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飲み会が苦手だけど参加してしまう理由

 飲み会。苦手というか、嫌いである。

 しかし、組織に属している以上、飲み会に参加しなければいけない場面は定期的に訪れる。


 年度末に歓送迎会の。梅雨時期に暑気払いの。秋に忘年会の。冬に新年会の。出欠席をとる回覧が自分の机に置かれているから、不参加の欄に押された判子に目をやる。
 子どもがいる女性職員らの判子たちの朱肉の赤さが、どこか誇らしげに見える。

 飲み会に行きたくないが為に、子どもが欲しいまである。


 子どもがいない私にとって、飲み会の出欠をとる回覧は言葉通りに出欠をとる為のものではなくて、それつまり強制参加の招待状なのだ。赤紙である。

 それは、仲良くもない同級生から唐突に送られてきた、結婚式の招待URLと同じくらい不躾
なもののように感じられる。

 実際のところ、私は居酒屋のご飯は好きだし、人とご飯を食べることも好きなのである。

 では、なぜ飲み会にそこまで強い嫌悪があるかというと、基本的に人数が多過ぎるからである。


 人と過ごすのは、2人がいい。3人はギリ。4人以上は、家族以外基本的に厳しい。

 難しくないですか?みんなが楽しめる話題で空間を作ること。

 気心知れた仲であればいいが、組織の飲み会なんざ、そうでない場合が多い。


 結局、噂話なんかしちゃって。上司が喜ぶから下ネタに乗っかっちゃったりして。

 上司が帰って係員だけの二次会。会話を回さない若いメンズ3人を携えて、年長者の私。

 飲み物頼んで、ふと一息つくも、誰も何も言わない。

 頭をフル回転させ、何かないか何かないかと、大したものがはいっていないポケットの中から話題を探す。

 以前彼氏がいた時に心底言われるのが嫌だった「いつ結婚するの?」なんて質問を、その場の会話を回す為だけに、彼女持ちの後輩くんにしてみたりする、ドラえもん。

『私、セクハラしてんじゃん。いやでも、私だってさっき上司にセクハラ発言されてたし。というか、もし、私が何も話さなかったらお通夜じゃん。だったらみんな会話を盛り上げてよ。』


 セクシャルハラスメントという、普及したモラル。
 ただ、どんなモラルができようと私たちの不完全さは盛り上げと引き換えに露呈し、モラルができるが故に私たちは不完全になるのかもしれない。


 飲み会が苦手だ。


 だが、良いことだってある。

 近場で飲んでた別の後輩たちと、お通夜二次会の後に合流。酔った後輩たちが、私の元に駆け寄り
「先輩って可愛いですよね!」
「先輩の仕事の姿勢、尊敬します。」
なんて酒の勢いに任せて言ってくれるから、今日の飲み会を生き長らえて良かったと思ってしまった。

 嬉しい瞬間はいつ訪れるかわからない。

 帰路をトボトボと歩く。不甲斐無い私は、空を見て、雲の切れ間から心許なげにちまちまと瞬く星を確認する。

 暗闇の中にいても、遠くから光が差し込む瞬間。残り1つになっていたハートが、おもむろに3つ増え、私の心の体力は回復する。


 これだから、判子を押してしまうまである。
 これを飲み会ギャンブルと呼びたい。

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