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なんでもライターだった自分が「うどんの人」として憧れだった『マツコの知らない世界』に出るまで

2020年某日。
コロナの影響を受け、取材を取り止めたりお店を閉めたりしなきゃいけない日々がしばらく続きそうだ。思わぬ暇を得た。日銭商売はつらい。

せっかくなので、何かの専門家(有識者)になりたい人向けに、一つの例としてわたしがフリーライターからうどんの人として仕事を得るようになるまでに行った例を紹介したい。書いてみると随分自分に都合よく生きてきたなあと思うけれど、就職未経験の根なし草フリーライターはこれくらい図々しくないと荒野を生き抜けないのだ()。

* * *

現在わたしはフリーランスでうどんや小麦に関する仕事をメインの生業としている。

具体的には、

・うどんスナックの店主 30%

・うどんの連載 10%

・うどんイベントの企画および監修 10%

・うどんの専門家としてテレビ、ラジオ出演 10%

・書籍などのフリー校正(うどん関係なし) 20%

・食品ベンチャーのお手伝い(うどん関係なし) 20%

※2020年4月現在。%は金額的な時間的な、まあざっくり。

などで生きている。主に、うどん。考えてみたら、「うどんの仕事してます」って意味不明だな。年々「あなたは何をしている人?」と聞かれてスカッと爽快ホームランを打てなくなっている。しょうがない。『SUITS』のハーヴィーの超しぶセリフが思い出される。

'Work until you no longer have to introduce yourself.' 

(自己紹介する必要がなくなるまで働け)

* * *

まず20代の話から。明治大学農学部を中退後、ながらく飲食店でフリーターなどをしてから、ある日、フリーライターを名乗り始めたのが始まりだ。24、25歳くらい。

きっかけといえるのは、当時ハマッていた『SEX AND THE CITY』。主人公でコラムニストのキャリーが自宅のすてきな窓際で執筆する姿にビビッ!ときた。これだ、と。わたしも家で仕事したいと。性格的にも自営業がいいと思っていたし、在庫を抱えない商売は気持ち的に安心。さらに愛猫といられる。

正直、書くことは学生時代から得意ではなかった。じゃあなんで、と今なら過去の自分にツッコめるけれど、当初は仕事を受けてから猛勉強すればなんとかなるさーくらいの軽い気持ちで、すぐにライターを募集しているウェブメディアを探し始めた。

これが8年前。

やっと本題。フリーライターのなりかたはすでに多くの方が情報発信しているとおり、良くも悪くも人の数だけあると思う。今からフリーライターになりたいと思う人にとって、編集プロダクションや出版社を経て独立するのがいいのか、いきなり名乗っても大丈夫か、不安は尽きないと思うけれど、正直これに関しては正解はないと思うので、各々の性格に合わせてトライしてほしい。

わたしが今回書くのは、フリーライターからうどんの人(最低限メディアから有識者として声がかかる程度のレベル)になる過程のほう(前半はどうやってフリーライターになったのかについても書いている)。

誰にも聞かれてないけど、誰かの役に立つだろう。一人くらいいりゃいい。

ライター駆け出し時のギャラは超安いため、薄ぼんやりとらえていただきたいのだが、記事単価的には数十倍になった。テレビの単価は今のところ1本3万~20万ほど(ただしこれはギャラ交渉後で、最初の提示額はもっと安い場合も。自営業は自衛業なり)。ラジオはあまり拘束されないから少し安くても受ける場合あり。イベントやPR関連だと50万と高額のものも。ただこれは滅多にないので天からのお恵みのようなもの。

いただくお金が増えるのはいいことだけど、さらに何かの専門家になるいちばんのメリットに「自分で仕事がつくれること」があると思う。知識や技術を生かしてイベントを主催したり、商品を考えたり。わたしの場合、小麦厨なので種類の異なる小麦でつくったうどんの食べ比べイベントだったり、カレーや洋食、日本酒などほかの専門家とのコラボイベントなどで「機会」をつくったりしている。

