『生きている意味』〜人は何の為に生きているか?〜の回
前回から書かせていただいている。
『生きている意味』の話を続けていきたいと思います。
言葉としては『重め』な雰囲気の話ですが
自分としては
この『想い』は
あって然るべき。
だと思っています。
『スポーツ』を通して人生を生きてきたせいだからか?
何かをするには自分で納得して行いたい。
納得するだけの『理由・意味』が欲しいタイプの人間です。
「人は生きているだけでも、
そこにただいるだけでも意味がある。」
と、言われれば
それも納得はするんですが、
正確に言えば
『理由・意味』が欲しい
と言うよりも
『理由・意味』を作りたいタイプ。
の方が正確な気がします。
前回は
自分の考えの『前提』になる部分を
主に書かせてもらいました。
今回はその内容?
そのものを書いて行こうと思います。
前回も書きまきましたが、
基本ベースの考え方は
・人間は自分がいなくなると人生観が変わってしまう人の為の生きている。
と思っています。
そしてその相手はそれは3パターン?しかいないと自分は考えています。
1、母親
2、パートナー
3、自分の子供
だけだと思っている。
と書かせてもらいました。
前回書かせてもらった通りに
自分は『自分の為』だけに今後も人生を続けていくなら
その為に
「嬉しかったり、悲しかったり、悔しかったり、、、。」
等の感情満載で生きていくには
しんどいな、、、、、。
と思うようになっていきました。
その理由は前回も書いた通り、
「キックボクシング」を通して
文字通り、
「脇目も振らず全力で生きていく」
という期間を過ごしてきたから。
とい事が大きいです。
「もういいでしょ。」的な感覚がある事が否めません。
文字で表すと
すごくネガティブに聞こえるので
誤解の無いようにしっかりと伝えておきたいのですが。
現在の今野顕彰の生活が上記の事から41歳の今は
「人生惰性で過ごしているモード」か?
と言ったら全く違います!
むしろ現在は以前も書かせてもらった通りに
人生で最高の「幸福感」と「健やかさ」の中で生活をさせて貰っています。
ではどういうことか?
と言うことを書いていきたいと思います。
それは
自分の人生の中での優先順位というか優先度が
「自分」が1番ではない。
ということです。
では「1番」「優先度が1番高い事」は何か?
という話になった時に
先ほど書いたベースになっている考え方の
・人間は自分がいなくなると人生観が変わってしまう人の為の生きている。
という事になってきます。
そしてその対象は
1、母親
2、パートナー
3、自分の子供
です。
ある事をきっかけに自分の人生の中心は現在も『不動』のものになっています。
これはよく色々なところで話をさせてもらっていますし、
改めて文章で書くとなかなかこっ恥ずかしい文章に見えますが、
自分としては恥ずかしくも何ともない。
というか、
『そうなんだからしょうがない』位当たり前の感覚です。
自分が今生きている意味は
2のパートナーの為に生きています。
つまり結婚した時から
奥さんの為に生きていますし、
奥さんがいるから生きていられますし、
奥さんと幸せでいる為に生きています。
奥さんとは2012年に結婚したので
そこからはずっと
2、パートナー
つまり奥さんの為に生きてきました。
そこから約10年間は妻との二人三脚だったので
そのような想いで過ごしてきました。
そして2024年になった今年、
自分にとって『生きる理由』が増えました。
それが息子の誕生です。
今回、このような病気になっても
変わらず前向きに、
元アスリートのメンタリティを持って行動を続けられるのは
この2人のおかげだと思っています。
ここからは1〜3になった理由
そう思っている理由について書いていきたいと思います。
今回病気をする前から
何となく「人生の終わり」的な事を考えた時に
「自分がいなくなったら世の中や色々な人はどう考えるんだろう?」
と考えたりしていました。
まずは
・世の中に関して
これは、、、、
何のダメージもない。
と思います。笑
今野がいないから
「水が出なくなる」
とか
「気温が上がる、下がる」
という事はないのはもちろんですし、
「株価が下がる」
とか
「ビットコインの値段が上がる」
的な事は当たり前のようにありません。
という事は
自分がいなくなっても世の中に大きな変化は訪れない。
これに関して
「まぁまぁそうでしょうよ、、、。」
という感じです。
それでは
・人
はどうでしょうか?
