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性と偽り|短編小説

僕は、性同一性障害を偽っている。

なぜそうしているのかはわからない。ただ、ある時からそうすることにした。

あれは、同じクラスの女子二人———沙也加と志保という子だ———が、僕に「一緒に帰ろう」と言ってきた日だった。彼女たちは、僕の帰りを校門前で待っていた。

部活後、僕はいつも一人で帰る。部活中、僕は僕じゃなくなる感覚に陥ることが多いため、僕は僕を取り戻すために、一人の時間がどうしても必要だからだ。少しだけ俯き気味に、歩いて帰る。アスファルトの窪み、細かな一つ一つの要素が合わさって全体を成しているその構造、そういったものを、視界の上から下に流しながら、ただ歩く。それが好きだ。
今日もそんなふうにして帰るのだろう。そんな意識すらない日常の中で、僕の視界には4つのローファーが飛び込んできた———から顔を上げると、その二人が僕を見つめていた。
二人は明るく、僕に言った。
「一緒に帰ろう」

僕は何も答えなかった気がする。何も答えなかったけど、僕は二人と一緒に帰ることになった。
僕の視界には何が飛び込んでいただろう。不思議と彼女たちの顔や表情は覚えていない。
彼女たちの制服と、前に踏み出される脚、そして手押しされる自転車が、僕の視界の中で動いていた。
学校指定のボストンバッグも、視界の中にはあった。

二人は何かを話していた。甲高い声で、何かを話していた。右耳から、志保の声、左耳から沙也加の声。嬉々とした声が、僕の双方の耳の内へと届いていた。

なぜそうしたのかはわからない。ただ僕は、その時、こう言ったんだ。

僕は、性同一性障害だと思う。

その瞬間、僕の中の何かが変わっていくのがわかった。

僕は、自分の下半身で感じ取っていたどうしようもない欲情のようなものが、抜け出ていくことがわかった。それは性欲の発散のようなものではなかった。元々そんな欲情が僕の中には存在していなかったような、そんな感覚だった。
僕はそれが、とても心地よかった。安心した。僕が僕の制御下に置かれる。そんな安心感だった。

僕には、母が二人いた。
本当の母と、父の浮気相手だ。

そして僕は、父と母、そして父と浮気相手、それぞれの情事を目撃したことがある。

特に何も思わなかった。ただ、肉体と肉体が、気味悪く、しなり合っていた。
父と母のそれは、どこか醜かった。父と浮気相手のそれは、どこか美しかった。

父は言った。「おまえには母が、二人いるんだ」
僕はただ、うなづいた。それを受け取って。

僕は、性同一性障害だと思う。

沙也加と志保にそう言ってから、その偽りが、真実となっていった。沙也加と志保は、ますます僕に近づいてくるようになった。でもそれは、今までとはどことなく違っていた。
なんて言うんだろう。よくわからない。
今までは、沙也加と志保は、僕とは別人だった。僕という性別と、それに相対する性別として、僕と向き合っていた。明確な境界線が、僕と二人の間には引かれていた。
僕が性同一性障害だと言ってからは、それが変わった。僕の中に、彼女たちが入り込んできた感覚だ。いや、彼女たち———「彼女たち」という一つの人格———の中に、僕が入っていったのかもしれない。そういう感覚と共に、僕の男性としての欲情は、どこかに消えていった。
それは美しく、清らかで、静謐で、白く、溶け合った、何か。それ、だった。僕と「彼女たち」は、一つとなった。

嬉々とした仮面。欲情に塗れた仮面。それらが踊り合う舞踏会。それが僕にとっての「学校」だった。だから僕は、ただ下を向く。アスファルトの方が、何倍も落ち着く。

今日もきっと、沙也加と志保は僕の帰りを待っている。

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