好きなものを考え続けられる生活を維持するために、好きなものを無理なく収益化できることは自分にとって幸せだ。

というわけで、わたしもまだまだだけど、この記事ではフリーライターになるまでと、その後うどんの人として歩み始めるために行ったことを【やったこと】と【(実際やらなかったけど)やってみてもよかったこと】の2つの項で紹介していく。

フリーライターに限らず、何か次のステップに進みたいと思っている方の参考になったらうれしい。

2012年ごろ

【やったこと】

ある日「フリーライターというものになりたいぞ」と思ったわたしはまず、ライター募集中のウェブメディアを探し始めた。いまどき「ライター募集」なんて検索したらイヤというほど情報が出てくる。

ここで見つけたガジェット系の媒体、女子向けちょいエロ媒体いくつかに「今までちょいちょいライターやってて~(嘘)、貴メディアでもぜひお仕事したいな~と(偉そう……)」的なメールを送り、面接などはないままお試し記事を数本書いて晴れて合格。1本1,000円とかよくても2,000円くらいだったように記憶している。何もかもがわからなくて初期は「校了」や「ママ」さえググってた(恥)。

また、この頃まだ出す場面なんてないくせに気分を高めるためやっすい名刺を作った(浅はかでカワイイ)。

【やってみてもよかったこと】

編集プロダクションで学ぶ手もあった。

2013~2014年ごろ

【やったこと】

1本数千円ではとても生活できないので、ローカルメディアの取材ライターに応募。記事単価は少し上がって1本1万くらいだったと思う。超激辛タンタンメンを食べたり、地下鉄の階段を3500段くらい計測したり、ドヤ街レポしたり、雑に言うと体張る系ライターに。まあ20代の女ライターが痛々しいことすることって悲しいかな安易なコンテンツになっちゃうのだなと今だから思う。この時期に取材アポの取り方、先方への原稿確認、直しなどをうっすら学んだ。

ここでの署名記事を数本引っ提げて、扶桑社の『週刊SPA!』編集部へ。普通に扶桑社の代表お問い合わせ窓口に「書きたいでーす!」といった内容のメールを送ったらSPA!さんに繋いでくれた。SPA!を読んでいたわけではないけれど(ターゲット層でもない)、とにかく紙の仕事をできることが本当にうれしかったのを覚えている。SPA!さんには2018年ごろまで本当に本当に本当にお世話になり、特に「S級グルメ」コーナーで勉強させてもらったのが今の私を作っていると思う。週刊ゆえのおそろしいスケジュールは筆の遅いわたしには大変でもあったけれど、たくさんのことを学ばせてもらい、記事単価も上がった。

あと、ライターや編集同士の横のつながりみたいなのが徐々にできてきて『散歩の達人』のMOOKで週刊誌以外の紙の仕事を初めて紹介してもらい、即母親に電話するぐらい興奮したのを覚えてる。東京駅100周年のスペシャル号だった。

この頃から自分からの営業が必要なくなったかと思う。

【やってみてもよかったこと】

いやこれでよかった。わずかながら社会経験というものを得た気がする!

***

2015年

【やったこと】

SPA!にくわえ、ぐるなびやリクルートのグルメ媒体の比率が多くなる。飲食店にアポを入れて、取材して、書いて、原稿確認して、納品して……っていうのを何本も同時進行だったのでスケジュール管理がうまくなった気がする。この頃に『ぐるなび』でカレーの連載の機会をいただく。毎月旅に行けることが超うれしかった。

【やってみてもよかったこと】

インタビュー記事が苦手なので、克服するトレーニングするべきだったかも。人の話はどうも覚えられないってか話の内容を認識できない=適切な質問ができない。グルメは大丈夫。

