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先の事を考えて仕事をしている人は相当少ない

今でも毎日仕事をしている。
特に、創業してからは、会社員ではないので、毎日、自己責任において仕事をしている。
人から言われる仕事は一つもない。

一方で、部下はじめ、仕事の関係、自分の日常生活のつながりなどで、周りも仕事している人ばっかりだ。

レストランにいっても、コンビに行ってもどこへ行っても大勢の人が仕事をしている。地方に行けば、農村があり農家の人が働いている。最近は、そこにベトナムやネパールの人も研修と称して働いている。

あちこちで、人が働いている。仕事している。

最近、四六時中考えていることがある。
“先の事を考えて仕事している人”は、世の中にどれぐらいいるのだろうか?

先の事というのは、多岐にわたるが、まずは、反対の“今だけの事を考えて仕事する”から考えてみる。

なぜ、今だけの仕事になるのか?

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例えば、ベトナムからきた技能研修生の事を考えてみる。この制度のしくみは、新興国から研修生で受け入れて、日本で学び、帰国してそれを自分自身とその国の発展に役立てる。
これがこの制度設計の根幹だ。ただ実態は違う。

一つの理想で言えば、農業研修生として、日本に来て、農業を学び、帰国して農業の発展に関する仕事に従事するのが理想だ。
現実はこういうケースはほとんどない。

そこで、百歩譲って、帰国して別の仕事に従事する。これでもこの仕組みは機能したと言えるだろう。日本での仕事する経験は、ビジネス教育としては十分すぎる価値がある。


ただ来日前からこういう目的意識の人は少ない。
結果的に日本に学びに来て、そして、それを役立てて起業したり、会社員として成功する人は少なからずいるが。

しかし、大半の彼らの本音は貧困からの脱出、家族を養うため、お金を稼ぐ。当然、仕事は目の前のことになる。

では、身近な日本の会社員の場合どうだろうか?

私自身の事を先に書くと、
私大学を卒業して働きだして、数年間は、その日暮らし派だった。
だからと言って、目の前のお金稼ぎに意識があったかというとそうでもない。ほぼ固定給の中、少なくともクビにならないために仕事していた。
先のことなど全く考えていなかった。

一般的な会社員だとどうだろうか?
一年生に会社の先の事を考えて仕事をしろ。という会社はまずない。入社式の社長の訓示はそうであっても、現場に配属されると、ほぼ100%、まずは、これをやりなさいだ。

つまり、目の前の仕事に専念することになる。未経験なのだから当たり前のことだ。
経験を積んで、何年かしてくると、会社全体に対する責任、会社の先に対する仕事の責任が生まれてくる。そういうことをそつなくこなしていく人は、いずれ会社の中枢メンバーになる。
仕事もできないうちから、先の事ばかりに関心が向く人もいるが、ビジネスの場では疎まれる。

次に、起業家を考えてみる。
私の場合は、何か先の大きな目標をもって起業したわけではないので、あまり参考にはならない。

今流行りのスタートアップ系の起業家で考えてみる。かれらの目標やビジネスモデルはとにかく大きい。大きくなければスタートアップではない。(こういう風潮もどうかと思うが、これについては、別でまた書くとして)

スタートアップは目の前の事は考えていない。先だけを見ている。
ただ、現実はそんなには甘くない。1000社に1社も構想通りには進まない。活動初めて早晩、目の前の事に忙殺されることは目に見えている。
結局は普通の起業家と同じで、最大のハードルは目の前の、こんなはずじゃなかったをどう乗り切るかになる。

あと、大企業の社長で考えてみる。上場会社の社長も似たような立場だ。
ステークホルダーの経営陣への要求は結果重視だ。一方で世間はSDGs、ESG投資、社会貢献が大流行。
この両立は人類の課題と同等に難しい。結果、目の前の仕事を優先せざるを得ない。
私の知り合いも一様にジレンマの中にいる。

こんな風に、幾つかの立場で考えていくと、そもそも、先の事を考えて仕事すると言うのは、とても難しいことが分かる。

それでも、先の事は重要だ、個人、会社、地球全体、どの立場で考えても、如何に先の事に目を向けて仕事するか、これは永遠のテーマでもありジレンマでもある。

7つの習慣に時間管理のマトリッスがある。今や現代人のバイブルとも言えるが、第二領域の活動や仕事がどれだけ難しいか。
人類の健全な発展のためには、誰かが今と先の事の両方をやらないといけない。人類の歴史が教えてくれる。

以上