【お仕事エッセイ1】プロジェクトが難航するのはなぜ?日本特有の課題

プロジェクトが難航している。
詳しくは書けないが、あるプロジェクトの難航真っ只中。
住み慣れた島を望まない形で離れざるを得なくなった船が航海を始めたが、荒れて流されまた流され、その間に次に向かう島の形も大雨の影響で大きく変わってしまった。そんな感じだ。
一体どこが着地点なのか、誰のための何のプロジェクトなのか、そしてこうなってしまった後、誰が進行するのか、全てが霧の中である。
でもプロジェクトというものはそう容易く進んでいかないので、あるいはある種やむを得ないのかもしれない。
筆者はその渦中で大変苦しい思いをしており、あぁ逃げ出したいという気持ちになる一方で、冷静になれば苦しみの中に目まぐるしい発見や思考があり、自己成長している真っ最中という気もしている。
釘は熱いうちに打て。ということでプロジェクトが難航しているうちに、その難航っぷりをここに記しておこう。

難航理由その1:戦わない打ち合わせ

これぞ日本特有、お家芸とも言える。戦わない打ち合わせである。何がって、意見が戦わない。海外で仕事をしていた夫の様子を見ていたら、本当に海外と大きく異なる。
外国では皆ビックマウスである。よく事情を理解していない人も、前回の打ち合わせに出ていなくても、ん?と自分が思えば口を挟む。なぜならそれは自分への影響を考え、自分が関係ある場合は成果に結びつくのか考え、それらはコミットした成果を上げないと契約更新されないからという構造上の理由を含んでいる。
だから良いかというと別で、全然話が前に進まない、打ち合わせの時間が多くかかるというデメリットもある。でもなんにせよそこで思っていたことは全て議題に上がり、オープンな課題になるのだ。
日本の場合は逆である。
その場で何か意見が出ても、その場で既定路線が覆ることはあまりない。「持ち帰り検討します」の常套句でその熱は打ち消されることになる。採用すべき前向きな意見の時もそうだし、反対にあまり思慮が足りない意見の場合でも同様に対処する。面と向かって角を立てたくないし。そう、この会社に皆長く勤め上げるのである。角を立てずにひっそりと生き延びることこそ、切り込んだ意見を出して一部の反感を買うよりも重要なことである。
なので打ち合わせに出ていてもほとんど発言をしない人が多数である。ということはどういうことかというと、打ち合わせする前から、その打ち合わせの音頭をとる人がいかに下準備し方向性を固め、落とし所を考えてきたかでほとんど打ち合わせの中身は決まっているようなものである。打ち合わせは既定路線で無駄な時間とも言えるが、1人で仕事をしない以上こうした「共有のための打ち合わせ」も必要なのである。
では音頭をとる人が入念に準備していれば万事うまくいくかというとそういうことでもない。打ち合わせの場では言えなかったが、実はこう思う、という各々の本音が後から飛び出して次回の打ち合わせまでにメールなりなんなりの裏工作があって、次の機会には全く方向性の違う話になっていたりするのだ。
これではその間の事情を知らないものからしたら寝耳に水で、その場ではとりあえず話を聞くにとどめ、また打ち合わせのあと内内で本音の話をし、どうしても納得いかなかったらまたメールなりをしお伺いを立てたり裏工作する、の悪循環になる。
関係各所、多くの人が集まるその場で勇気を出して意見を戦わせないとフェアじゃない戦いになる、と私は思う。結局打ち合わせは時間通りに終わっても、その後すごく時間がかかり結局何週経ってもあーだこーだ水面下ですったもんだして解決されなかったりする。
それにそもそも、音頭をとる人が入念に準備して話し合いたいことの着地点まで見据えた上で打ち合わせに臨んでいただけることなどほぼ、ない。大抵が準備不足で話し合う材料不足のため、進捗共有のみで終わってしまうのだ。