2016年

【やったこと】

この頃は「紙:ウェブ=4:6」くらい。グルメが多いけどまだまだ「なんでもライター」で、この頃からライターとしての将来について考え始める。超絶売れっ子の先輩、松浦達也さんに相談した結果、「誰にも負けない自分の得意なもの」がうどんなんじゃないかと気づく。実際は勝つ負けるなんて世界ではないけれど、このことなら永遠に考えていられる!ってものという意味で。あと、業界的に女性のパイが空いてた、うん。

自分のメディアを持とうと、ブログ「うどん手帖」を始める。目的は大きく、「なんだかこの人うどんに詳しそうだぞ……?」な雰囲気をつくること(おい)。評論しないこと、自分らしい表現を織り込むことを意識してコツコツ記事をためた。また、SNSの投稿内容を狂気と思われるくらいうどん一色に変えて「うどんの人」のイメージをつけた。これまではプライベートで「うどん大好き~」とのほほんと食べていたのから鬼はしごするように。

https://twitter.com/koninoue/status/800648545724284928

【やってみてもよかったこと】

特になし。ブログ始めてよかった。

2017年

【やったこと】

ブログを開始して1年後、初めてお問い合わせフォームに知らせが来る。テレビ出演の依頼だ。名古屋・CBCの「花咲かタイムズ」のコーナーで芸人のハマカーンさんと一緒に名古屋市内のうどん屋さんを紹介するという内容だった。ギャランティは2万くらいだっただろうか。びしょシャツになるくらい緊張したが、今は楽しい思い出として残っている。

このときの担当ディレクターさんがほかの番組の人にわたしの話をしてくれたみたいでその後2019年、2020年と2つの番組で起用された。テレビ業界にも口コミがあるのだろうか。「あの人やりやすかったよ~」とか。ちゃんと挨拶していてよかった。ありがたや~。

この年は出演10本くらいだった。このころから肩書きが「うどんライター」になっていった気がする。

【やってみてもよかったこと】

ギャランティ交渉。この頃はまだできず言われ値。でも今思えば実際出してくれるし、ダメならダメで次!くらいな気持ちでいたい(「他の番組では皆さんこれくらいでやってもらってます~」とかちょい強気で言う)

2018年

【やったこと】

もともと福岡のうどんネタを書くことが多かったのだけど、その関係でご縁をいただき「筑後うどん大使」に任命していただく。

ブログの更新頻度は遅いもののためていき、この年末にブログをベースにした書籍『うどん手帖』を上梓。実は以前も書籍の話は何回かあったけど、グルメ本はハードルが高く(世界の渡部とかいるし)都度流れていたので、実際に著書を手にしたときは感動した。しばしのあいだAmazonのエッセイ部門でトップだった。

紙媒体としていちばんうれしかったのはJALの機内誌「SKYWARD」デビュー。大阪のうどんの特集だった。このときのご縁で現在の「SKYWARD+」でのうどん連載「ニッポンうどん紀行」がある。担当さん、ありがたや。

この年、Instgramも始めたが、感覚的にはうどん好きの人はTwitterのがハマる気がする(わたしのアカウントに限るかも)。けど一応Twitterの6割分くらいは同じ投稿をしている。

【やってみてもよかったこと】

トークショーや講演の機会が増えたが、わたしはいまだダメダメ。話す仕事はできるだけしたくない。できるうちに「話す訓練」はしておくべき

2019~2020年

【やったこと】

うどんの仕事をより自由に余裕をもってできるよう、校正業を開始した。金銭的余裕、大事。実地大好き人間なので講座に通わず校正プロダクションにもぐりこんだのち、フリーに。今は主に出版社から仕事をもらっている。校正の仕事はライターより好き、実は。

2019年夏から友人の縁で食品ベンチャーの手伝いも始めた。気楽で楽しい。

うどんに関してはイベントを組んで現場を設けるようにした。具体的には、「bistro g3」のシェフ・ぐっさんや作家・借金玉さん、「and CURRY」のユッキーナ、好き酒師のひろしさんなどとコラボイベントのほか、個人的にも小麦の違いを楽しく知ってもらうための食べ比べイベントなど。

