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【脳+心】 「悲しいね。辛いね。」という無難な言葉


今すごく残しておきたい感情がたくさんあって、もう何から残そうか…と
あたふたしているのですが、昨日の記事の伏線から回収しようとおもう。
(伏線とかそんな大したもんじゃないけど言ってみたかった。かっこいい。)

昨日の記事 ”「感受性」が強いとは ” に書いてある、
「入り込む力が強い」私の仮説の部分なんだけど、それは欲望なんだとおもう。

私は、人の気持ちをみてみたいという欲望があるんだとおもう。
これは、好かれたいとか、そうじゃなくて、人の気持ちがみてみたい。

この欲望は思い出から来ているんだとおもう。

私は1歳の時に、震災で姉を亡くしました。
でも当時1歳なりたての私には、地震の記憶も、姉の記憶も、姉がいた家族の記憶もなくて、本当に何も残っていなくて、

私の幼少期の記憶は、家族から親戚からすごくすごく大切に愛された記憶と、
命日に少し悲しそうに、でもぎゅっと抱きしめて命の大切さを話す親の記憶で、

その思い出から来ているんだとおもう。

すごくドライに聞こえるかも知れないけど、記憶がない分、姉の死が「悲しいか」と言われると、悲しいと軽々しく言えなくて、軽々しく涙も流せない。

思い出がない分、どこか姉のいた家族は別の家族のように感じて、
どこか冷静に、誰かが死んだ後は人ってこんなに悲しむんだなとみていたように感じます。

もちろん心は悲しいし、涙も出るけど、それは姉を思っての涙ではなく、
きっと、悲しむ周りの25年と姉が亡くなったという事実への涙なんだとおもう。


思い出がない分、私もいた過ごした家族なのに、その日だけ自分が知らない家族のように感じ、悲しみが同じようにわからない分、どんな悲しみなんだろう、同じように悲しめたらいいのにって、もしかしたらそう思ってたのかなと思います。

その「どんな」を知りたい気持ちから生まれたのが「入り込む力で」
それが今の「感受性」と言われるものなのかも知れないなと思います。


ただ、これが幸せかはわかりませんが、
この出来事は私に「感受性」を与えてくれたし、何より失ってからじゃ遅い「命」の大切さも、「今」という時間の大切さも教えてくれました。

だから私は、命にしがみついて、今にしがみついて一生懸命生きたいとおもう。

そして、もし万が一不幸なことがあったとして、
私が親より先に死んでしまった時、「ああ、しとけばよかった」が少ないように、

「なんだかんだあの子は楽しそうに好きに生きてたよね」と言えるように、私の最高な人生を送りたいとおもいます。


そして、なぜタイトルがこうなったかというと、
私は別に隠してたわけじゃないけど、自分の過去の話を今までしてこなくて、
なんでだろう?と考えた時に
まぁ、聞かれなかったこともあるんだけど、
「悲しい」と言われることにすごく違和感があったからだと思う。


確かに、「悲しい」ことなんだけど、
「悲しい」ではなくて、悲しそうな顔を見たくなくて、

なんで見たくないかは、まだわからないけど、
きっとどこかで一人の人生が終わったことを「悲しい」で済まされるのが悔しかったのかも知れない。

でも、そういう時「悲しいね」とか悲しい顔をすること自分自身も多いなと思って、難しいなって。

ただ、「悲しいね」は聞いた方の感情なんだなと思う。

人間どこかしらわかってほしいという気持ちがあるんだと思うけど、それは聞いた方の感情ではなくて、話している人の感情に寄り添うことで、本来は話している人の感情に寄り添えたらいいんだけど…

でも、どこまでも自分が知らないレベルの主観を通してしか物事を見れないから、
だからもしそういう場面に出くわしたら、次は、抱えている物を一緒に抱えてあげたいなと思う。

「悲しいね」とか感情の言葉じゃなくて、「そうなんだね」と聞いて、ハグでもしようと思う。

言葉は便利だけど、言葉はすごく重い。

何気ないたった5文字で相手を枠にはめ込んでしまったりもするし、徹底的な違いを感じたりもするし、怖いわけじゃないけど、言葉がもしうまく思いつかないときは、ありきたりな無難一言ではなくて、できるだけ文章で(口頭でも)、そして上手にできなけれハグなどボディーランゲージ?で、相手に、伝えることを大切にしたいなと思う。

それが、私にとっての今の、気持ちや出来事を打ち明けてくれた目の前の人への誠意かも知れないです。

こんな私は、朝から、今日もいい天気だなと思って、
昨日発売の楽しみにしていた雑誌の1ページを朝ごはん食べながら読んで、
感動して涙を流し、今から自分のすることに取り掛かるんだけど、

親は何も言わないけど心配してると思うけど、

私の長い幸せな人生のために頑張るから、もう少し待っていてねという気持ちと、私はそんな今日もすごく幸せだという気持ちが伝わればいいなと思います。

<PS> このカバー写真はTHE BLUE HEARTSさんの「俺は俺の死を死にたい」という曲の写真です。これは、私の生きる覚悟です。覚悟決まってんの。って、なんというか宣戦布告みたいな、ちょっと挑戦的な気持ちからこれが浮かんだ、はず

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