先ほど書かせてもらった
「世の中」の通りに自分を全く知らない人は
変わらず人生が続いていくと思うので
こちらの方々はノーカウントにしたいと思います。
では
「知り合い」という「人」はどうだろうか?
と考えました。
「知り合い」の中にも色々な幅があります。
「今野」という人間を認識してるレベルで言えば
「たまに会う人」から
「仲良し」
「お世話になっている方」
「お客様」
「親族」
と色々なカテゴリーがあり、
その中でも
今野から見ても
相手の方から見ても「思い入れ」的な部分は
大小あると思いますが、
これは「人」という枠の中では
全ての「人」が同じだと思っています。
それはなぜか?
というと、
自分がいなくなった時の事を考えてみます。
自分はありがたい事に現役時代から多くの方にサポートをして頂きました。
そしてそれは今も同じです。
なので自分がいなくなった時には
多くの人が悲しんでくれると思っています。
現実に起こっていない、
今、想像するだけでも
本当にありがたいですし、
そう言った事を思うと
自分がやってきた事は間違いではなかった。
と自分を誇りに思います。
自分の実の?家族でいうと母親はもう亡くなっているので
元祖?今野ファミリーで言うところの兄がいます。
では実の兄はどう中?というと
兄もきっと悲しんでくれると思います。
ですが!!!!!
きっと、
子供の頃から一緒に育ってきた実の兄も
今は兄の家庭があり、
兄の人生があります。
自分がいなくなった時に
思い出などを振り返って
悲しんでくれるとは思うのですが、
兄もそれどころではなく(言い方は悪いですが)
兄自身の人生と守るべき家族がいます。
その為に?切り替えて
(すぐにでも、時間がかかってくれたとしても)
普段の生活、自分の人生を変わらずに歩んでいくと思います。
これに関して言えば
当たり前の事ですし
絶対にその方が良いと思っています。
それが世の中の「人」だと思っています。
しかし、
その中で数少ない人だけは
自分がいなくなることで
切り替えられなかったり、
未来が見えなくなってしまう人がいると思っています。
それが1〜3の人たちです。
まずは
1、母親
これは実際に自分がお腹を痛めて産んだ子が自分よりも先に、、。
ということは考えるだけで
人生観は変わってしまうという事が想像できます。
現在、自分の子供ができた事で尚その想いは強くなりました。
妻と結婚してから『妻の為に生きている』と言っていたのは
後半は母親が亡くなったから、
という事もありますが、
前半は母とはほぼ絶縁状態だったのでそのように考えていました。
(本当に親不孝でした。母が亡くなる時にはしっかりと謝罪し、
最後に母を看取る事ができた事は最後に親孝行ができたと思っています。)
2、パートナー
これは先ほどから書いた通りです。
『この人と幸せに生涯一緒にいる』
というつもりで結婚したので一緒のいる事が幸せですし、
一緒に幸せになっていくつもりでいるので
いなくなることはお互いに大きく人生感が変わっていくと思っています。
3、自分の子供
子供は環境で育っていくと考えています。
親がいる事といない事、
自分がいるといないでは
『人生観を作る」という段階で全く変わってくると思っています。
こんな理由から自分は
『生きる理由』として
・人間は自分がいなくなると人生観が変わってしまう人の為の生きている。
そしてその対象は
1、母親
2、パートナー
3、自分の子供
という風に思うようになりましたし
現時点でそのように考えています。
『親』という事でいうと
何故『父親』はこれに入らないか?
(自分も父親なのに)
というと
それは自分が育ってきた家庭の
『父親感』にあるんだと思います。
※これは以前「自分史」で取材していただいた正木伸城さんの記事を
読んでいただけたら助かります。
https://note.com/masakinobushiro/n/n50f50e3c9976
『父親』は
『生きる意味』になるというよりも
『生きる見本』になる存在なのではないか?
と思っています。
(良い見本でも反面教師でも)
自分自身もこれからも
『生きる』という選択をする中で
息子には良い背中を見せていけるような存在になる事を目指して、
妻とは幸せに過ごしていくために
これからも
病気と自分自身としっかりと向き合いながら
生活していきたいと思います。
今回は『生きている意味』のお話でした。
押忍。
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