目的は「うどんライター」と紹介されることによるマイナス面の回復。〇〇ライターという言葉からはわたし自身、あまり現場感を得られずにいた。文字での表現だけじゃなく、実際に足を使い、手を動かしている人物と思われるにはイベントが有効なり。

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5月、偶然にも「日替わりオーナーのスナックをやりたい人~」みたいなツイートが流れてきた。投稿主のことは知らなかったが、だれかRTしたのだろう。こういうのは機を逃してはいけない。夜中ベッドの中でそれを目にし、すぐに「ママの手打ちうどんスナックとかありすか!?」とリプ。「いいっすね!」みたいな返事をもらい、翌日カフェで顔合わせ→即決まった。これが今もやっているうどんスナック「松ト麦」の始まりのはなし。

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日本で唯一、週ごとに小麦を変えた手打ちうどんを出すお店をつくることで、小麦による仕上がりの違いを知ってもらうのが目的だった。あとはイベントよりレギュラーで、またうどんの話を堅苦しくなくできる場所がほしかった。

まつむぎ(略)には毎週来てくださる方がけっこういて(なかには1時間くらいかけて来る方も)、またうどん屋さんもなんだかんだ毎回3人くらいお越しいただいている。皆さん、いつもありがとうございます。

ほんで「今日の小麦はこないだのよりもっちりしてるね~」とか、うどんを食べて小麦を感じてくれるお客さんも増えてきたのが本当にうれしい。また、うどんに関係なくてもそこで起こる人と人のつながりを目にすることができる、わたしにとっても最高の場所である。

で、2019年末にはブログを始めたときからの夢だった『マツコの知らない世界』に出られた。3ヵ年計画。テレビ面では結果的に3年間で40本弱のテレビに呼ばれた。

主旨が合わずお断りしたり、企画倒れしたり、ギャラ交渉の末なくなったりしたものも少なくない。でも、いいのそれで。テレビに出ることが目標ではないので。伝えたいことを伝えられる場所を得たいだけだ。

タレント的な立ち位置ならまた別の話だけど、これからの人生を有識者として生きるなら自分の立場を守るために断ることも必要。自分の感性と知識、経験にプライドを持とう。自営業は自衛業(2回目)。

【やってみてもよかったこと】

特になし。断るべきところで断れました。

* * *

こんな感じ。

まとめると

・ブログなりでお問い合わせフォームを持つ。窓口 イズ 安心感。

・SNSの強化。狂気かってくらい染め上げる。

・テレビ対応慎重に。ディレクター同士の口コミ紹介けっこうある。

・書籍は最強の名刺。書籍になるイメージを持ってブログを書く。

・ただの情報野郎=頭でっかちにならない。イベントなど自分にしか持てない「現場」をつくる。

この辺だろうか。まあ何を選んでも死なないし、とりあえずなんでもやってみることだと思う。死なないし、正解も失敗もそうない(信じればないことになる)。

ちなみにわたしの場合、金銭的に(A)「うどん以外のライター業」<(B)「うどん関連の仕事」になったのは2018年ごろだと思う。一度この形が作れれば、継続すること/新しい取り組みをすることで(B)はどんどん膨れていく印象がある。

一つのことを続けることはモグラみたいなものだと思う。じみじみ掘り続けていた道がいつの間にかつながって気づいたらけっこう大きなすみかになっていたみたいな。

そのためには「やりたいこと」と「できること」が交ざる部分の見極めが不可欠。

まずはSNSをはじめとした見せ方から。「こいつ……狂ってる……!」と思われるくらいその沼の人間に見えるように、しつこく、しつこく、根気よく。

見えないところでは勉強の手を緩めてはいけない。先述の松浦さんの「ひけらかす必要はないけど、突っ込まれたときに出るとこ出られる状態にしておけ」って言葉は強く残っている。

みんな、自分らしく生き抜いていこう。

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