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29-3 梅すだれ 雑賀-旅立ち / 木花薫

うつむいて食べる娘二人に、
「握り飯が売れなかったのか?一日くらい気にすんな」
と何も知らないタカベはいつもと変わらない。お滝は咳払いで気持ちを整えると言葉をゆっくりと吐き出した。
「父ちゃん、私あしたマサと九州へ行く」
「ばかやろう」と怒鳴られると思い身構えるお滝であったが、タカベは無言でお滝を見ている。そしてお桐を見た。

不意に自分は父ちゃんの子どもではないことがお滝の頭をよぎった。
(父ちゃんはお桐がいればいいのかもしれない)
そんな嫌な考えを吹き消したくて、お滝は九州がどれほどいいところかをまくしたてた。
「お偉いお殿様がいてね、異国の教えを信じるから寺がないんだって。戦もないって。異国の船が来る港もあって…」
とマサから聞いた話をのべつなまく言い続けてタカベの顔色を伺うが、タカベは一言こう言った。
「島津が北を攻めるって噂があるぞ」
九州のことはタカベも聞いたことがある。浦賀では陸奥など北の国の話が多かったが、雑賀では西の国の話をよく耳にするのだ。
「戦がないとこなんてねえ。攻められたらどうすんだ?ここなら鉄砲隊が守ってくれる。そんなことができるのは雑賀だけなんだぞ」
タカベの声に張りはなく、お滝を引き留めようとする意志は感じられない。本当は「母ちゃんみたいになりてえのか。ばかやろう!」と怒鳴りつけたい。しかし声が聞こえるのだ。戦破れの徒党集団に殺された、あのお網の声が。
「行かせておやりよ」

タカベもお滝の年の頃は陸奥に憧れた。黄金でできた国、陸奥。陸奥へ行った船乗りの話に目を輝かせて(いつか行きたい)と願い、お網と「いつか陸奥へ行こう」と話したこともあった。若い者が遠くの国に憧れるのは当然で、マサとお滝が昔の自分たちのように思える。

「お桐、おまえも行くのか?」

お網に「いつか陸奥へ行こう」と話した時「ねえちゃんもいっしょに」と即答されて、「もちろんだ」とタカベは返した。タカベが行くということはカブトも行くということだったから、四人で行くに決まっていた。あの頃の自分たちを思い出すと、お桐がお滝と離れることなんて想像がつかない。

「わたしも行きたい」

言いにくそうに、しかしきっぱりとお桐が言った。その瞬間お滝の張りつめていた気がパンとはじけた。もうこれで何の心配もない。お桐と目を合わせると「いいところよ。とってもいいところだからね」と顔をほころばせた。

その夜、タカベは紀ノ川の河口へ夜釣りに出た。次の日の朝早くに戻ってくると、二尺もあるチヌを丸ごと焼いて二人に食べさせた。タカベなりの門出のお祝いだった。

三人で食べるのはこれが最後。いつもよりもゆっくりと食べていたが、いつまでも食べ続けるわけにはいかない。名残惜しそうに口を閉じて食事を終えた。しかし最後は元気な姿を見せてやりたい。背筋を伸ばし胸を張った高部は、
「いつでも帰ってきていいぞ」
と威勢よく叫び、家を出た。強がって歩くタカベの背中に「父ちゃん、元気で」とお滝とお桐は手を振って見送ったのだった。

つづく


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