インスピレーションに導かれて?
瞑想中であれ、瞑想してない時であれ、フッと独特なインスピレーションが生じることがあります。
そういったヒラメキはデタラメの思いつきが多いのですが、たまには役立つこともあります。
うつ不安 ~『瞑想の書』
そもそもこのnoteを始めたのも、酷いうつ不安の症状の時に体験した啓示のようなインスピレーションをもとに瞑想して改善したのがキッカケになっています。
そのインスピレーションに従った瞑想を実践していったら、瞑想の質が良くなり、時間ものびていきました。
この瞑想を実践している時にも、しばしば「もっと瞑想を深めるにはどうすれば良いのか」とか「瞑想時の集中のあり方」「実践すべき瞑想の種類」などなどに関することで疑問がもちろんわいてきました。
実践と考察という当たり前の試行錯誤で解決していくのですが、これに関しても、しばしフッとインスピレーションがあることがあり、一気に解決なんてことがありました。
とにかくそのような試行錯誤の過程を経てまとめられたのが、『瞑想の書』です。内容的にはこれから瞑想を始めたり、まだ始めて間もないような入門・初心者向けです。
さらに密教へ
さらに瞑想を実践していくと、今度は密教に関して、フッとインスピレーションが生じるようになりました。
(この「瞑想する人」noteにおいては、内丹・仙道、クンダリニーなどを扱う奥深いヨーガ、チベット密教の特にゾクリムは密教に相当するとしています。)
昔からヨーガの「クンダリニー(クンダリーニ)」とかチベット密教について知っていましたが、これらをどのようなものとすべきかについて分からないことだらけでした。
以前に少し気功を習っていたのですが、それは「内丹」の流れをくむ医家気功でした。
これら密教には迷信的なことが非常に多く、また伝統、流派、指導者によっても言っていることが全然違ったりするので、扱うのが難しく感じていました。
しかし断続的にインスピレーションが続き、また体験的な理解も生じるようになりました。
現時点の私の考えでは密教を、「内なる意識に関する瞑想の実践において、生命エネルギーを活用するもの」としています。
生命エネルギーの活動・現象は、「人間の意識-脳・神経生理システムによる創発現象」とし、人体におけるその重要な起源の一つが「性・生殖に関する神経生理」であるとしています。
このような考え、理解、実践に至る過程にも、試行錯誤だけでなくて、結構インスピレーションがありました。今までの思考の枠から外れたところから降って湧いてくるアイデアみたいな感じです。
密教の実践は困難で危険がともなうので、指導者が必ず必要だとか、灌頂が必要(チベット密教みたいに)だとか言われています。
私はそういったことは承知の上で、無視してます。(今のところは)無師独座です。こういった態度は他人にはすすめませんが。
困ったことが生じたら指導者を探そうと思ってはいます。笑
チョット神秘家みたいな詩を、、、。
笑。
ちなみに、この「瞑想する人」noteでは瞑想実践の焦点がズバリ「内なる意識」なわけですが、これもインスピレーションによるものが大だったりします。
ひょっとすると、インスピレーションの源が内なる意識なのかもしれません。