見出し画像

弱いまま強くある事

数年前、とある人に言われた言葉が
私の中でとても心に残っている


車の運転でカーブを曲がる時
目の前だけ見てしまうと
とっても急なカーブに見える
でも、ずっとその先を見ていると
そのカーブが緩やかに見える
夫婦もそうだし、人付き合いもそうだし
目の前の事しか見ようとしないから
些細な事が大きな問題に感じる
お互いに目指すモノが同じなら
辿り着きたい場所が同じなら
目の前の事なんか気にならないし
どうでもよくなる



そうは言っても、日々の暮らしの中で
仕事、家事、育児
いろんな事でストレスも溜まると
視野が狭くなって目の前の事でいっぱいになる

ほんのちっちゃな事を気にして
勝手に傷ついたり、落ち込んだり
なかなかそこから抜け出せない事もある


今、HSPなんて言われる人がたくさんいて
いわゆる繊細さんなんだけども
私はたぶん、間違いなくほんの数年前までは
そうだったと思う

というか、人はどこかしら必ず
繊細な部分はもっていると思うから
みんな、こうだよね?
と思うところは、正直ある

それこそ、数年前
私が「適応障害」になった時も
今から思えば
このHSPが原因だったような気もするし
当時、そういう言葉が
あったかどうかわからないけど
あったとしたら、きっとそう診断されている

そして、「適応障害」にしても
診断されたから、そういう名前がついただけで
名前がつかなければ、ただたんに
もう死にたくなるほどのダメージを負った
だっただけだと思う

そして、もっと言えば
私は、なにかしら病名をつけてほしかった

そうすれば

それを理由で仕事を辞められる
誰かのせいにできる
みんなに優しくしてもらえる

そんな感情が、少なからず、いや絶対にあった
それは、正直に今だから言う

もちろん、ホントに辛くて苦しくて
キツクて、逃げたくて、でも逃げれなくて
という心情も間違いではないけど
ハッキリした逃げる理由
が欲しかったのも事実


結局、それが理由で仕事は辞めれたし
それが理由で、失業保険もすぐにもらえた



今ならわかるけど、子供の頃から
ものすごい人に気を遣うタイプだったと思う
人を楽しませよう、人の輪の中に入ろう
そして、一人で居ないようにしよう
そんな気持ちで
いつも過ごしていたように思う
そんなタイプにはさらさら見えないし
実際、そうやって言われていた
でもそれは、そう見えないようにしていただけ
ホントは、毎日がしんどかった

当時はそれがわからなかった
本人は、気を使ってるつもりがないから

でも、体は正直で
溜まりに溜まるとたびたびそれが表れる

毎週月曜になったら
体がダルすぎて学校に行けない
子供の頃から
肩や首や腰や背中がガチガチに固まって
中学でぎっくり腰になったり
酷い頭痛持ちだったし
高校では、帯状疱疹になったりもした
その帯状疱疹も、かなりひどかった

母からも

お前は体が弱いから心配だ

と、高校卒業して遠く関西に出る時も
言われた言葉だった


見た目は体育会系で、明るくて
何事にも物怖じすることなく突き進む

そういう私ももちろん間違いなく私だけど
物凄く繊細な部分を持ち合わせているのも私で
だから私は
明るくて誰とでも付き合えるような
そんな人の方が実は
とても繊細なんじゃないか、って思ったりする

というか

結局のところ、みんなそういう部分があって
逆に、そういう部分があっての人間で
何も特別ではない、という事なのだと思う


そして、私が、体が弱かったのも
何を隠そう、心が弱かったからだ

心と体は連動してるから
すべて、ストレスからくるモノで
それも、結婚してからわかった


そこで、記事のはじめに書いた
車の運転の話に戻るが


私が、もしHSPさんだったとしたら
きっと、今はそれを克服している

どうやって克服したかというと

それは、もう一つしかない

思考のクセ


それを、治す、という事
それだけ


人って、自分でも気づかないけど
思考ってクセづいてるから
何か起こった時にはじめに思うとっかかりが
良くない方に考えてしまうと
それに脳が囚われてしまうのだ

私は、心理学者でもカウンセラーでもないが
いろんなジャンルの本を読んだり
映画を観たり、音楽を聴いたり
あとは、人生の中で経験したいろいろな事
そういうモノがキッカケになって
そのクセがなくなった

全部とは言わないが
80%くらいはなくなったと思う

でもそれは
ただ、本を読んだり映画を観たりしただけで
なくなるモノではない

やっぱり、ある程度、練習(努力)が必要で
なにか起こった時にはじめに思うときに

どれだけ

なるようになる


と思えるかどうか、なのだ

もし、自分でどうにかなる事なら
どうにかなるように行動すればいいが
どうにもならない事なら考えても無駄なのだ

そして、もう一つは

さっきの運転のカーブの話で
目の前の事しか見てないからクヨクヨする
ウジウジする、意味もなく悩む
苛立つ、勝手に傷つく

の、繰り返しになる

私が、もしHSPで
それを80%克服したというのなら
きっと、この部分が大きい


悩んでも無駄
動かないから悩む
なんでもいいから動けば悩みは消える
そして、私はもっと先の人生に
こうありたい、という目標がある
家族や夫婦でも、ちゃんとしたベクトルがある
その大きな事に向かってる道の前に
ゴチャゴチャと、いろいろ転がってても
そんなものいちいち気にしてられない


と、思う事

それを繰り返し思う事で
ホントに、些細な事はどうでもよくなった


もちろん、誰かに何か言われて
なんか気になる・・って事もあるが
だからといって
私自身を否定されたわけじゃない

人って、何か言われたら
自分の存在自体を
否定された気になってしまうが
それも、思考グセの一つ
相手は、言ったことに対しての
意見を言ってるだけで
誰も人格まで否定してるわけではないし
もし、人格を否定されてたとしても
この世に存在するすべての人が
あなたを否定してるわけじゃない

とにかく

そういう思い込みをなくす
私は私の気持ちを信じるのみ


そう思う事で、そこも大丈夫になる


すべて、思考のクセ、なのだ


生きずらいのは、きっとみんなそうだと思う
こんな世の中、生きずらくないわけがない
何も傷を抱えずに、悩みを抱えずに
幸せです~~と言って暮らしてる人など
きっと、いないと思うし
言わないだけで、何かしら抱えて生きている

そんな苦労話なんか
そうそう人に言わないから

そして、人はみんな弱い
自分だけじゃない
その弱さを隠さずに、弱いままあり続ける
その中で、強くなろうと足掻いてるのが
ホントに強い人だと感じる


そもそも、世の中が安定していないんだから
人も、安定なんかなかなかできない

だから

人生も安定なんかしてたまるか、くらいで
生きていけばいいのだと、思う


安定したらしたで
どうせ、刺激を求めたくなるのだから





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?