過去形

リビングで、こたつで温まっているときだった。
母から友人の訃報を告げられた。
 

幼稚園から高校まで一緒だった友人はそこまで仲が深いというわけではない。
廊下ですれ違っても、
挨拶はせず通り過ぎる。
そんな感じだ。
時々、趣味の話で意気投合したり馬鹿をやったりするときもある。

訃報を聞いたとき、
何故かわたしの心は澄んでいた。
特に悲しい、とかなんであの子が、とか。
そんなことを思うわけでもなく、

「人ってかんたんに死ぬのね」

と。母が聞いていたことを思い出し、

「これって不謹慎なのかな」「不謹慎だね」

そっか。特に涙を流すわけでも崩れることもない。
友人の訃報は初めてだ。
死と触れ合ったのは初めてではないが、今思い返してみても何も感じなかったのは事実だ。
曾祖母が亡くなったときを思い出す。
お別れの際、曾祖母の頬に触れた。
冷たかった。これだけ。
強いて言うなら、
「死んだあとってきれいになれないんだな。
覚えておこう」
と思っただけ。
わたしは例え恋人や家族が死んでも何も思わないのだろう。
自分で書いてて悲しくなる。
人に執着したり、
興味を持つのが苦手なんだと、今気づいた。
これは揺らぐことはないだろう。

わたしの中で誰かが言う。
「お前には人の心はないのか。身近な人が死んだのに悲しくならないのか。不謹慎だ。
人間か」
と。

わたしは答える。

「お前の理論で言ったらわたしには人の心はないのだろうな。否定はしないよ。多分合ってる」

だがな。

過去形にしてないでしょ。

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