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踊ることが好きを隠し続けてきた−堂々とダンスできる場との出会いと挫折ー

この写真の通り私はちょっと体が柔らかい。
なぜこんなに柔らかいかと?
そう。高校1年でダンスをやりたくてとある高校に入学。これが私の一度目のダンスに挑戦。堂々と踊れる日が来ると胸を躍らせてた。
しかし、うちの毒父は「ダンスなんて一体何になるんだ?バスケにしろ?」と言われて、私の気持ちはダンスに固まっていた。その頃の私はアーティストになりたかった。私を辛い思いさせたくないやら心配と口では言ってたが、結局は自分が気に食わないからだ。コミュニケーションをとる気を無くしてきてる。

助けを求める事の大切さ

どんなに辛いとか苦しいとかは自分で確かめて見ないとわからないという事を経験させようとしない親だった。

この部活で気づいたことは自分の気持ちを誰かに伝えようとしない自分がいたこと。
例えば、わからないことがあれば誰かに聞く。
私は今の数百倍それができていなかった。その事で周囲とコミュニケーションをまともに取れずに人間関係に苦しんでは避けていた。

その時のクラスメートはそんな私に気づいくれたことに対して私は、1人で抱え込んでばかりだった。人に助けを求めるやり方を知らないでいた。
私は小さい頃から家族に助けを求めたら怒られた記憶しかない。相談したらまた怒られるという悪い意味のインプット。
大丈夫な振りをしてしまっていたのだ。
その子は私を腹を割って話したかったのに今考えれば申し訳ない。

助けを求める方法を分からず過ごして、何も出来ない。怒鳴られる。カラに閉じこもり、周りと上手くいかず部活を辞めてしまった。
そこから2年間陰湿なイジメに苦しみ、友達なし高校生活を過ごした。
一言言えば、向こうは自分の思い通りにならない事が気に食わなかったんだろうと思った。学校中の生徒みんな思っていたはず。そしてダンスから離れた。

助けを求めたいと思っても我慢が爆発

我慢する癖がこの年齢になっても出てしまっている。
この人に助けを求めてもいいと思ってその人に承認欲求が出ては失敗しては我慢。毒親育ちは承認欲求をしてしまいがちだ。
男性と付き合うときもその時気を許した友人にすぐに承認欲求。んでキレられる。
今となっては自分の気持ちを大切にね。無理に選択しなくていい。気持ちがないなら切り捨ててもいい。
マニュアルなんて一切無い。


三宅健さんの「Answer」の歌詞のように


「いつだって答えなんて 僕たちのこの胸の中に」

みなさん、一度この歌を聴いてみてください。
簡単に答えはすぐには見つからないかもしれませんが、好きなアーティストの歌詞や言葉、本などから思いもよらない場所で出るかもしれません。
それが後悔に繋がったとしてもそれはその物を選択して挑戦した結果なのだから。なんでもいいんです。



本当に好きなら何年もきっと心に残ります。関ジャニ∞の安田章大さんがアナザースカイでおっしゃってました。私もその1人です。失敗してもいいです。やらないよりずっといいです。年齢や性別にとらわれないでください。何もできなくなります。

HuluやTverでご覧ください。

Age is just number! いまなら思います。

うちの毒親世代はいい歳だからとか言いますが、囚われないでください。

私はダンスと英語を出来なくても挑戦してます。

#未来のためにできること

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