3 自分軸とは責任を引き受けるということ
今月私が思うようになったことは、
自分が考えることやすることは、自分の考えだし自分でやっていることだと思うのと同じように、起こることや出会って関わる人でさえ、それは「自分」が引き寄せている。私だからそういう目に合うしそういう人たちに出会ってしまう。それは不幸でもなんでもなくて、それが私なのだ。そこに幸運だとか不幸だとか、良い悪いはない。
ということ。
幸不幸、良い悪いの判断をしているのは自分の心だから。その判断をやめればいいだけ。世間はしつこくその判断を迫ってくる。良し悪しの分類をさせようとする。でも自分軸で生きて全部「私」なんだと受け入れればいい。
世間で「かわいそうに」と思われるような目に遭ったとしても、それは「かわいそうなこと」ではなくて「それが私」ってだけなんだから。
自分に起こる「いいこと」に注目して焦点を当てるようにすれば、どんな困難もなんとかなるはず。それがポジティブシンキングなんだと思う。
NOTEのme gooさんやムツコさんの記事を読むと益々そう思う。お二人とも介護をしてるから私じゃ想像もつかないくらい大変なことがいっぱいあると思うんだけど、NOTEの記事を読むと吹き出してしまう。おもしろくて。あんなにおもしろエピソードを取り出せるの、すごい。
ビックリしたのだけど、あの神崎恵、美の巨匠みたいな人が「おばさんのくせに」だとか「いい年をしたおばさんが」だとか言われるそうで。今月号のエッセイ(With9月号)に書いてあったからびっくりしちゃった。
アラサーにしか見えない人がアラサーみたいな恰好をして何が悪いんだよと思う。実年齢が45歳だから?あの神崎恵が40代に見える格好をしたら、違和感半端ない。似合わないと思う。だってアラサーにしか見えないもん。自分に合った格好をしているのに文句を言われるなんて。
でもよく考えてみると、神崎恵がアラサーの恰好をしているのかどうかも疑問だ。どんな格好をしてもアラサーに見えてしまうだけなんじゃないかとも思う。45年間生きてきた結果があのアラサーみたいな容姿なんだと思う。
彼女はその結果を引き受けていくそうで、「自分らしく」生きていくと書いてあった。むっちゃステキ。憧れる。
世間の基準はとんでもない。世間に合わせて似合わない格好やしたくもない恰好をしてたら、自分がどんな人間なのかわからなくなってしまう。 彼女の言うように「自分らしく」を貫いていかないと、自分で迷子になってしまう。その時世間にその責任を迫るのだろうか?他人基準で生きるとはそういうことだと思う。
責任を放置し続けた結果の方が恐ろしい。どれほどの責任が積み重なり重くのしかかってくるのだろう。
そこで今からどんなことも「私だからこうなんです。」と責任を引き受けていこうと思う。
今はこんな感じで生きている。
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