KONITASeiji

定年を見据えて、もう論文を書くこともないだろうと思い、あらためて興味のあることを好きな…

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定年を見据えて、もう論文を書くこともないだろうと思い、あらためて興味のあることを好きなように調べて書き留めるという趣味の人になろうと思っています。今はバラバラですが、追々分類して「マガジン」化も。有料にする予定はありませんが、何かに利用するときはリンクをお願いします。

最近の記事

イベントリンク集2404

各種お知らせ 私の授業では、毎回、主に静岡近辺の様々な文化イベントを紹介しています。年度初め、第1週は多めになることもあり、学外の人にも便利かもしれないので、去年に続き、同じ情報をnoteで公開してみます。 というか、授業の配布物からは削除し、こっちにリンクする事にします(ついでに私のnoteを見てもらえるかもだし)。書式は去年の物を流用しましたが情報の種類を少し変えました。 私の守備範囲中心なので、漏れは沢山あると思います。また、予約、紹介が必要な場合もありますので注意

    • 地域連携の記憶・記録

      古いデータをサルベージしていたら、思いがけなく古いファイルが出て来た。03年12月、私が作って配付した資料。 後に、「アッパレ会」と呼ばれるようになる、地域連携講座の立ち上げを、当時グランシップ館長だった山本肇さんに御願いし、シズオカ文化クラブが主体となって大学に資金を入れる仕組みを議論していただいた、最初の会合。文化クラブメンバーだった満井義政さんが社長だった縁でアルバイトタイムス社の会議室が会場になった。 当時の危機感は、例えば98年、中野三敏先生の『読切講談 大学改革

      • 梵鐘受難史(2)

        (1)はこちら。 はじめに昨今、梵鐘の受難と言うと除夜の鐘は騒音公害か、と言う何とも残念な話もある。子供の頃は紅白歌合戦の後、「行く年来る年」という番組で各地の鐘の音を聞くのも年中行事だったし、家に居ても鐘の音は聞こえてきていた。しかし、そのころは、その鐘の来歴に興味を持つことはなかった。 現在、鐘のない寺もあるし、ある場合には戦国時代以前に鋳造された古鐘か、戦後再鋳造されたもので、江戸時代から近代にかけてのものの殆どは現存していない、という、歴史で習ったはずの知識を、実際

        • 梵鐘受難史(1)

          はじめに2023年8月20日、NHKのweb特集に「ぼん鐘を守った技師」という、滋賀県の記事が公開された。滋賀県守山市の少林寺の梵鐘は一旦供出されたが嘆願によって戻されたと言う話。22日には短い放送もあったらしい。 関連文書は滋賀県立公文書館のwebサイトでも公開されているとあるが、現在確認出来ない。 ここで取り上げられている「技師」、日名子元雄は、滋賀県内の梵鐘35件について「除外申請」を行い、31件を「守った」らしい。 今回のNHK記事は、文書公開にあわせたもので、この事

        イベントリンク集2404

        マガジン

        • 戦前静岡茶広報史の一場面
          11本
        • 三島由紀夫「天人五衰」の風景
          6本

        記事

          追補:さらに、幾人かの佐野喜三郎

          戦前静岡茶広報史の一場面(番外3)前稿で佐野喜三郎については一区切り付けて、次に進もうとしたのだが、いささか混乱しているので、確証が持てないことについても書きだしておく。  前にも書いたが、佐野喜三郎という名前をNDLデジタルで検索すると、そこそこ同姓同名の人物が出てくる。試しに、今、ヒットしたのは362件。 さしあたり年代や職業だけで多少排除出来るとは言え、なかなか同定するのは難しい。明確な根拠はないが、例えば、検索で何件も出てくる鉄管汚職に関わり、結局不起訴になった人

          追補:さらに、幾人かの佐野喜三郎

          巴里の茶老 佐野喜三郎

          戦前静岡茶広報史の一場面(番外2) この記事は私の「マガジン」戦前静岡茶広報史の一場面の番外編1、「浅井忠 THÉ DU JAPON」の続きです。先にそちらをお読みください。 「パリ1900」によれば、パンテオン会の面々はそれぞれにあだ名を付けて呼び合っていたらしく、執筆者ではないものの、佐野は「茶老」と呼ばれていた。「老」が必ずしも高齢者を指すとは限らないものの、これは記憶しておこう。 さて、前回は、佐野が久保田米齊と同じ阿波丸で99年末にフランスに出航したこと、その

          巴里の茶老 佐野喜三郎

          浅井忠 THÉ DU JAPON

          戦前静岡茶広報史の一場面(番外1)久しぶりに茶業広告史の記事を書くけれど、これは静岡からは離れるので番外編である。そして、またしてもツイッター経由。 さしあたり、情報の発端から整理しておこう。 千葉県立美術館で、第2期コレクション展 絵葉書の時代2が23年6月3日から7月9日まで開催されている。展示品には、浅井忠の集めた絵葉書が複数含まれているようで、その中に「《浅井忠宛絵葉書》佐野喜太郎差出」という一葉がある。美術館博物館企画の紹介サイトの当該展示記事が大きめの写真を載せ

          浅井忠 THÉ DU JAPON

          松岡映丘「富嶽茶園図」献上顛末

          戦前静岡茶広報史の一場面(8)瀧恭三についてはまだまだ語るべき事があるのだけれど、情報が多すぎて整理がつかないので、彼を調べている間に出てきた「広報史」(?)の一幕を挟むことにしよう。勿論、瀧自身も関わる話である。 現在宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の、松岡映丘「富嶽茶園図」は、「昭和の大礼に際して静岡県茶業組合連合会議所より献上」されたものである。昭和日本画を代表する文字通りの大作であり、背景の研究もあると思われるが、さしあたり、ざっとweb検索しただけではあまり見当たらなかった