難航理由その2:グレーゾーンが多すぎ

つまり、責任の所在がはっきりしていない。役割がはっきりしていない。ということである。
はっきりさせない方が良いことも往々にしてある、と思う。なぜなら、たとえばプロジェクトにおける各々の役割をはっきりさせてしまうと、「それ以外」を誰が担ってくれるのか、それもまたはっきりさせないといけないので、どうなってもやってくれそうな人に良きようにやってほしいのが本音だ。
つまりはっきりと「これの指揮を全て取ってほしい。その代わりうまくいけば昇進させる。」という責任と役割分担がはっきりしていればやりがいもあるようなものだが、私の会社人生においては、そんなことは一度もない。すでに方向性だけ決まっていて、船は漕ぎ出していて、指示は何もなくて、誰も航海術を知らない。気の利く誰かが、「これそろそろオールを取らないとまずくないか?」と自主的に動き出すのを待ち、自主的に漕ぎ出してしまったせいで、いつの間にか全役割を負う形になっているのである。今の私である。つまり、中間管理職が1番辛い立場に置かれる。
それでなんとなく回っているからいいかとなり、自主的に手を上げたものがそれをやることに誰も何も違和感を覚えない。プロジェクトの指揮を取るのはやりがいのあることである。でも対価はない。ある種「やりがい搾取」である。
これも本当に日本独特のものだなと思う。ある意味このように自主的に動く人たちのおかげで、日本という国はこうも多種多様な企業が多種多様なオリジナルな形で存続しているとさえ思う。
海外では決められたことしかやらない。皆働きたくないのだ。働くことに多くの意義を見出してはおらず、バカンスやホームパーティーまでの楽しみまでの繋ぎでしかない。もしくは雑談しながら楽しんで仕事をし、時間以上、役割以上のことはやらずさっさと帰る、なぜならファミリーが1番だからね、という感じである。
終身雇用でもないし、転職もできるので、そうそう一つの企業で何か暗に自分がやった方が良いのではと思うような改善点が転がっていたとしても、それを自ら進んでやるような者は少数派だろう。
日本はその点、なんの得にもならず感謝されなそうなことであったとしても、みずから進んで改善をする、手を差し伸べて参画する人のなんと多いことか、というかそういう仕事人しかほとんどいないと感じる。これは良いことで、美徳である。だけどもだから、進んで何かをしても当たり前で差がつかず、特段評価が上がる訳でもなく、ただ「安定してこの場にいられる。自信を持って仕事をすることができる。」のみである。
正直私はこのグレーゾーン文化に本当になかなか馴染めず、すぐにはっきりさせたくなる。役割を決めて、これに関してはこの人が必ず進めてくれると安心したい。だけど役割を決めないことで、グレーのまま進めることで、役割以上のことを各々が自主的にしてくれる可能性も打ち消すことになる。。
これに関してどちらの方が良いのか、正解はわからないが、グレーのまま進めることで多くの人を不安に巻き込みながらじっと船が勝手に進行されるのを待つよりは、さっさと役割を決めて各々その役割に尽力した方が、無駄なエネルギーを使わなくて良いと思うのだ。

その3:効率を求めない。忖度を大事にする。

これが最後の三つ目、もうこの通りである。歴史を大事にし、慣習を大事にし、仲間を大事にし、忖度を大事にし、効率化は求めない。「普通に考えたら絶対こうだろと思うけど、ここではずっとこうしてきたから、急に変えるといろんな反対意見が出るし、オリジナリティがなくなるかもなぁ〜第一、角を立てたくないしなぁ。あの人に意見を聞いてみたらいいアドバイスくれそうだけど、そうするとあの人に話を通さないといけないし、そうなるとその人だけでなくこの人にも意見を聞かざるを得ないし、いーやもうそのままってことでキーマリ。」という感じである。
ドラスティックに何かを変える事ができない。唯一あるとしたら、外から来た人間である。慣習を知らないから、慣習にとらわれず意見する事ができうる。
でも、そういう人の意見が素晴らしいと思いその人を中心としてドラスティックに何かが変わったとして、その人がいなくなったら気づけば元に戻っている、というのが常だ。大多数は、そこに長く在籍している者の機嫌を損ねないように物事が進んでいく。変えることはある意味挑戦で、戦いで、リスクを孕んでいるが、変えないことは現状維持である。高く評価もされないが、失敗して低く評価されることも、誰かに何かを言われることもないのだ。
変えようとすると絶対に何かをいう人がいて、それもそこに長く在籍しているということは役職者だったり、敵に回したくない人だったりする。
最近、システム障害などで大企業のトラブルが相次いでいるが、それも独自のカスタマイズした基盤システムを変えたくないばかりに、委託会社に依存した結果起きているという。海外では、既存の基盤システムに自社のワークフローを合わせにいく方が効率的、という考え方らしい。だからか、海外の物は本当に融通が効かず、メーカーの選択肢も少ないが、その分一つ一つのメーカーは巨大で力は大きい、という感じがする。変化を恐れないからこそ、大きくチャレンジし、大きく飛躍できるという気がする。そこに忖度はないのだろうか?
日本は逆に忖度でがんじがらめで、あっちを立てればこっちが立たない的な感じで、色々思うところあってもスイスイと物事を進めていけない。これは大企業あるあるなのだと思う。少人数の会社やスタートアップ企業ではあり得ないだろう。

いかがだっただろうか。もしかしたら筆者はかなり日本的な保守寄りの会社勤めをしているのかもしれない。共感される部分があるのか、はたまたこれは酷すぎる!と感じるのか、いずれにしてもこのような環境で長くサバイブしていると気力を保つのも努力がいる。このように時々問いながら問題課題と向き合い、今ここに確実に抱いているこの葛藤を過ぎ去れば忘れてしまうようなものにしたくなく、ここに記す。

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