呂は「禊」と心得る

私たちが暮す世界には、
さまざまな目には見えない存在もあるのです。
「禊」や「祓え」は特別な時だけでなく、
日常の生活の中に取り入れるべきものだ
という考え方は
自然なことに思えます。
お風呂のお浄め効果をレベルアップしたい時は、
塩風呂や日本酒風呂にしています。
天然塩は10~30グラムほど、
日本酒なら200ccくらいです。
体が重いと感じた日には、
天然塩をお風呂に持ち込んで、
ツボでは百会

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よきご縁を引き寄せるための心がけ

よきご縁を引き寄せるための心がけ

あらためて「多生の縁」ということを
考えてみたことがあります。
どんなに小さなご縁であっても
大切にしようという気持ちがあれば、
たとえ二度と訪れることはないと
わかっているような場所でも
思いやりのある言動がとれるはずです。
こういうごく小さなご縁を大切にすることが、
よきご縁を引き寄せる結果になるのではないか。
ふと、そんな気づきを得たのです。
どんなにささやかなご縁であっても
大切に思い感謝

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潔い心

潔い心

いかにも努力しているという姿を見せない。
いかにも親切をしているという振る舞いもしない。
評価されたいという思いをどこかにうっちゃって
見返りを求めなくなると
ずいぶん心は軽く、
潔くなるものです。

インターネットにおける「間」

インターネットにおける「間」

SNSの場合、もっぱら言葉だけが頼りです。
オンラインでの対話であっても、
やはり実際に会って話すのと同じようにはいきません。
こしたことを踏まえれば、かなりの配慮が
必要になってくるはずなのです。
しかし、一般敵にはインターネットだと
妙に気安くなったり、大胆になったりするようです。
面と向かってなら決して言わないようなことだったとしても
投稿やコメントなら書けてしまうのは、
画面の向こうに人が

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「間」を心得る

「間」を心得る

「話は全身で聞くものです」
そう教えられたものですが、
それは「間を大切にしなさい」ということをも
意味していたのです。
相手の話を聞く時には、
寄り添う気持ちがありたいものです。
もしも意見が食い違ったなら、
歩み寄る努力が欲しいところです。
どれくらい近づいていいか、
どこまで歩み寄ればいいか、
あくまで感覚的なものであり、
しかも相手あってのことですから、
「間」を心得るのは簡単ではありませ

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良縁を紡ぐ心あるご挨拶を

良縁を紡ぐ心あるご挨拶を

私たちは一生のうちに、
どれだけ挨拶をするのでしょうか。
初対面でも、しょっちゅう顔を合わせる人とでも、
とにかく始まりは挨拶です。
初めて出逢った人と挨拶を交わすときは
誰でも気をつけるものでしょう。
その出逢いが発展するかどうかは、
出逢いの瞬間にほぼ決まるからです。
「人は見かけによらない」ともいわれますが、
たぶん99%の人が無意識のうちに
見た目で判断しているはずです。
「見かけによらず

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自分を磨くほど出逢いのステージが上がる

自分を磨くほど出逢いのステージが上がる

自分の格が上がると、出逢う人の格も上がる。
あまり好ましい言葉ではありませんが、
「ステージが上がる」とか
「レベルが上がる」とも表現できます。
なんだか傲慢な感じを受けるかも知れませんが、
これが私の正直な実感なのです。
ひとつ注意していただきたいのは、
「出逢う人のレベル」とは、
必ずしも社会的地位の高い人とか、
大富豪と称される人というわけではありません。
私が思う品格のある人とは、
お話し

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その先の世界へ

その先の世界へ

道がないなんて思い込みかもしれない。
たとえなかったとしても
歩き続ければそれが道になる。
存在しないものは想像さえできないという。
ならばもう想いは
その先の世界へと続いている。
「前例がない」なんて
愚かな言い訳に過ぎないことを
知っているのに気づかないふり。
「出る杭は打たれる」なんて
誰が言い出したのか知らないけれど
だいたい人を杭にたとえるのが間違ってる。
狭苦しいところで
なんだってひ

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拠り処

拠り処

拠り処。
いい言葉です。
「所」と書く場合もあるけれど
「処」としたほうが断然いい。
拠り処とは、単に居場所ということではなく
拠って立つ何か、なのです。
還るべき基本、頼りとなるもの、
変わらぬ支え。
具体的な場所や人というよりは
普遍的な教えであることが多い。
たったひとつでも拠り処があれば
少しは強く生きていくことができるものです。
だから人はできるだけ早いうちに
拠り処となる教えや考え方と

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体と魂

体と魂

自分を満たそうと
意識ばかり動かしているかも知れない。
「心の時代」と言われるけれど
それは体を置き去りにすることではない。
そもそも「心か体か」という二択であるところに
歪みと分離が生じている。
体を通して体験することで心は育まれ
育まれた心は身体行動を調節する。
その繰り返しの中で魂へと至るなら
どうしてこの体を慈しまずにいられよう。
愛する人に触れずにいられよう。

美しい決断

美しい決断

「美しい決断と夢中が私を支配していた」
中西悟堂の『槍ヶ岳』という詩の一節です。
美しい決断と夢中
この言葉が強く胸を貫いてくる。
しかもそれに支配されていた。
そこに幸福のひとつのかたちが
あるように感じられます。
美しい決断とは
必ずしも安らかではないかもしれない。
根底には挑戦していく静かな覚悟が
流れている。
いつの間にか私は「ほどほど」である方を
選ぶのが癖になっていたのかも知れない。

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