こだわりと、どうでも良さ
何かを経験するたびに湧き出る感情は、私のこだわりがあるからこそ湧き出る。
嬉しい、楽しいと思うとき、起きている出来事と私のこだわりは重なっている部分があり、こだわりがあることに気づきにくい。
怒りを感じたり、反発心を感じるとき、そこに私のこだわりが出てくる。「じゃあ私はどうしたいんだろう?」
こだわりは、私の大切にしたいことが侵されたときにこだわりに気づくものであって、そのこだわりに気づけば、次は、その大切にしたいことをこだわり続けるか、流れに身をまかせるのか、を選ぶ。
「私」と「あなた」は、一つであるからこそ「私」と「あなた」でもない。と私とあなたを合わせて捉えたり、「私」と「あなた」と分けて捉えることを楽しんだり。
そうすると、私の中でのこだわりっていうのは、とても大切であり、どうでも良いと感じられる。その対極に感じられる二つの想いを両方認識することで自分のシンプルさと曖昧な結果というものが出てきて、そのバランスを楽しんでいる。自分の想いに重きをおくか、誰かの想いに重きをおくか。
それは、自分が本能的になる場面であり、人と調和できる場面であって、すごく大切でどうでも良い。
どちらが正解なのかの答えを求めることもなく、言葉に無理に当てはめることをせず、その場面で私はただ今の状況や感情を味わい尽くしている。
皆さんも、この世界で正解がないことなんて多いのだし、無理に答えを出してもしんどくなっちゃうのなら、自分のこだわりを大切にし、人と調和する形としてどうでも良いことでもあることを認識し、ゆる〜く生きてみては!?
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