          松岡映丘「富嶽茶園図」献上顛末

          閑村瀧恭三伝

          戦前静岡茶広報史の一場面(7)さて、「戦前静岡茶広報史の一場面」というタイトルで始めたこの連載は、色々想定外の枝分かれがあって収拾がつかなくなっているのだけれど、さしあたり私の興味は、茶業広告よりも瀧恭三自身に向かっているので、あとでまとめて書き直すとしたら、この人を中心に据えて、静岡茶業との関わりにも触れる形になるような気がしている。勿論、出発点に戻って、戦前の茶業界のメディア展開について拡げていく可能性を否定するものではないのだけれど。 で、目下の課題は、瀧恭三である。

          閑村瀧恭三伝

          イベントリンク集2304

          私の授業では、毎回学生に出掛けていって欲しいような企画のリストを配付しています。 特に初回は多い。 試しに公開してみようかなと。 以下、各授業共通、今期初回配付資料の当該部分だけの抜き出しです。 各種お知らせ 私の授業では、主に静岡近辺の様々な文化イベントを紹介します。今回は初回なので多めです。 私の守備範囲なので、漏れは沢山あると思います。皆さんお薦めの情報があったら教えてください。TV等は特に弱いので歓迎です。 映画館情報は省略しますが、セノバ以外にも行ってください。シ

          イベントリンク集2304

          戦前静岡茶広報史の一場面(6)

          瀧恭三の出自前回、私は深尾韶の証言を引用しながら、「出身は或いは藤枝方面では無かったかと推測できる」と書いた。その頃読んで目にとまった記事でそう考えた記憶はあるのだけれど、しばらく間が空いているうちに、どこに書いてあったのか忘れてしまった。メモもコピーも、気づいたときにしないと、取り返すのはどんどん困難になる。 それは情けない話だが、藤枝出身であることは間違いなさそうなので、少し、補足しておこうと思う。 ヒントはやはり山雨楼(村本喜代作)の証言だった。高木来喜について触れたと

          戦前静岡茶広報史の一場面(6)

          静岡を歩き直す(0)

          更新履歴 2023/11/27 「しずおかイベントニュース」バックナンバーリストを更新しました。 ごあいさつ 公益財団法人静岡市文化振興財団が発行している月刊のフリーペーパー、「しずおかイベントニュース」というのがあります。これは、財団が管理している市内の施設の催しを中心にした情報誌です。で、その中に「街かど」というコラムが毎号掲載されています。静岡に長く居た人は、同じ名前のフリーペーパーが存在したことを憶えているかも知れません(カバー画像に使用している物です)。私もすこ

          静岡を歩き直す(0)

          数理・小説(0)

          きっかけはツイッター取り立てて推理小説史に興味があるわけではないが、ちょっと面白いなと思って、例によってNDLデジタルを検索してみると「推理小説」の用例は更に遡れると言うことが判った、と言う話から、またまた話題は拡散していく。 『近代文学と恋愛』 先に、『近代文学と恋愛』(NDL送信資料)について。 この本は、内外出版株式会社、大正13(1924)年刊。扉には アルバート・モーデル原著 奥俊貞訳 近代文学と恋愛 原名(「文学に於ける性愛的動因」) ”The Erotic

          数理・小説(0)

          戦前静岡茶広報史の一場面(5)

          はじめに「戦前静岡茶広報紙の一場面」は終わりが見えないまま、5回目になってしまった。第4回で扱う予定だった瀧恭三は、当初の予想以上に情報があり、しかも高木来喜以上に現代では知られていないように見受けられるので、少し時間をかけて整理した方が良いように思っている。 学術論文の場合、最後まで書き上げてしまわないと発表できないのだが、オンラインのnoteなので、私の探索や整理そのものを公開してしまおうかと思っている。 それは、読んでくれるかはともかく、学生を中心とした後進に、調べる楽

          戦前静岡茶広報史の一場面(5)

          戦前静岡茶広報紙の一場面(4)

          瀧恭三……の前に本連載の第一回で、「牧野原物語」の作者、瀧恭三について私は、 とだけ書いて、文字通り棚上げしていた。「茶業そのものを本業とする人ではないように見受けられ」というのに根拠がなかったわけではないが、確証が在ったわけでもない。 改めて調べてみると、予想通り、どころか、かなりの大物だったのだが、その割に現代では知られていないようにも思われるので、少し詳しく整理・紹介してみようと思う。 『茶業界』主筆上に引いたように、瀧は業界誌『茶業界』の主筆を27年間にわたって務

          戦前静岡茶広報紙の一場面(4)

          戦前静岡茶広報史の一場面(3)

          はじめにこの連載は、『静岡県茶業史』で見つけた、「牧野原物語」が放送されたという記事の周辺を探るものである。 (1)では、概要を紹介したあと、「マイクの旅」「瀧恭三」の二つは後回しにして、「東海道演芸道中」という番組について判明したことを書いた。 続く(2)では、「牧野原物語」という冊子の閲覧がかなったために、その報告をした。 既に道が幾筋にも分かれてしまったので、ここで改めて整理すると、「牧野原物語」そのものを明らかにするために、やはりラジオの番組についてもう少し詳しく知る

          戦前静岡茶広報史の一場面(3)