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東風吹かば。

九州に旅をしておりました。
その中で訪れた太宰府天満宮の事と
自分の身の上にあったことを
今回はピックアップして書こうと思います。

2016年に東京に引っ越しまして
カフェでバイトしながら音楽活動をしていて
まさか30代も半ばでこんな生活をするとは・・
と。
会社員の友人たちはみんな
出世して役職がついたり
子供ができたり
家を購入し始めたりした頃だった。

そのカフェで
舞台役者をしている派遣の方から
いじめをうけました。

仕事ができない自分が悪いのですが
人格や勤務態度まで否定されました。
(その人は常に裏で誰かの悪口を言っているような人だったので、ターゲットは私だけではなかったかもしれません)

(元店長が状況を知っていてくれたのが幸いでした)

ある日、限界が来て
キッチンでの会話をこっそり録音して
派遣会社に提出して

このように
攻撃といじめを受けている状態なので
辞めます。

と言いました。

仕事がなくなりました。
東京では自分では生きていけない
やっていけない
と改めて実感して

帰ることになるだろうな
とぼんやり思った。
2017年の夏の事でした。

教える仕事をすればいいじゃないか
と思うかもしれない。

当時の自分は、東京で教えられる程のスキルや実力がまだなかった。
加えて、私には学歴もない。

10こくらい、講師の試験を受けたけど
ほぼ全敗だった。
中には、ペーパー試験は合格したが
学歴で採用を見送られたところも、一つや二つではなかった。

八方塞がりで
ちょうどあれだけ勢いに乗っていた音楽も
突然傾いてきてしまった頃で

こんな自分に
生きている意味や価値があるのだろうか

と、本気で思い詰めた危険な時期だった。

仕事ダメ
音楽ダメ
プライベートダメ

公私共に
今はもう
誰にも必要とされなくなってしまった。
自分がいてもよい場所がどこにもなくなってしまった。
という実感ほど
生きていて辛い事って
今までそうそうなかった気がする。

そんな中
福岡でライブに出演させて頂く機会があって

翌日に、太宰府天満宮に参拝した。

ずっと教える仕事に従事してきたし
一度は行ってみたい場所だった。

参拝し、
手を合わせた時に

お願いだから
一生懸命頑張るから
頼むから
東京でも講師職に就かせて下さい。
教える仕事をさせて下さい

と、祈願というか
懇願した。
半べそかいた状態だったと思う。

それから2~3か月後

専門学校のTOEICの講師に欠員が出て
1人募集
という広告をハローワークで見た。

いや、無理だろ
と思った。
TOEIC、全くの未経験ではないけど
ちゃんと教えた事はない。

塾講師や家庭教師で落ちたのに
専門学校で採用される訳ないだろ

と、思いながら
何故かエントリーしてしまった。
エントリーした時点で
1人の枠に7人の応募(最終的には11人)があったので
絶対ない・・無理ゲーだこれ。
と思いつつも応募してしまった。
スーツはなかったので
あるジャケットとトラウザーを組み合わせて
実に講師らしくないつぎはぎな出立ちで
一次試験に向かった。


一次試験を終えて学校を出てすぐ
学校から電話を頂き

「二次試験を受けに来て下さい」

と連絡があった。

二次試験を受けて
その日のうちに採用が決まった。

それからは、当たり前だが必死で
TOEICの問題分析
クラス授業のティーチングの仕方
などなど、まぁ頑張りました(笑)。

休み時間もずっと予習していたので
「そこまでやらないと、教壇立てないのですか?」
と、おしゃべりをしていた他の講師に嫌味を言われた事もある。


専門学校で、非常勤講師が生き残っていくのは
予想外に大変で
今考えればそれはごく当たり前の事なのだけど
授業は監視され
常に学生から担任に
各授業と講師の言動が報告され
担当クラスの学生がどのくらいスコアアップしたのか、全てデータをとられる。

英語系の講師は毎年半数か半数以上は
次年度の契約が更新されない
要するにクビになる。

これは音楽活動においても痛感しているが
私は自己PRやセルフプロデュースが
強烈にヘッタクソなので
最初はコマを殆ど担当できなかった。

私が残るとは誰も思っていなかったらしい(笑)。

ただ
セルフプロデュースがヘッタクソな一方で
蓋を開けてみると
クレームが少なく
有難い事に学生からの人気がそれなりにあった事
担当クラスのスコアが毎年安定して伸びている事
(しかもリスニングセクションでフルスコアを2人出した)

それで、地味な目立たない存在なのに(笑)
毎回クビを免れて
3年目から担当コマが急に増えて
(最多で週21コマ担当した事がある)
自分から退職の旨を伝えた今年3月まで勤務させて頂いた。

講師職で
仕事を回して楽しく生活する事ができるようになった。
また、少しずつ家庭教師も採用・授業を担当できるようになってきて
家庭教師どころか
大学入試の問題の作成のアウトソージング
大学教授のアシスタントや相談役(助手ではない)
企業でのTOEICのレクチャーなど
講師としての仕事内容が自分で驚くほど多岐にわたるようになった。

最初に拾って下さった専門学校と
私の願いを聞き入れて下さった太宰府天満宮に
心から感謝している。

東京で講師職を経験したおかげで
自分を投げ打って仕事をする
とことんの最善を尽くす
役目を果たす大切さに気付くことができた。

より良い世の中にしていくために
今目の前にいる生徒さんのために
自分に何ができるのかを必死で考え
最善を尽くすこと

仕事とは
自分の益や名声を主体として考えるのではない

よりよい世の中にしていくために
どれだけ自分を差し出し投げ打ち
尽力・貢献できるかなのだ、と

菅原道真公に薫陶を頂いたと
勝手に私は思っている。

6年前の参拝時

頼むから教える仕事に就かせて下さい

と、請願・懇願した自分

今回の参拝で
篤くお礼と感謝を申し上げさせて頂き

今年度中学受験を控え頑張っている教え子さんたちにそれぞれ御守と
太宰府天満宮の刻印が入っているマークシート対応の鉛筆をお土産に求めた。

勿論、彼らの来春の合格と笑顔を心から祈願した。

願わくば
今後も講師の仕事を続けていけますように。
そのための最善を尽くして

社会・人間の幸せや良き将来のために
ほんの僅かな微力であっても
何かしら貢献できる自分でありますよう

初夏に向かう太宰府で
数多いる中のしがない一講師の身の上ではあるが
決意を新たにして
また教える仕事に向かって行こう
学生さん・生徒さんの大切な将来の夢を果たすお手伝いができますようにと誓った。


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